10 月 12 日(2019),強力な台風 19 号が関東地方に迫っていた。筆者の自宅はアパートの2階とはいえ,近くを多摩川が流れる。避難の判断のため,国土交通省のサイトで,最寄り観測点の水位をパソコンで監視していた。すると,水位はあっさりと「水防団待機水位」を越え,「氾濫注意水位」を越え,とうとう「氾濫危険水位」に迫って来た。
その頃,近くの市内放送用のスピーカーが何か言っていたが,風雨が強くて聞き取れない。でも「避難指示」レベルに重要な内容なら調布市のサイトで確認できるはず。が! サイトは「混み合っていて……」の表示以外は何も見れない。何の! 「調布 FM」というご当地ラジオ局がウェブラジオで聴けるはず。が! 音は出なかった。でも,水位の観測さえ継続できれば……が! やがて水位も分からなくなった。
避難の判断に必要な情報が欲しい時,頼りにしていた情報源はことごとく断たれた。どうしてこうしたことが起きるのか。いちおう技術者の端くれとして考察してみたい。
● 経緯
10 月 12 日(2019),台風 19 号は,いよいよ関東地方に迫っていた。筆者の自宅から直線距離で約 500m ほどのところには「多摩川」が流れている。実家の父が電話をかけてきて,上流のダムの開放でここら辺りが浸水することを心配していたが,とりあえず筆者が住んでいるのはアパートの2階。しかも,土台が1メートルほど高くしてあり,そう簡単にここまで水は来ないと思われた。
とはいえ,父も心配だろうから,安心させる材料が欲しいと思って,多摩川の水位の図を公開している国土交通省のサイトを見つけ,最寄りの水位観測所を伝えて,「まだまだ大丈夫」的な話をしておいた。
▼ 国土交通省「川の防災情報」サイト: 多摩川,石原観測所 |
いちおうは調布市のハザードマップも見ていて,避難方向などと共に確認してあったが,ここら辺は「最悪」2階も冠水する可能性があるらしい。が,あくまでも「最悪の場合」の話だ。
ただ,1階に住む人はそうもいかない。もし多摩川の水が押し寄せて来たら,緊急措置として2階に招き入れる可能性も考えた。実際に避難の必要は生じるのか。その判断に必要な情報を集めるべく,筆者はネットにつながっているパソコンにかじりついていた。
というわけで,まずは,父の電話がきっかけで見つけた,国土交通省の管理する「川の防災情報」のサイトで,近くの水位観測点を監視していた。最初に見た時は「水防団待機」の水位さえ下回っていたが,アッサリそれは越えて来た。台風の接近に伴い,風雨が強さを増すにつれて「氾濫注意水位」を越え,とうとう「氾濫危険水位」に迫って来た。
◆ 呆れる調布市の防災レベル
その頃,近くの市内放送用のスピーカーが何か言っているのが聞こえた。しかし,雨と風の音が強くてよく聞き取れない。
でも,こっちにはパソコンがある。もし「避難せよ!」レベルに重要な内容なら,調布市のサイトにも掲載されるはずだろうから,それを見ればいい……そう考えていた。ところが! サイトは「混み合っているので……しばらく経ってからアクセスしてください」の表示だけ。他の記事は何も見れなくなっていた。当然,さっきの放送が何を言っていたのかなど知る由もない。もしその放送が,かなり差し迫った避難の指示だったとしたら……「しばらく経ってアクセスできるようになる前に水が来ちゃったら遅いだろう」……そんな考えがアタマをよぎった。
▼ 当時の調布市のサイト: この表示のみ |
いやいや,諦めるのはまだ早い。こっちにはネットが使えるパソコンがある。調布には「調布 FM」というご当地ラジオ局があり,パソコンなどの端末向けにウェブラジオの配信をしていることも知っている。
まず,全国の「ご当地ラジオ局」を紹介している「サイマルラジオ」のサイトを呼び出し,「調布」で記事内検索する。直ぐに「調布 FM」のリンクに辿り着き,クリック!……音は出なかった。
これは一度リンク先を「保存」して,音楽プレーヤーのアプリで開く必要があるのかも。そこで,リンク先の内容を確認し,そこに記載されていた URL(ウェブアドレス)をプレーヤーにコピペ……音は出なかった。ではその URL を直接ブラウザで開いてみる……音は出なかった。保存画面は出たが,中身はどうやらさっき保存したものと同じだ。
よくリンクを見ると,「上記で再生できない方は、リスラジアイコンをクリックしてください」と記載があった。そこで,それをクリック。別のサイトが開いて,左上にラジオのプレーヤーと思われる画像が表示される……が! 音は出なかった。もしや,その「再生ボタン」らしき箇所を押さなきゃダメなのね。で,クリック!……音は出なかった。
じつは筆者は,ウェブラジオをよく聴く。日常の BGM にしていて,聴かない日がないくらい。たいていは,これだけ試せばいずれかの方法で必ず聴けている。実際,上記を試している間もフロリダにあるウェブラジオ局は別の機械で聴けていたから,聴く方法が違っていたとは考えにくい。フロリダの音楽が聴けているのに,地元調布にあって,行政が運営に関わるラジオ局で防災情報が聴けないという状況に陥った。
そんなことをしている間にも,時間はどんどん経っていく。さっきの調布の市内放送がどれほど緊急性のあるものなのかを知りたいのはやまやまだが,ここは一旦,調布市はあきらめよう。
なぜ「音が出なかった」のかについては,後ほど考察する。
◆ 国土交通省などの「防災情報」レベルも限界
最後の頼みの綱は,当初から見ていた国土交通省の水位観測サイト。ところがその頃から,見ていた図が掲載されなくなってしまった。画面には「アクセス集中で……」という表示。調布市サイトと同じ理由だ。
▼ 当時の「川の防災情報」サイト: 調布市と同様な状態 |
それにしても,見ていたのは国土交通省の「川の防災情報」サイトのはず。川の「防災情報!」サイトのはず。調布市のサイトもそうだが,行政が「防災のため」に情報を提供すべきサイトが,いざ大雨になり,川の氾濫を気にした人たちがアクセスすると,見れなくなってしまうというのは,どういうわけか。
いや,とにかくそれに代わる情報源は確保したい。そこにはリンクが2つ掲載されていたので,それを辿った。
まず,NHK サイトを見たが,「地域の設定」などという表示が出てきた。設定はしてみたが,肝心の「自宅近くの多摩川の水位」が,どこで見れるのか分からない……探しているヒマはない。NHK もあきらめた。
そこで,もう一方の Yahoo! の防災情報を見てみた。そこでは,とりあえず多摩川全体の水位観測点の一覧を見ることができた。ただ,水位が表示されている観測点は自宅よりもかなり上流のもので,そのままでは参考にならない。
でも観測点の「一覧」の表示はあり,その中には近くの観測点も含まれているから,その観測値を表示することもできるのではないか。パッと見える場所に説明がない。だが,分からないままではまずい。ごちゃごちゃやっているうちに,何とか自宅近くの「石原」の観測点を表示させることができて,また,やはり国土交通省が運用していると思われる観測水位の「数値」を見れるサイトも見付け,並行して見ていた。
逆に言えば,「ごちゃごちゃやらないと」見れなかったということ。パソコンの扱いに慣れておらず,どうしていいか分からない人は,「ごちゃごちゃ」やる前に水位の確認を諦める可能性もある。そんな人の中から「氾濫を知ることができずに流される人」が出るのかもしれない。パッと見で「どうすれば目的の情報を得られるか」が分かるデザインこそ大切なのだと思う。が,残念ながらサイトを構築する側にその意識が薄いであろうことは,前述のような状況を見れば容易に想像がつく。
「川の防災情報」サイトの図を見れなくなってからかなり経っていたが,水位の値が再び確認できるようになった時点で「氾濫危険水位」を越えていたと思う。やはりさっきの放送は「避難指示」なのか? しかし,その後は特に放送は聞こえていない。まぁ,風雨がさらに強まって聞こえていない可能性もあるが。でも,さらに水位が上がるようなら,本当に避難を考える必要があるかもしれないので,監視を続けていた。
ところが,氾濫危険水位を 1.3m ほど超え,6.21m に達してからは,それ以上増えなくなった。……と思っていたら,数十分後,なんと自宅近くの多摩川水位がゼロ(平常水位)となった。Yahoo! のサイトも,国土交通省サイトもだ。
▼ Yahoo! 水位情報: 水位は「ゼロ」に |
「これでもう安心!」……そんなワケなかろう。そこで,Yahoo! の水位情報で,自宅近くの観測点の1つずつ上流と下流の観測点を確認した。どちらも水位は増え続けている表示だ。自宅の近くだけが平常に,それも「突然」戻ることなんてあるわけない。だいたい,たとえ堤防が決壊したって,水位は直ぐに下がらない。「ひょっとすると,水位計が測定限界を超えて壊れたのかも」……その可能性が大きいと考えた。
▼ Yahoo! 水位情報: 上流と下流は上昇中 |
案の定,さらに数十分後に,観測値の表示が「閉局」となった。観測を取りやめたようだ。
▼ 国土交通省サイト: 「閉局」に |
これで,避難の必要性を判断するために,自宅に近い観測点の「水位の値」を知る手段はことごとく断たれた。
◆ 多摩川の水位はもう少しで「天井川」レベル
残された判断材料は,「ライブカメラ」だ。川の所々に設置された,その流域の「今」を撮影するカメラで様子を確認するしかない。監視していた最寄りの水位観測点にも,いちおうライブカメラが設置されていて,見れる状態だった。その画像を見ると,水位は塀一枚隔てた道路と同じ高さに見えた。
▼ 石原水位観測所のライブカメラ画像 |
いやもう,道路と川の水がひとつのカメラに写ってしまうという時点で異常事態だ。写真の上が当時のライブカメラ画像で,下は筆者自身が後日撮ったそのカメラのある観測点の写真。最初のほうに掲載した防災情報サイトの図で判断すると,観測点付近の多摩川の川幅は 400m 弱。普段,水が流れている部分は川幅よりずっと狭くて,真ん中辺のせいぜい数十メートル程度のものだ。残りの 300m ほどは全て「河川敷」で,サイクリング道路が通って,野球場として使う場所があって,まだ余る広さ。筆者が撮ったのもそこから。それが,当時の写真を見ればわかると思うが,「川の水と横の道路が同時に見える」ということは,河川敷は全て水没し,「川幅いっぱい」に水が流れているということだ。もし水位が道路より高くなってくるようなら,いよいよ1階の住人を2階に招いて避難させるか,あるいは自分自身の避難の必要性も考えていた。
そんな感じでしばらく落ち着かなかったが,夜中近くになると,雨音が小さくなってきた。ライブカメラの画像でも,水位がさらに増えるようすはなく,その頃には多摩川の各水位観測点にも,変化がない箇所が増えていたと思う。それで,その日はとりあえず寝たのだった。
◆ 機能しない「行政の役割」
今考えれば,「小降りになった」とはいえ,まだ降雨が続いている時に寝たのは,危険だったのかもしれない。実際,ここより下流の世田谷区では氾濫が起きていたし,後日,雨が止んだ後に氾濫した川もあるというニュースも聞いた。
だからと言って,何人かで一緒に暮らしていたなら「誰かが起きているようにして交代で防災情報を収集する」こともできるだろうが,一人暮らしだとそうもいかない。「一人暮らし」はすなわち「災害弱者」だといえる。実際,災害が起きた後「犠牲者は一人暮らしで……」というニュースはよく聞く気がするし,具体的数値は出ていないが,犠牲者のうち「一人暮らし」だった人の割合は小さくないのではないか。だからこそ,筆者はネットにつながったパソコンで情報収集していたのだが,結果として,それらの情報源のほとんどが断たれることになった。いわば「災害弱者に防災情報が行き渡らない」構造が露呈したことになる。
行政の役割は「そうならないようにすること」だろう。災害弱者ほど避難のタイミングを適切に知ることが重要なはずで,「防災情報を知ることができる多様な手段を整備しておく」のが行政の役割のはずだ。
どうしてこんな「まるで逆」な構造が生まれるのかを考えてみたい。
● 多くの疑問……災害時の通信インフラ
「『エリアメール』は届かなかったのか?」と思う方もいるかもしれない。残念ながら,筆者はスマホも携帯電話も持っていない。主な理由は,そこまで収入がないため。だからこそ,筆者はネットにつながった「パソコンで」情報収集をしていたのだが……結局,それらの情報源はほとんど断たれたわけだが。
しかし,「携帯電話かスマホ」がなくても,ネットにつながっていることはパソコンだって同じ。でも,何でこんなに防災情報が得られなくなるのかと,半ば呆れてしまった。だいたいネットというのは,「誰でも情報が得られる」ようにするものではなかったのか。どうして「災害が迫って来た時に防災情報が得られなくなる」なんて「真逆」とも思える状態になってしまうのか。今回の筆者の経験から,日本のネット事情の内部にある構造を推測してみる。
◆ まず日本の通信業界の構造が疑問だらけ
「エリアメール」というのは,どうやら,携帯電話の業者が所有する特定の基地局(アンテナ)から,その基地局につながる不特定の人宛てに発信するメールらしい。災害発生の危険度の高い地域の基地局から,その周囲にいる人の携帯電話宛てに発信して,危険を知らせるのが目的のようだ。
ただ,その「エリアメール」の存在を知ったのは,じつは今回の台風の後の話だ。他の地域に住む家族が,「メールがうるさくって……」とモンク言ってたんで,そうした仕組みがあることを知ったような感じ。知らせてくれる仕組みなのだから,ちょっとはありがたがれよと思う。まぁ,携帯電話を契約できない筆者は知る由もなかったわけだが。
★ 安価な通信ほど低収入者は契約しづらい構造
携帯電話の契約も考えたことはある。ただ,筆者の使い方では,通話よりもデータ通信が多くなると思われる。となると,データ通信量がかなり多い時には,ヘタすると万を超える料金になってしまうかもしれない。そんなに支払う余裕などない。とはいえ,今どきは MVNO と呼ばれる,低料金で接続を提供する業者もある。そうした業者と契約し,通信業者に縛りのない「SIM フリー」のスマホかモバイルルーターで使うことも考えた。ところが,そうした契約はたいてい,どの業者でも支払いが「クレジットカードのみ」なのだ。恥ずかしながら,筆者は3回ほど審査に落ちている。おそらく低収入であることが原因だと思われる。
じつは筆者がいくつか契約しているプロバイダ(インターネット接続業者)は全て口座振替で自動引き落としになっている。その業者の中には MVNO 接続を提供しているところもあるから,その業者の MVNO ならすぐ利用できる……と思われそうだが,なぜかその業者でも,MVNO の接続を契約する時だけは「クレカ払いでなきゃダメ」で,結局は利用できずにいる。
低収入だから,低料金のモバイル通信をしたいと思っても,低収入を理由にクレカが作れず契約できない……という「鶏か卵,どちらか先に存在しないとダメ」みたいな状況に陥り,携帯電話契約はあきらめた。
それにしても,筆者が「口座自動引き落とし」で利用している業者でさえ,MVNO を使おうとすると「クレジットカード払い」しか許されないのは,なぜだろうか。
MVNO というのは,基地局のアンテナを整備した携帯電話業者から,そうした設備を持たない通信業者が,いくつかの回線をまとめて利用する契約をして,末端の利用者に「小売り」するようなことをしている。仕組みとして,携帯電話業者と直接契約するより安く提供されるようになっているようだが,携帯電話業者としては,自分たちの回線を貸した業者が,自分たちより安く契約できるのは「おもしろくない」だろう。自社の回線を使った自社の契約より,他社で契約したほうが安く提供できてしまうのだから。一方,当然,低収入の人にはありがたいはずで,どんどんその契約がされてもよさそうなものだが,実際は述べた通り,クレカ払いでなければ契約できないため,クレカの審査も通らないほど低収入な人は契約できない。つまり,低収入の人ほど多く申し込みそうな契約に,低収入の人ほど契約しにくい条件が付いていることになる。携帯電話業者は,その低料金の契約を増やさずに済むわけだ。携帯電話業者は,インフラを握っている以上,回線をまとめて貸すにあたって,使える人を多くせずに済むような制約のある条件を,「あえて」付けることくらい,簡単にできそうな気がする。さて,では筆者が使っている「口座自動引き落とし」ができる業者でさえ,MVNO を利用しようとすると「クレジットカード払い」しか許されないのは,なぜだろうか。
通信を管轄する総務省が,「割高」と批判の多いモバイル通信料金を何とか安く提供できるようにと考えた仕組みが MVNO のようなのだが,期待していたほど契約が伸びないとか何とか言っているらしい。総務省は,こうした末端の事情をよく調べているのだろうか。まぁ,調べていないから,こうした条件を付けることがまかり通っているのだろうが。
そうだとしても,なんでそんな条件をつけることがまかり通るのか。推測の域を出ないが,こうしたお役所は長年「天下り天国」みたいな話も聞く。総務省の通信関連部署を退職した幹部クラスの人が,それらの通信業者に天下っていた場合,通信会社がその人を通じて「MVNO はクレカ払いのみにしたい」と申し入れれば,総務省はその人の「顔を立てる」意味で断わりづらいかもしれない。ただ,言っておきたいことは,お役所というところは,既に退職し天下った人か,それとも納税者か,「どちらを向いて仕事をすべきなのか」ということだ。
念のためもう一度言っておく。MVNO の契約は「どの業者も」クレカ払いしか許されないのだ。口座振替支払いできる接続業者でさえ,MVNO
の契約は,クレカの審査が通らない人は使わせてもらえないのだ。それは,モバイルルーターだろうと携帯だろうと,スマホだろうと同じだ。
「中古スマホ」が,日本では(海外と比較して?)なかなか普及しないといったようなウェブ記事も見かけるが……述べたような事情を基に推測すれば,簡単に言うと「中古スマホしか買えないレベルの収入の人が,クレカの審査を通るか」という話。クレカがなければ SIM の契約もできないのだから,使えない「中古スマホ」が売れるワケがない。
ちなみに,筆者が今回使った「ADSL」というネット接続方式は,契約している業者では,来年の前半でサービスを打ち切るそうだ。MVNO を除くと,クレカがなくても,同程度の料金で使える「つなぎっ放し」のネット接続は,今のところ思い当たらない。代替の契約ができなければ「防災情報」も見れなくなって,避難が遅れる可能性も高まる。クレカの審査も通らないほど「低収入」な者にとっては,防災情報を得る手段を減らされ,むしろ死に至るリスクを高められつつあるようなものだ。
これだけひどい台風のあとだから,防災情報提供に関わる様々な課題も発覚し,省庁で対策も検討され始めているかもしれないが,「対策」と称して防災情報の「発信源」をいくら充実させても,その受信手段がなくなる者を放置して,犠牲者が減るだろうか。意味がないと思うが。
今の通信業界というのは,災害弱者をさらに危険な状況に貶めるような構造に見える。
★ 環境保護やバリアフリーに配慮すると通信できない構造
「そんなこと言っても,パソコンは持っているのだろう」と思われそうだ。実際,パソコンは十数台くらいあり,気づくとそのうちの数台を同時に使っていたりする。
とはいえ,じつは筆者は Windows というものの登場以降,「パソコン」というものを買ったことがない。全て譲り受けたものばかり。多くは「古くなったから」という理由だが,中には「全く動かなくなった」というものもある。それらの部品を交換したり,付け足したり,「OS」と呼ばれるソフトを入れ替えて調整するなどして,使い続けている。
携帯電話もスマホもなかったからこそ,筆者はそのパソコンをネットにつないで情報収集していたのだ。結果として……どうだったのかは,述べたとおり。地元の細かい防災情報を手に入れようと調布市のサイトを見たら「混み合っててダメ」で,「調布 FM」のウェブラジオを様々な手段で聴こうとしたが,とうとう聴けなかった。国土交通省サイトの水位の図も表示されなくなって,そこから誘導された NHK の防災情報サイトは,どうすれば多摩川の水位が見れるのか分からなかった。
たぶん,このことでどこにクレームを入れたところで,回答は分かりきっている。「最新の機器をお使いください」と言われるだけだろう。
携帯電話やスマホの契約もできない者が,「最新の機械」なんて気軽に手に入れられるものではない。それは,別に筆者に限らないはずだ。これでは「最新の機械が手に入れられない者は防災情報が得られなくても仕方がない」……つまり「低収入の人は防災情報を得られずに大雨で流されて死んでも構わない」と言っているのと同じような気がする。
たぶん,このことで「上に」クレームを入れたところで,回答は分かりきっている。「知らなかった」と言われるだけだろう。ここで「上」と言うのは,何をウェブページで公開し,どんなことをウェブラジオで発信するのか……つまりは,どのようにネットを活用するのか決定する権限を持つ人たちのこと。クレームに対して,末端で「最新の機器をお使いください」といった門前払い対応している限り「低収入で古い機械しか持っていない人には防災情報が届かない」という事実も,そうした決定権を持つ「上の人」には知られないままになり,結果的に,ウェブ設計やラジオ配信形式といったネットの活用方法に「改善が働かない」構造ができあがる。もしそれで実際に低収入の人に犠牲者が出たとしても,「知らなかった」のだから,責任はとらずに済む。「上の人」たちは,そんなふうに自分が「責任をとらずに済む」状態を温存したがるだろうから,知ろうともしないのが実態だろう。もし実際に「古い機械で防災情報が得られなかった」ことが原因で犠牲者が出たとしても,そもそも犠牲者が「私は情報を得られなくて流されてしまったんだ! どうしてくれる!」なんてクレームを言って来ることなんかない。「死人に口なし」である。犠牲になった原因が深く知られない状態が維持され,改善が進まない構造が固定化される。
筆者が新しいパソコンを買わない「主な理由」は低収入だからだが,他にも,「環境保護」的な意味と,「バリアフリー」の観点もある。
環境問題のスローガンである「3R」とは「Recycle(再生),Reduce
(減量),Reuse(再利用)」だ。「古くなって廃棄直前のパソコン」を使い続けている筆者は,およそパソコンにおいては,それらを全方向的に実践しているつもりだ。普段,それらのパソコンでフロリダのウェブラジオ局を聴いている。何の問題もなく聴けている。ところが,そうした古い機械でも聴けるような配信方法があるにも関わらず,「最新の機器で受信しなきゃダメ」にしてしまっているとしたら,どういうことか。「聴けないから,新しいパソコンを買わなきゃ」という方向に誘導しているようなもので,ある意味「ゴミを増やす」ようなものではないだろうか。たとえば,調布市のラジオ局がそうした配信をするということは,調布市民全体を,古いパソコンでは「聴けない」状態にすることで「買い換え」を促し,調布市のゴミを増やしているようなもの。つまり,最新の機械でしか受信できない方法で配信するということは,環境保護にも逆行する対応のような気がする。ひょっとして調布市は,ゴミを増やしたいのかもしれない。
「バリアフリー」の観点では,障害のある方は,自分の障害に合わせてパソコンを操作するソフトを入れて使っていることも多い。そうした方は,新しいパソコンでそのソフトが使えないと,パソコンが使えなくなってしまう。たとえば,視覚に障害があって,画面を拡大したり音声で確認をしながら操作するソフトを使っている方の場合,そのソフトが新しいパソコンに対応していなかったら,パソコン自体が操作できなくなってしまうのだから,「新しくする」どころではない。
筆者は障害者のパソコン指導もしているが,述べたような理由から,多くの方が,新しいパソコンの購入をためらったり,使っている機械のアップデートにさえ不安を抱えている。だから,そうした方の古い機械で筆者のウェブサイトが見れなくなってしまうことがないよう,あえて古い機械に合わせて開発を続けられる環境を残している意味もある。
ところが,述べたように,古いパソコンではウェブラジオが聴けなくされつつあるのが現状。一方,いくら「最新のパソコンなら聴ける」と言われても,自分の障害に合わせたソフトを使ってパソコンを操作している障害者は,そのソフトが新しいパソコンに対応していなかったら,当然パソコンを新しくしてしまうと操作できなくなり,どんなにウェブラジオで障害者向けの情報や防災情報を放送していても聴けなくなってしまう。古い機械で聴けなくなるような方法で配信することは「バリアフリー」にも逆行する対応のような気がする。ひょっとして調布市は,障害者にはウェブラジオを聴いてほしくないのかもしれない。
★ 携帯電話かスマホ所持が「前提」の構造
国土交通省の水位の図が表示されなくなった時,NHK サイトへのリンクがあった。リンク先は結果として役に立たなかったが,NHK サイトのニュースは参考にしていた。ただ,地域の細かな防災情報については,「スマホアプリで提供中」みたいなことになっている。もちろん,携帯電話もスマホも持っていない筆者にとって,「アプリで提供中」なんて誘導には意味がない。せめて,国土交通省から飛ぶリンク先の災害情報ウェブページくらいはまともに機能するようにしておいて欲しかった。
なぜまともに機能しなかったのかについては,後ほど考察したい。
いずれにしても,「携帯電話かスマホがないと手に入れられない」ような情報提供の仕方はやめたほうがいいのではないか。なんて言うと,「携帯電話やスマホで防災情報が見れなくなるのは困る!」と思うかもしれないが,「携帯電話やスマホ向けの情報提供をすべきではない」ということではない。それら向けの情報提供に偏り過ぎて,他の手段での提供が疎かにされるようでは,そのほうが困るということ。
情報提供している側は「それ以外の方法もちゃんと提供しています」と主張するかもしれないが,ならば,その「それ以外の方法」とやらに誘導する仕組みも作っておくべきではなかったのか。でも,少なくともウェブのニュースを見た限り,その「誘導」に気づくことはなかった。スマホアプリの紹介記事があっても,スマホを持っていない人には意味がない。そこで,他の手段を探し始める人,探し当てる人がどれほどいるのか。「スマホをお持ちでない方はこちらへ……」といったリンクでも掲載されていれば,それを辿って見れる。でも,自力でスマホ以外の情報源を探し当てられなければ,スマホを持っていない人はそこで終わる。「防災情報提供」としての意味は半減するのではないか。
もちろん,筆者は「それ以外」の方法があることは知っている。だからこそ,ネットにつながったパソコンで情報収集していたのだ。でも,結果としてどうだったかは,述べたとおり。パソコンからネットで様々な方面からの防災情報の入手を試みたが,ことごとく断たれた。これも「携帯電話かスマホの所有が前提」の情報提供に偏り過ぎた証左ではないかと思う。
◆ 「調布 FM」はなぜ聴けなかったか
じつは解決策は原理的には簡単だ。多くの人が受信できる形式で配信すればいいだけの話。逆に言えば,問題の根源は「なぜ防災情報が『誰でも受信できる形式』で配信されないか」ということになる。これにも「構造的問題」があるように思う。
★ 行政が企業の「囲い込み」に加担している構造
現実的には,ネットの活用方法の具体的なところまで,決定権を持つ「上の人」が決めているわけではないことのほうが多いだろう。上の人が「これからはネットを活用すべきだ!」と言い出したところで,その「配信方式をどうするか」といった細かな事情まで理解した上で言っていることなんかほとんどないと思う。だから,そうした具体的な部分は決められない。ではどうするかと言えば,たいてい「丸投げ」になり,その先はといえば「民間企業」で,結局「配信方式」など細かな部分の決定権も,その民間企業に「丸投げ」されることになるのではないか。
利益を追求する民間企業は,「お得意さん」を増やしたいはず。特に「ウェブサービス」では,その傾向が強くなるだろう。なぜなら,たとえばあるサービス利用のためのアプリを,通販の広告配信やサイトへの誘導,販売ルートとして利用できるように作っておけば,そのサービス利用者が多く,そのサービスでしか利用できないものが多いほど,通販の小売り業者にとって魅力となる。「お金につながる仕組み」となり,サービスを提供する企業の優位性も強くなる。だから,新規の利用者を増やしたいし,また一度利用した顧客は手離したくないはず。すると,「利用者の囲い込み」が起こる。企業が独自開発した配信方式ではなくても,コスト削減のため他の企業が「安価に」提供しているものを利用する場合もあるだろうが,それもまた,利用者を増やすことを目的として価格を安くしている可能性も考えられる。とにかく利用者が多いほど優位になるのだから。
片や「多くの人が利用できる規格」というと,必然的に以前より使われてきた「古い規格」が多くなる。古い規格というのは「タレ流し」的な手法が多く,たとえば「ラジオ」ならば,配信者から聴取者へ「音声データを送るだけ」の仕組みだったりする。すると,音声データ以外の「広告画像」とか,その広告をクリックした時に業者のウェブサイトに誘導する機能のような仕組みを「あとから仕込む」ことはかなりむずかしく,「お金につながる仕組み」になりにくい。利益を追求する企業に「丸投げ」してしまうと,そういった「誰でも利用できる」古い規格は「金づるにつながらない」ことを理由に避けられて,「金づるを仕込める」新しい規格が好まれる傾向が強くなることが考えられる。
言いたいことはもう察してもらえると思う。行政が広く多人数に知らしめるべき「防災情報の提供」において,多くの人が受信可能なものではなく,「金づる」を重視した規格を採用し,配信するような,営利を優先する民間企業の「囲い込み」に加担してもいいのかどうか,だ。
★ ウェブラジオの配信方式
筆者が聴こうとしたご当地ラジオ局「調布 FM」が聴けなかったことが,いい例かもしれない。
ニュースやブログなどの一般的なウェブ記事は,記事を一旦全て読み込めば,ネットの接続を切ってもブラウザを閉じずに表示させている間は読むことができる。一方で,ウェブラジオの「音声データ」や,長い動画の「ビデオデータ」などでは,視聴中はずっとネットからデータを受信し続ける必要がある。これを,特に「ストリーミング〔配信〕」と呼ぶことがある。ウェブで見れる「議会中継」などもそれに当たる。
主にデータを供給する役割を持つコンピュータは「サーバ」と呼ばれるため,前述のようにデータを継続配信するサーバは「ストリーミングサーバ」と呼ばれることがある。
その「ストリーミング」の配信規格がいくつかある。筆者がよく聴くウェブラジオは,「Shoutcast(シャウトキャスト)」と呼ばれるものか,あるいは「Icecast(アイスキャスト)」と呼ばれる配信規格で,これらは配信サーバの URL をブラウザのアドレス欄に入力して開くだけで聴けることが多い。たとえば,筆者がよく BGM として聴いているフロリダのラジオ局は,IE(インターネットエクスプローラ)や Edge (エッヂ)など一部ブラウザを除き,以下の「ストリーミングサーバ」の URL をアドレス欄に入力(またはクリック)するだけで,たいていは「ブラウザで直接聴ける!」。
IE や Edge など直接聴くことができないブラウザでも,たいていは「メディアプレーヤー」などの別アプリが起動して聴くことができる。ただ,起動に時間がかかったり,そのための設定が必要なことがあり,少々手間になる場合がある。あるいは,最初からそうしたウェブラジオの聴ける「プレーヤー」アプリに URL を指定して聴くこともできる。ラジオ音声を聴くだけなら,そのほうがブラウザで聴くより処理が軽くて済むことが多く,筆者もたいていはその方法で聴いている。
前述ウェブラジオ URL を再生中のブラウザ画面を見ると,そこには「音楽プレーヤ」のような画像が表示されるだけで,他には何も表示されない。一方,音楽プレーヤのアプリで聴くと,アーティストや曲名が表示されることもある。アプリによっては,音に合わせて変化する画像を表示するものもあるが,多くはパソコン内で作られたもので,外部から読み込んで表示しているものではない。むしろ,上記のウェブラジオを聴いていて,スポンサーの「広告」のような,外部の画像を読み込み表示するようなものは見たことがない。つまり Shoutcast や Icecast
では,「ラジオ」同様,純粋に音声データだけを配信していて,ついでに広告の画像を送信して表示させたり,そこをクリックしてスポンサーのウェブサイトに誘導したり……といった仕組みはないと思われる。
逆に言えば,そうした「スポンサーのサイトに誘導」するような広告画像を一緒に配信したりとか,クリックを受け付けられるようにしたいとなれば,「音声データしか送れない」ような規格ではダメで,異なる配信方法を使う必要があることになる。Shoutcast や Icecast の場合は「ブラウザのウェブラジオ再生機能」で気軽に聴けるとはいえ,広告画像は扱えない。だから,広告を扱いたい時は,どんなに「気軽に聴ける」方式であってもそれらは使われず,「運営者サイトから読み込んだ広告をブラウザに表示させていないと聴けない」ような特殊な配信方法や,あるいは広告画像やクリックに対応した特別な専用アプリを作って「そのアプリ以外では聴けない」ような配信方法が新しく考案されて,それらが好んで採用されるようになっていくだろう。「防災情報」というのは,「誰でも受信できるようになっているべき」だと思うが,残念ながら「利益優先」の民間業者からはそうした点は重要視されない。
述べたように,ラジオの音声データの配信元である「ストリーミングサーバ」の URL を公開すれば,ウェブラジオを「ブラウザや一般的な音楽プレーヤーだけで聴ける」ようにすることもできるはずだが,直接聴かれると広告の表示やクリックの受け付けなどに対応できないから,利益優先の民間企業主体の配信では,結局はサーバの URL は公開されないことが多い。こうやって,「ブラウザだけで聴けていた規格」や,「サーバ URL さえ分かれば聴ける規格」からどんどん離れて行って,最悪「聴けなくなる」可能性が高くなっていくのだと思う。
★ 「調布 FM」は一部企業を利する配信方式か
「調布 FM」が聴けなかった理由も,そういった民間企業の「利益を優先する戦略」に巻き込まれているためではないかと考えている。
筆者が「調布 FM」を聴こうとして,全国各地のご当地 FM 局を集めた「サイマルラジオ」のサイトで「調布 FM」のリンクをクリックした時に読み込んだファイルに記載してあったのが,その「ストリーミングサーバ」のものと思われる URL だ。だが,それをどんな方法で開こうとしても,ラジオは聴けなかった。実際には,その時果たしてラジオで防災情報を伝えてくれていたかどうかは今さら知る由もないが,少なくとも筆者が普段聴いている Shoutcast や Icecast と異なり,「ブラウザだけで簡単に聴ける」規格でなかったことは確実。特に筆者の場合,「古いパソコンの OS を入れ替えて使っている」と述べたように,使用しているパソコンが Windows ではないものも多く,それでは Windows
用アプリに配信されている規格では受信できない。Windows の製造元,マイクロソフトも利益を追求する民間企業。Windows だけに特に便利な状況が多いほど有利になる。だから,もし行政が関わる防災情報も発信する可能性もあるウェブラジオに,「Windows なら直ぐ聴けるが,それ以外のパソコンではそうではない」ような配信方式が採用されているとしたら……つまり「防災情報は Windows なら直ぐ聴けるが,それ以外は聴けなくても『知らん!』」といった扱いになる。当然「それ以外」の人は,聴き方が分からなければ Windows を手に入れざるを得なくなり,Windows の製造元にのみ有利な条件になってしまう。だが,「防災情報」の配信でこの状況になることは「死にたくなければ Windows にしなさい」と言うようなもの。防災情報を「人質」にするような形で,民間企業の利益追求を行政が手助けするようなものではないかと思う。
ちなみに,憲法の 15 条には「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない」という条文がある。前述の事実を知ってなお,その状況を変えずに,一部のパソコンソフト業者のみを優位にするような配信方式を続けた場合,「憲法違反」であると,筆者は思う。
一方「ブラウザに直接 URL を入れて聴く」方法以外にも,ブラウザで聴く方法はある。それは,ラジオ聴取用のウェブページを呼び出し,そこに仕込んである「スクリプト」と呼ばれる一種のプログラムを使う方法。調布 FM の場合も,「サイマルラジオ」のサイトに「クリックで聴けない方は『リスラジ』でお聴きください」と書かれているリンクがあったが,たぶんその先の「リスラジ」サイトに聴取できる「はずの」スクリプトが仕込まれていたのだろう。結局それも聴けなかったが。
じつは後でその「リスラジ」とやらのサイトをよくよく見てみたが,調布 FM のリンクさえ見あたらなかった。あるのかもしれないが,画面には「スマホ向けアプリの無料ダウンロード」画像がデカデカと表示され,どうも放送局一覧のリンクはその背後に隠されてしまっているらしく,クリックできない。じつは,そうした「余計な表示を前面に出す」ような小細工も,たいてい「スクリプト」の処理として埋め込まれる。
なぜそんなことをするのか……は,たぶん述べたとおり,そのアプリには,スポンサーの広告などの画像を見せたり,そこをクリックするとウェブサイトに来てもらえる仕組みが仕込んであって,なるべくアプリ経由で聴いてもらいたいのだろう。でも,そのアプリとやらも「スマホ向け」だから,筆者をはじめスマホを持っていない人には全く無関係。むしろ「防災情報を聴きたい!」時に,各地のラジオ局のリンクの前面を覆い,「防災情報を地元のラジオ局で聴こうとしてもクリックできない」状態にしてしまっている。こういった利益優先の不親切なサイトの設計が,「リスラジ」のサイトを「イザ! という時に役立たない」ものにしているように思う。と同時に,やはり「防災情報を聴きたいならアプリ入れろよ」と迫り,ラジオの運営側が防災情報を「人質」として提供し,民間企業の利益追求を手助けしているような感じもする。
気になるのは,その配信のため,サイト運営側が FM 局側からお金を取っているかどうか。言い換えれば,「防災情報を聴きたい!」という時に役に立たないサイトに,税金が費やされているのかどうかだ。こうした状態を,ご当地ラジオを運営する行政や自治体はチェックしないのか? まぁ,少なくとも調布市がチェックしていないことは確かだが。
なぜ「防災情報」も配信する可能性があるような「ご当地ラジオ局」が,そうした「ブラウザだけで簡単に聴ける」ような規格,言い換えれば「誰でも聴ける規格」ではないのだろう。たぶん,結局その「ご当地ラジオ局」の運営も,利益追求の民間企業に「丸投げ」しているので,広告画像表示やら何やら「仕込み」ができたり,配信方式の開発企業を優位にするような配信方法を採用するためだろう。しかし,公共情報を提供すべき行政に深く関係するラジオ局,しかも「防災情報」のような命に関わる内容を扱う可能性もある配信を,「聴けない人が出る」ような利益優先の民間企業の方法に依存することに問題はないのだろうか。
★ 「調布 FM」は正しく配信されていたか
調布 FM を聴こうとした時に「保存画面が出た」と述べたが,じつはこれもちょっとおかしな振る舞いだ。「ストリーミングのラジオが直接ブラウザで聴けない」と言っていた IE や Edge でも,クリックした時に「保存画面」が出るのではなく,メディアプレーヤーと呼ばれる別のアプリが自動的に起動して聴けることが多いはず。筆者はどちらのブラウザも使っていないが,ブラウザ未対応の音声データはたいていどれも同様な対処になるはず。なのに「保存画面が出た」ということは,読み込もうとしているデータをどう扱えばいいのかコンピュータが判断できず,「とりあえず保存しますね」という処理を選択したと思われる。
原因としては,述べてきたように,読もうとしているデータに筆者が使用しているパソコンが対応できていなかった可能性も考えられるが,もうひとつ,発信側のサーバがデータを渡す時に,「これは××形式のデータです」と適切に示していなかった場合も,同じような対処をされることがある。多くは,データが何を示しているのかはウェブアドレス(URL)の末尾で分かる。たとえば,末尾が .html なら,HTML 形式の文字データで,.jpg などなら画像のデータである「ことが多い」が,必ずしもデータの内容は末尾「だけ」で決められているわけではない。だから,そのために,サーバから「じつはこれはストリーミングの音声データです」と示す仕組みがある。その設定が,ラジオを聴かせるサイト側……つまり「サーバ側」で適切にされていないと,実際にストリーミングラジオの音声データであっても,前述のように,受け取ったパソコン側で何のデータなのか分からず,扱いを判断できずに「とりあえず保存しておこう」といった処理をされることになる。
データが何であるかを示す仕組みは MIME-Type(「マイムタイプ」と読んでいる)と呼ばれる。
MIME-Type の設定が正しくなくて,「保存画面」が出てしまっても,実際にストリーミング・サーバの正しいアドレスを含むデータならば,それを保存した後,中を見て「音楽プレーヤーソフト」でそのアドレスを開けばラジオが聴けることもあるが(筆者はそれもダメだったが),それを知らない人は,保存画面の意味が分からなかったり,あるいは,保存したものを何のソフトで開けばいいか分からずに,「聴けないね」とあきらめてしまうかもしれない。つまり,MIME-Type の設定が正しくないと,ラジオを聴く人を減らしてしまうかもしれないということだ。
★ 「ラジオの使命」を捨てる日本のラジオ配信
「ウェブラジオをよく聴く」と書いたので,さぞかし「らじる☆らじる(NHK ラジオのウェブ版)」や「radiko(民放ラジオのウェブ版)」などを聴きまくっていると思われるかもしれないが,じつは,NHK はほとんど聴かないし,radiko のほうは「聴けない」。なぜかと言えば,やはり述べて来た「ストリーミングサーバ」の URL が公開されていないから。述べたように,音声だけブラウザでいつでも聴けるような URL
を公開してしまうと,広告画像を表示させたり,そのクリックでサイトに誘導したり……といった「金づる」につながる仕組みが仕込めない。本来,NHK がそれを気にする必要なんかないと思うが,実際はサーバの直アドレスは分からず,ブラウザで画像と一緒に受信しないと聴けないためか,筆者の環境ではかなり重くて聴きづらい。radiko に至っては聴取地域を限定する仕組みを組み込んでいるらしくて,最悪「モバイルルーターで聴こうとすると,聴取可能サービスの地域内であっても聴けないことがある」という話も聞いたことがある。それが本当なら,イザ防災情報を聴きたい時に,地元に居ても聴けない人が出るような仕組みをわざわざ組み込んでいる……のが radiko ということになる。
筆者は普段,モバイルルーターは使っていないが,いずれにしても,国内のウェブラジオの多くが聴けない状態であることには違いない。
「ラジオ局」とは何のためにあるのか。「広く多くの人に情報を知らしめる」のが目的ではないのか。「どこでも誰でも聴ける」のがラジオではないのだろうか。聴取地域を限定する radiko などは,どこが企画したシステムなのかよく知らないが,わざわざ「ラジオの使命」を蔑ろにする仕組みで配信をしているようなものだと思うのだが,ラジオ局の経営者は気づかないのだろうか。まぁ,気づけていたらそんな仕組みで配信をすることに「ゴーサイン」など出さないだろうから,気づけない経営者なのだろう。彼らに,そうした「末端でキチンと聴けるのか」を調べる能力がなく,配信方法を企画した企業にとって都合の「いいところだけ」の説明を「うのみ」にして採用するから,こんなふうに「聴けない人が出る」のだろう。せめて「聴けない人」の存在に対し,経営者がその責任を追求される仕組みでもあれば……たとえば「聴けない人」がある割合以上存在すると判明したら,報酬がカットされるようにでもなっていれば,経営者も「末端で聴けない人が出ていないか調べよう」とするかもしれないが,今の経営者は「自分たちの放送局で防災情報が聴けない人」が何人いようと,責任を問われることはない。おそらく,「経営者としての報酬」は一円も減額されないから,「聴けない人」のことなど調べず放置しても自分は困らない。こうやって「ウェブラジオ(で防災情報)が聴けない人たち」は,その存在が知られることもなく残り続ける,というのが実状ではないかと想像している。
「防災情報が聴けない人」を放置するということは,「聴けていたら助かるかもしれない人」を見捨てるようなもので,相対的に「犠牲者が増える」ことにつながるような気もするが……今のラジオ局経営者に,そうした連想を求めるのも不可能なのだろう。犠牲者を増やしてしまう要因を抱えた経営者でも報酬を持っていける社会構造ということだ。
ラジオ局だけでなく,放送業界は,いろいろと「苦しい」という声も聞く。そりゃあ,「受信できない人が相当数いる」ことに気づかないまま放送をタレ流す経営者が,「経営者としての報酬」をバカスカ持って行けば,会社が苦しくなるのは当然のような気もするが。
同時に,何よりも放送と通信の両方を管轄する「総務省」が,こうした実態を何年間も何も言わずにスルーし続けている現状がある。まぁ,「総務省」の人たちも,「聴けない人」が何人いようと報酬は持っていけるという点ではラジオ局の経営者と同じような気もする。当然,こうした実態を調べてもいないのだろう。
繰り返すようで恐縮だが,筆者は,国内のウェブラジオを聴きたくても聴けない状態がずっと続いている。結局,普段聴けるのは,古いパソコンで聴ける海外のラジオ局くらいだ。そこでよく宣伝されるスマートスピーカー,買う気もないのに名前を覚えてしまった。一方,似た製品を日本のメーカーが製造しているのかどうか,今は知らないし,今後もラジオ広告で知ることはないだろう。聴けないのだから。「ラジオ局」とは何のためにあるのか。
調布市に限らず,「防災情報」を知りたくても結果的に聴けない人ができてしまうラジオ局運営に経費をかけることにどれほど意味があるのか,疑問でしかない。特に,ご当地ラジオ局などで行政が関わっているなら「税金」が費やされていることになる。監査局や会計検査院はもっと調べたほうがいいのではないか?
考えてみれば,放送,通信だけではなく,防災に深く関わる消防庁の全てに携わっているのは「総務省」だ。このような状態に何も言わないのだろうか。まぁ,言わないからこうした状況が長く続いているのだろうが。納税者を何だと思っているのか,と言いたい。
◆ 「バリアフリー」と「互換性」が無視される構造
NHK の防災サイトがまともに見れなかった問題は,複数の要因が考えられる。
★ 配色
じつは筆者はひどい「不眠持ち」。だから,特に夜は「光」を見つめることを極力避けている。とはいえ,パソコンを使う以上は,ディスプレイの光を見ないわけにはいかない。少しでも影響を抑えるため,極力暗い配色設定にしている。具体的には,背景は「ダークグレー」,文字は黄色と橙色の中間くらいの暖色系で「強制的に」表示するよう,ブラウザに設定してある。筆者がその設定をしているブラウザでは,全てのウェブ記事がその配色で表示される。たとえ背景に「画像」が設定されていようと「強制的に」ダークグレーになるから,その「背景の画像」を見て操作が必要なウェブ記事の場合,どこをクリックすべきだか分からなくなる。国土交通省の「川の防災情報」サイトから飛んだ NHK サイトで,地域の設定はしたものの多摩川の水位を知るまでに至らなかったのは,「水位を見るリンク」の表示が「背景」の画像だったために,ダークグレーで塗り潰されてしまい,分からなかった可能性もある。
「川の防災情報」にはもう1つ Yahoo! のリンクもあったため,原因は何かと調べていると時間がかかりそうな NHK は早々にあきらめて,そちらを見ることにしたのだった。
「そんな特殊な事情に合わせたウェブサイトの設計を強要するな」と言われそうだが,世の中には,筆者よりも深刻な「弱視」という症状に悩んでいる人がそれなりにいるし,ほかにも,歳をとってから緑内障や白内障などで視力が弱り,明暗を強調した「ハイコントラスト」配色をブラウザに設定して見ている人がいる可能性もある。「バリアフリー」が叫ばれる昨今,そうした人たちが「ブラウザで配色を強制設定している」と,防災情報を見るのにどこをクリックすべきだか分からない……つまり,視覚に障害がある人は,パソコンで防災情報を知ろうとしても操作できない……そんなサイトでいいのか。それがまず疑問に思う点。
★ 新旧互換性
もっと深刻と思われる要因は「互換性の無視」だ。この場合の「互換性」とは,「旧規格との互換性」と「ブラウザ間の互換性」の2種類あり,そのどちらも軽視されている現状が「防災情報を入手できない人」を増やす可能性を孕んでいると思う。
互換性を低下させる最大の要因は「スクリプト」だろうと見ている。「リスラジ」の問題でも書いたように,「スクリプト」とはウェブ記事に機能を付加する,一種のプログラムのようなもの。たとえば,ウェブ記事に「再生ボタン」の画像を表示し,そこがクリック操作された時に「ストリーミングサーバ」からデータを読み込んで音を出すようなスクリプトを書いて,ラジオ局を紹介するページに埋め込んだものが,例の「リスラジ」のウェブページだったのだろう。ラジオ局を紹介する記事中に「再生ボタン」らしき画像が表示されていたら,本来ならば「そこをクリックすればラジオが聴ける」ようにしてあるはず。少なくとも,そのウェブサイト運営側はそうなるよう意図して製作していたはずだ。
結果的に「聴けなかった」のはなぜか。そこに「互換性」の問題があるのだと思う。
一般的に,ウェブ記事内で使われるスクリプトは「JavaScript(ジャヴァスクリプト)」と呼ばれる。「ECMA(エクマ)Script」と呼ばれることもあるが,ほぼ同じもの。ウェブ記事に機能を付加するためのものなので,当然「ブラウザ」,つまりウェブ記事の閲覧ソフトの中で動作する。もう一度言うと,「ブラウザの中で動作する」。ブラウザというのは,ネット閲覧ができるパソコンなら必ず使えるようになっているのだし,今どきネットの使えないパソコンなどないから,つまりは,どのパソコンでも「プログラミング」は可能ということ。もう一度言うと,「ネット閲覧のできるパソコンなら,どれでもプログラミングは可能」なのだ。義務教育で「プログラミング」が必修となり,その学習のためにどれほどお金をかけているのか知らないが,無駄な感じしかしない。まぁ,その話は今回の本題ではないので,別の機会にしようと思う。
一方,ウェブ記事に期待される役割も,日々高い機能が要求されるようになっている。たとえば「地図を見る」場合,昔のネット閲覧では,単純に「画像を表示するだけ」の機能くらいしかなく,指定した縮尺で特定の地域が切り取られた地図の画像が見れる程度。町で売られている「地図」と比べ,見れるものはあまり変わらなかった。
ところが今は,地図をスクロールしていくと,連続的にどこまででも見れる。縮尺だって,「拡大/縮小」の操作をすれば,目の前で地図の大きさが変化して,あっという間に異なる縮尺の地図になる。これは,閲覧者がどんな操作をしたのか,その操作によって,どの程度の縮尺のどこの地図画像が必要なのかが計算され,サイトのサーバから該当する地図画像データを読み込んで,該当する位置に表示する……という処理をするスクリプトが,ウェブ記事に埋め込まれて機能しているため。
だから,昔のブラウザ(ネット記事閲覧ソフト)は,「閲覧者がどの地図画像を選んでクリックしたか」くらいの処理ができれば済んだが,今のブラウザは,閲覧者がどう操作したか,「拡大」なのか「縮小」なのか,「スクロール」の場合はどっち方向なのかなど,多種多様な操作を感知できるよう作られている。スクリプトも当然それらの操作を区別して処理するよう作られる。
では,今の地図サイトを,そうした「操作未対応」の昔のブラウザで見るとどうなるか……想像は付くだろうが,まともに機能しない。スクロールや拡大/縮小の操作を感知する機能のない古いブラウザの場合,どの程度の縮尺でどこの地図を読み込むべきかの判断は当然できない。これが,ブラウザの新旧互換性の問題。
それでも,古いブラウザでも固定した縮尺で特定範囲の地図の表示くらいできたのだから,閲覧者の「拡大,縮小,スクロール」などの操作を感知する機能のないブラウザでも,「固定縮尺で特定範囲の地図」の画像と共に「東・西・南・北,拡大・縮小」のリンクを表示して,そのクリックで該当する地図を読み直すようなサイトを作ることはできる。ちょうど,昔の「地図帳」のような,「この北側の地図は○○ページ,南側は△△ページ,駅周辺の拡大図は××ページに掲載」という感じ。こうした自動的に機能を落とす対応は「フォールバック」と呼ばれる。ある意味,新しい機能に対応できない人のための「配慮」とも言える。防災情報などを配信する可能性があるサイトなら,そうした機能の低いブラウザで見ている人向けの「配慮」を考えるべきではないだろうか。
★ 「配慮」を捨て利益優先の企業に迎合した結果
逆に言えば,少なくとも「リスラジ」サイトは,その「フォールバック」に対応していなかったのだろう。対応していれば聴けた可能性もあるが,残念ながらそれはあまり期待できない。なぜなら,それも述べたとおり。フォールバックするということは,古い規格にも対応する必要が出て来る。すると「広告の表示」や「そのクリックによるスポンサーサイトへの誘導」といった仕組みは組み込めないし,新しい配信方式のシェアを広げたい業者の思惑にも添わない。結局,配信はどこか民間の業者に「丸投げ」されているだろうから,利益追求の民間業者は,そうした「利用者の『囲い込み』のできない規格」など採用しないと思う。
考えようによっては,古い通信規格でも同時に配信すれば済む話だ。が,複数の配信規格に対応しようとすれば「コスト」になる。利益追求の業者にとって「コスト」になることは避けるだろう。結果的に,新しい規格に対応できないネット利用者への配慮は欠落し,防災情報は手に入れづらくなる。そうした構造があるのだろうと想像している。述べたように,本来「ラジオ」というのは,より多くの人に聴いてもらうことが使命。特に,行政が「防災情報」を配信する可能性のある,地域密着のラジオ局なら,なおさら「どれほど多くの人が聴ける配信方法か」は重要なはず。「丸投げ」するにしても,その「フォールバック」の配慮を相手の業者に求めてしかるべきではないかと思う。
じつはその「フォールバック」は,通信技術では「当たり前」のことだった。今のように,光ファイバーやらモバイル通信やらと通信方式が多様化する前,電話回線につなぐ「アナログモデム」が主流だった頃,その「アナログ通信」の方式も日進月歩で,次々と新しい規格が生まれていた。でも,高速に通信ができる新しい方式ができたからと言って,通信する全ての人を,一度にその方式に切り替えさせるのは現実的には無理がある。ではどうしていたのかといえば,新しい方式の通信機は,もし通信する相手が古い方式しか対応できなかった場合,自動的に古い方式に合わせるよう作られていたのだ。つまり最初から「フォールバック」する仕様だったので,通信相手が新しい方式にしたからと言って,通信に使用する「モデム」をいちいち買い換えなくて済んでいたのだ。また,Wi-Fi と呼ばれる無線通信の規格も,新しい規格は古い規格にも対応するようになっていることが多いので,通信機の「親機/子機」のどちらかだけ新しい方式に買い替えても,たいていはそのまま使える。
「フォールバック」のおかげで,利用者がそうした「規格新旧の差」を気にせずにコンピュータ通信が使えるようになり,ネットが普及してきたような面もあるように思う。
つまり「フォールバック」とは,古い機械で受信できないことのないようにする配慮であり,機能していれば,より多くの人が受信できるようになるはずだ。片や民間企業の「囲い込み」は,「新しい方式で受信してくれる人『だけ』特別扱いする」という真逆の対応のように思う。より多くの人に受信してもらうことを,阻害するとしか思えない。行政やご当地ラジオ局を運営する自治体の首長やらが,「フォールバック」という「配慮」を知らないまま,利益優先の民間企業に「丸投げ」してしまうから,「情報が届かない人」が生まれるのではないだろうか。
★ スクリプトより高機能だった「フラッシュ」だが
ついでに「フラッシュ」と呼ばれるデータ形式のことについて書いておきたい。この形式は,ゲームや「スクロールできる地図」などのような「インタラクティブな」機能……つまり,使う人が何らかの操作をすることによってブラウザの動作に反映するための形式の一種。標準的な「スクリプト」で実現できる操作性に限界があった頃に,ブラウザ上でそうした「インタラクティブな」アプリを作成するために,多く使われていた。ブラウザ製作業者と開発元が別だったため,ブラウザが違っても,同じデータなら同じように動作した。つまり,後述する「ブラウザによる違い」も少なかったこともあって,ブラウザでラジオを聴くサイトなども,この方式を使ったものが多かった。ラジオの音声配信と共に広告画像も一緒に配信したり,その広告と関係ない地域に住む人に聴かせない仕組みを仕込んだりするにも,たいへん便利だっただろう。
ところが,最近はブラウザに元から高度な操作性が組み込まれるようになり,「フラッシュ」の役割は終わりつつある。将来的にもサポートは終了するようで,実際,既に一部でサポートは打ち切られている。
これは,いくら「便利だから」といってその方式に依存していると,古い機械だけでなく,将来的にも聴けなくなってしまう可能性があるということ。「多くの人に聴いてもらいたい」なら,「フラッシュ」よりも前から長く使われていて,「フラッシュ」の機能がないブラウザでも聴ける方式を採用すべきではないかと思う。
★ ブラウザ間の互換性
ウェブサービスを提供するサイトや,通信機器の説明を読むと,よく「サポートするブラウザ」などという記述を見ることがある。そこには「IE(インターネットエクスプローラ)または Edge(エッヂ)のバージョン×以降」とか「Chrome(クローム)×以降」などと記述される。ここで「×」はバージョンの数字を表し,数字が大きいほど新しいことを示す。述べたように,ネットの発達と共に求められるウェブサービスも高度化し,古いブラウザでは正常に機能しなくなる場合もあるので,正常にサービスを利用してもらうため「このブラウザのこのバージョン以降なら正常に動作します」と,「とりあえず」保証する意味がある。
また,「ブラウザ」の名前の違いは開発者の違いを示す。IE および
Edge はマイクロソフト社製,Chrome は Google 社を中心にバージョンアップが進んでいる。これらだけで,かなりのシェアを占めるらしい。そんなこともあって,これらのブラウザを「標準サポート」としているサイトなども多いようだ。
ただ,筆者は前述のどちらも使っていない。
「それら以外に『ブラウザ』って何があるのか」と思われるかもしれないが,筆者が知っているブラウザだけでも,これだけある。
- FireFox(ファイヤーフォックス)
- Opera(オペラ)
- Safari(サファリ:Apple 系御用達)
- Vivaldi(ヴィヴァルディ:Opera 派生)
- Sleipnir(スライプニル)
- Brave(ブレイヴ:Chrome 派生,プライバシー重視)
- Midori(みどり:Safari の元と言われている)
- SlimBoat(スリムボート)
- w3m(文字のみ読み込む特殊ブラウザ)
筆者が特によく使うのは最初の2つ(FireFox,Opera)で,他には,時々 Safari と w3m を使う程度。残念ながら,どれも「サポート対象外」であることが多い。
ウェブ記事は,主に「HTML」という規格で記述されていて,その仕様は国際機関で決められている。筆者が使う FireFox をはじめとして,「ブラウザ」はその規格にそって作られる。ならば,挙げたブラウザのどれであろうとほぼ同じ振る舞いになる「はず」だが……じつは MS 社(マイクロソフト社: 以下同)製ブラウザ(IE,Edge: 以下同)だけは他のブラウザと振る舞いが異なることが多い。つまり,「規格に正しく振る舞わない」のだ。筆者もサイトを運営している手前,自分の作成したウェブ記事がブラウザ上でどう振る舞うのか検証することがあるが,MS 社製以外のブラウザでほぼ同じ振る舞いになることを確認して,MS
社製ブラウザでも同じになるようにしたくても,うまくいかないことが度々あり,対応に苦慮する。
実際,「調布 FM」のところで述べたように,ラジオの音声データを配信する「ストリーミングサーバ」の URL(ウェブアドレス)をブラウザに指定すると,MS 社製「以外の」ブラウザはすぐ音を出せる状態になることが多いが,MS 社製ブラウザではそうはならない。「メディアプレーヤー」という別のソフトが起動し,起動時間がかかるやら,最初に設定が要るやらで,すごく面倒だったりする。ラジオの音声データの扱いは「世界標準」が決まっているわけではないが,MS 社製ブラウザだけ他と違う動作が多いことを示す分かり易い例と言える。
ところが,一般的には,多くのサイトが,その MS 社製のブラウザをサポート対象としてしまっている。規格にそって作られているブラウザが外され,規格と異なる振る舞いをするものがサポートの対象になってしまっているということ。なぜかといえば,単に多くの人が使っているからだ。使い易いからでは「ない」。Windows 搭載パソコンでは元から使えるようになっているうえ,他のブラウザを使おうとすると,ダウンロードやインストールなど手間がかかるため,何となくそのまま使ってしまっているだけの話だ。
MS 社製ブラウザしか使っていない人には気づきにくいが,述べたように,国際規格と微妙に振る舞いが異なるやら,ブラウザだけでラジオが聴けないやらと,細かい点で使いにくい面がある。だから,ある程度パソコンを使いこなしていて,そうした「使いにくい面」を知る人は,MS 社製ブラウザを避けることが多い。そうした人と話をしたり,ブラウザを話題とする掲示板への書き込みを見ると,MS 社製のブラウザを使っている人など「いない」。「手間」とは言っても,ダウンロードとインストールの作業が「最初に一度要るだけ」だから,他のブラウザをダウンロードして使っている人がほとんどだ。
ウェブラジオ局をはじめ自治体や行政のサイトが「MS 社製ブラウザをサポート対象とする」こと,時として「MS 社製ブラウザ『のみ』をサポートする」ような仕様にしてしまうことには,危険性さえ感じる。言うまでもないが,それだと MS 社製ブラウザを使っていない人には,自治体や行政の出す防災情報が正しく見れない可能性が高まるからだ。それだけでなく,多くの人が使うブラウザというのは,ウイルスなどの「わるさ」をするプログラムを送り込む攻撃の絶好の標的になる。その「わるさ」とは,パソコンに入り込み実行されることにより,個人情報を抜き取ったり,「データを消されたくなければお金を振り込め」などと脅迫したりする。それらは「マルウエア」と呼ばれる。ブラウザに,セキュリティをすり抜けられる確率がわずかでもあれば,多く使われているブラウザなら,「下手な鉄砲」式に無差別攻撃すれば「わるさ」の成功事例を増やせる。だから多くの人が使っているほど「絶好の標的」というわけだ。後ほど述べるが,筆者もほぼ最新の MS 社製のブラウザである Edge で,詐欺サイトに誘導されかけたこともあるくらいだ。
他ならぬ「防災情報」である。「イザ!」という時に,どこの誰でも受信できるようになっているべきもの。「ブラウザ間の互換性」を考慮し,とりあえずどのブラウザでも機能するようなサイト設計にしておくべきではないだろうか。そうしておけば,特定のブラウザだけに偏った使われ方も回避できるから,特定のブラウザの脆弱性を狙う「わるさ」のリスクも分散されるのではないか。もし互換性を無視してサポートの対象を限定して,受信者にその「サポートするブラウザで受信してください」と勧めるなら,それはつまり,述べたような「わるさ」をされる可能性を高めることに他ならないような気がする。
★ 「文字情報だけ」ならどのブラウザでも読めるが
また,前に挙げた「w3m」というブラウザは「文字表示しかしない」という特殊なもの。画像やスクリプトの読み込みと実行などは,かなりスッ飛ばしてくれる。おかげで非常に高速で記事を読めるので,緊急時でなくても重宝する。電話回線につなぐ「アナログモデム」といった,古くて遅い通信でも役立つだろうと思われる。
逆に言えば,緊急性のある情報を「画像だけで表示」したり,スクリプトを実行しないと読めなかったり,ましてや「MS 社製ブラウザ」に特化したウェブ記事の仕様だった場合,w3m のようなブラウザが使えても情報が得られない……という事態が起こりうる。
たぶん,そのことで運営側にクレーム言っても「サポート対象の MS
社ブラウザでお読みください」などと言われるだけだろう。そこには,「そんな特殊なブラウザまで対応してられるか!」という思惑が透けて見える。
しかし,他ならぬ「防災情報」の提供で,サポート対象を限定してしまっていいものだろうか。サポートするブラウザを限定し,それ以外の対応を考慮しないということは,つまり「防災情報が受信できない人」を放置することに他ならない。前の台風(15 号,2019)でも,大風で携帯電話各社の基地局のアンテナ塔がダメージを受け,周辺の携帯電話やスマホがことごとく使えなくなったことがあった。そんな時に,固定電話のアナログ回線が生きていて,「アナログ回線で文字だけなら何とか読める」状況があったとしても,w3m のような文字用のブラウザでは「対象外」を理由に情報が得られない……そんなことになるわけだ。
じつは解消するのは複雑なことではない。重要な情報ほど「画像」や「スクリプト」に頼らず,簡単な「文字データ」で提供すれば済む話。
たとえば,今この記事を筆者サイトで読んでいる場合,アドレス欄に表示されている URL の末尾に「.txt」を付加して読み直すと,プレーンテキスト形式で表示される。「プレーンテキスト形式」というのは,「書式」の指定のできない,「ただの文字データ」形式のこと。いわば「本文だけ」で,「文字コード」が何なのか本文中で示す規定もないため,よく文字化けする。文字化けしたら,文字コード(エンコード)を「UTF-8」あるいは「UNICODE」に設定してほしい。ただ,新しめのバージョンの Chrome では,その「文字コード設定」がそのままではできなかったり,また IE ではその「文字コード設定」が正しく機能しないことがあるため,個人的には他のブラウザを使うことをお薦めしたい。
一方,ウェブ記事の標準データ形式である HTML も文字データではあるが,「文字コード」が何なのかを記載する規定があるため,文字化けの心配はほとんどない。文字そのものだけでなく,文字の大きさや色,表示する位置や,「ここに画像を表示する」などのレイアウトの指定も記載することができる。当然,表示する文字と共にそれらの指定も埋め込まれていて,情報の提供者側で「見易い」レイアウトを工夫したり,広告の部分を強調する,といった調整も可能になっている。
ただ,時としてそれが「余計なこと」になるらしいのだ。筆者の記事の存在を知った人から,「プレーンテキストで読めませんか」と要望が来たことがあった。その方,視覚に障害があるのだそうで,普段ウェブ記事は「音読ソフト」と呼ばれるソフトに読ませて「聞いている」らしい。筆者サイトでは,本文以外に,最初のほうに「もくじ」や「関連するリンク」などの案内があるし,他者のサイトの中には,他者記事へのリンクや,時として「広告」が大量に表示されるものもあるが,それらは,じっくり見る必要などない。見て読む人なら飛ばせるが,「音読ソフト」では見えない。とっとと本文を聞きたいのに,最初に「もくじ」を延々読んだり,ましてやズラリと他記事や広告のリンクが並んでいたりすると,いつまで聞かされるか分からず,非常に煩わしいだろう。
そうした「プレーンテキストで見たい」という人のことも考え,筆者のサイトでは「プレーンテキスト」でも記事を読めるようにしてある。ある意味「フォールバック」であり,「バリアフリー」だ。
というか,じつは「もくじ」などと共に「書式指定」された HTML は「プレーンテキスト」を元に作っている。つまり「プレーンテキスト」のほうが「実体」で,HTML はそこに書式を付加しているだけ。興味がある方は,筆者サイトで使っている,その「プレーンテキストを HTML
で供給するシステム」についての記事が以下で読めるので,ご参考に。
何が言いたいかというと,ウェブで「文字だけ」を提供することは,原理的には,こんなにも簡単にできるということ。
「うまく見れない」といったクレームに対して,「指定のブラウザで見てください」といった対応をすることは,どんなブラウザでも見れるような「簡単な文字データでの提供」を拒否するようなもの。つまりは「音読ソフトで聞き易いよう,単純な文字データだけ読みたい」という要望に応えることを拒否するようなもので,「バリアフリー」にも逆行している。その程度の意識でサイトを運営しているのかという感じだ。
ついでに,Chrome と呼ばれるブラウザは,最近のバージョンでは,「アドイン」と呼ばれるソフトを組み入れないと文字コード指定ができないようで,「プレーンテキスト」表示で文字化けを起こしてしまったら,そのままでは読めなくなる。これまた,「バリアフリー」に逆行する対応のようにも感じる。そんな Chrome は,個人的にお薦めしない。
しかし,「文字データ」で提供すればいいだけ……それがなぜできないのか。それは提供側が,述べてきた「フォールバック」のような知識のないまま,民間業者に「丸投げ」してしまっているためではないか。ウェブサービスの仕組みが複雑化しているため,いざ「文字データだけ提供すればいい」と言われても,業者側でその意味が分からない可能性もある。何度も言うが,民間業者は利益優先。業者が,MS 社製などの特定のブラウザに特化した「一緒に広告処理もするスクリプト」を使うことを強いられ,「文字データだけを提供する方法」が分からなかったり,他ブラウザへの対応や,テキスト配信のためのノウハウ取得などに対する手間やコストを惜しんだりすることも十分に考えられる。
★ スクリプトの動作もブラウザにより差がある
前述の「リスラジ」でも,アプリの広告などを前面に表示して,聴きたいラジオ局のリンクを覆ってしまってクリックできなくなっていた。そうしたアプリの広告を前面に出すような仕組みも,「スクリプト」で処理されることが多い。もちろん「クリックできなくする」意図でそうしているとは考えにくい。本来そうした「前面を覆う」ような広告は,数秒間表示した後で自動的に消えたり,どこかに非表示ボタンがあり,そこを押せば消えるようになっていたりしていいはずで,おそらくスクリプトを作った側は,そうしたつもりだったのかもしれない。結果的にラジオ局がクリックできなくなってしまっていたのも,その「スクリプト」のブラウザによる処理の違い,つまり,ブラウザ間の互換性を考慮したスクリプトを作れず,たまたま筆者が使っていたブラウザで,数秒後に自動的に消えるようにしたつもりが消えなかったり,「非表示ボタン」が表示されなかったりした可能性も考えられる。
ただ,それでクレームを言ったところで,「サポート対象のブラウザでご覧ください」と言われるだけだろう。言葉は丁寧でも,意味的には「サポート外のブラウザで見るんじゃねぇ」といった,「見れないブラウザなど使っているほうが悪い」的な対応になるだろう。たぶんそれが現代の情報提供側の意識だ。本来「どんな方法でも」受信できる,つまり,スクリプトが使えようと使えまいと読めるようになっているべきなのが「防災情報」であり,そうしておくことが行政や自治体の役割であり,責任ではないかと思う。要するに「サポート対象のブラウザでご覧ください」と言う対応は,その責任を放棄するようなものだと思う。
ちなみに,「パソコンの OS を入れ替えて使っている」と書いたが,多くサポート対象とされる MS 社製のブラウザは,筆者が普段使っているそれらのパソコンにはインストールできない。「サポート対象」がそれだとすれば,「サポート対象のブラウザでご覧ください」という対応は「お前に見せる防災情報などない!」と言うに等しくなる。
★ 有用なブラウザをサポート外にする愚
ちなみに,前に挙げたもののうち Brave というブラウザは,プライバシーに配慮している点が「売り」という。じつはネット広告業者は,見ている人がどんなリンクをクリックしたのかを,逐一チェックしている。筆者のように,技術系の情報に興味があって,その手の広告リンクをクリックしていると,技術系の広告が多く表示されるようになっていく。それは,どの広告をクリックしたかのチェックに必要な情報が付加され,クリックされるとその情報が「広告業者に」送られているということ。つまり,必要な情報以外にやりとりするデータを増やしているということだ。送受信するデータ量が多くなれば,当然,通信容量の限界が近づき,混み合えば,後述する「輻輳(ふくそう)」が起きてデータがやりとりできなくなる可能性も高める。最近は,役所のサイトなどにも広告が表示されるが,それらの広告がそうした「データ量を増やす」ような仕組みになっていたりしないか,懸念している。調布市のサイトはなぜ見れなくなったのか。「混み合って……」ではなかったか。
Brave というブラウザは,それらを抑制する機能があるらしい。考えようによっては,通信データ量の抑制に役立ちそうな配慮だが,もちろん,残念ながらたいていのサイトでは「サポート外」だ。そのブラウザで「まともに見れない」とサイト運営側にクレームを言ったところで,「サポート外のブラウザで見ないでください」と言われるだけだろう。つまり,通信量を抑えられそうなブラウザはサポート外にされ,リンクに付加された情報をそのまま扱って通信データ量を増やしそうなブラウザをサポートしていることになる。調布市や国土交通省サイトのように「混み合って読めなくなる」のは,送受信するデータ量が多いためだ。データ量を抑制できそうなブラウザをサポート対象「外」とする一方,広告業者が付加した「追跡データ」をそのままゴッソリ扱うブラウザは対象にする。それらのブラウザでやりとりした結果,データ量が増え,イザ台風が来て多くの市民がサイトを見ようとすると,「混み合って」見れなくなるという構図になる。繰り返すが,少なくとも「防災情報」くらいどんなブラウザを使おうと読めるようになっているべきで,それこそ「余計な情報を付加しない」ブラウザでも見れるようになっていれば,多少は「混み具合い」もマシになりそうな気がする。サイト運営側がそこまで考えられなければ,今後も災害が迫る度に「混み合っているので」防災情報が見れなくなる危険性が残り続けるように思う。
◆ 「呪文」と化すセキュリティ
「最新の機器をお使いください」と言う口実として最も引っ張り出されるのが「セキュリティの強化」だ。述べたように,古い機械では新しい規格に対応できないことがある。セキュリティの方式も進化しているから,やはり新しいセキュリティ方式を採用した通信は,古い機械では対応できないことがある。「だから」最近の機器を使えということなのだろう。もっともらしいが,果たしてそうだろうか。
「セキュリティ上の脅威」となるのは何か。筆者が考えるのは大きく分けて以下の3種類。
- 傍受
- 詐欺
- 遠隔操作,乗っ取り
実質的な問題は,これらが「防災情報の配信で」どれほど脅威になるのかだ。個別に考察してみる。
★ 防災情報の配信で「傍受」を防ぐ必要性は?
まず「傍受」は,字の通り,やりとりしているデータを第三者に見られるもの。デジタル通信はコンピュータ同士が1対1で直接つながっているわけではなく,中継する複数のコンピュータを経由しているから,その中継コンピュータにとって,やりとりしているデータは「見放題」だ。また最近は,無線通信も発達し,電波という「誰でも受信できるもの」を使うので,「傍受」もまた簡単にできてしまう。
パスワードなどもそうした仕組みでやりとりされるわけだから,犯罪の温床と化していてもおかしくないところ。ただ,本当に無防備なら,パソコンでお金を扱う「ネットバンキング」など実現するはずがない。そうしたサービスが可能になったのは,それなりに「セキュリティ」の技術が発達したおかげ。データそのままではなく,暗号化してやりとりをすることで,暗号化されたものを元のデータに戻す方法がわからない限り,途中で読み取られても無意味になる。その「暗号化」の方式で,なるべく「元に戻す方法がバレにくいもの」が日夜研究され,無線通信やコンピュータ間のやりとりに組み込まれ,現在に至っている。
ネット上のコンピュータ間では「SSL」と呼ばれる暗号化通信方式が使われる。URL(ウェブアドレス)で「https://」で始まるものがあるが,それが暗号化された接続であることを示す。「ネットバンキング」などでは,必ずその仕組みが利用されて,パスワードなどの重要な内容が第三者に知られないよう対策が図られている。また,無線通信の親機と子機の間では,「WPA-PSK」と呼ばれる暗号化方式などが使われる。
さて,では「防災情報」や,それを伝える「ウェブラジオ」を「傍受されないようにする」必要などあるのか。そもそも「不特定多数の人に聴いてもらう」べきものではないのだろうか。実際,前述した「筆者がよく聴くラジオ局」の配信で使用されている Shoutcast や Icecast という方式では,URL が http:// で始まるものばかりで,セキュリティなどは使われていない。ある意味当然だ。不特定多数が聴くラジオ配信に「特定の人だけに聴かせる」セキュリティ対策など無意味だろう。
★ 防災情報の受信で「ニセ情報」を防げるか?
次に「詐欺」はどうか。パソコンで「詐欺の手口」といえば,ウェブページに,いかにも普段利用しているようなネットバンキングやネット通販サイトのニセの画面を表示し,うっかりそれを正規サイトと勘違いした人がパスワードなどの個人情報を入力すると,それが第三者に伝わり,正規のネットバンキングやネットショップなどで勝手に使われるという手口が多い。あるいは「ウイルスに感染している」などといった,やはりニセの警告画面を出し,ニセのセキュリティソフトを読ませるような手口もあるが,この場合は,そのソフトによって,後述する「遠隔操作」の悪事をするためのことが多い。
この手の脅威で「セキュリティ対策」が重要となるのは,ウェブ記事を見ている人が「ニセのサイト」に誘導されるのを防ぐこと。そのため「セキュリティソフト」では,「詐欺サイト」の情報を集め,利用者がそのサイトから何かデータを読もうとした時に,それをストップさせるなどの対策が盛り込まれたりする。ただ留意すべきは,この方法で防げるのは,既に「アヤシイ」と分かっているサイトだけである点。
さて,では「防災情報」や,それを伝える「ウェブラジオ」を受信する時,その対策は有効だろうか。もちろん,画像をクリックすると詐欺サイトに誘導するようなウェブ記事や,人を騙す目的の発言を放送するようなウェブラジオ局などは,本来はブロックしたいところだが,特に詐欺サイトとして疑われていない,一般的なサイトからの受信データにそうした要素が含まれていた場合は,ブロックのしようがない。いくらコンピュータの画像や音声の認識性能が上がったからといって,そこに掲載されている広告画像に虚偽の内容が含まれることを感知したり,DJ
の「しゃべり方」からそこに騙そうとしている内容が含まれるかどうか判断してくれるセキュリティソフトなどないのだ。だいたい,今問題にしているのは,行政が提供するような「防災情報」や,それを伝えるラジオ局の話。配信元アドレスが分かっていて,広告などが一緒に配信されない「音声データのみ」ならば,そのアドレスを直接指定して聴いているだけで,勝手に「詐欺サイト」につながることなどはないだろう。実際,筆者がよく聴く Shoutcast や Icecast などの配信方式は,公開されているアドレスを音楽プレーヤーに指定するだけだから,変なサイトに勝手につながるようなことなどなく,うっかりクリックしてしまいそうな広告の表示などもない。「ラジオ局」として純粋に音声データを受信している限り,「詐欺対策」のセキュリティ云々というのも,あまり意味がないように思う。
一方「調布 FM」や radiko,「らじる☆らじる」などの現実はどうかと言えば,述べてきたとおり。その「配信元ストリーミングサーバ」のアドレスは公開されていないことが多く,また,広告などの画像も一緒に配信できるスクリプトを使ったものや,アプリ読み込みに誘導されるものも多い。そして,そうした「詐欺サイト」への誘導を仕込む側は,それらのスクリプトやアプリの脆弱性を狙うことも多いのだ。
もう一度言うと,Shoutcast や Icecast など古くからある配信方式で配信されるのは,音声データと,せいぜい曲名と作曲者か歌手の文字データ程度だ。片や,広告が表示され,そこをうっかりクリックしただけで他のサイトに誘導されるような仕組みのある配信方式……「詐欺」に巻き込まれる危険性を高めるのはどちらだろうか。もちろん,新しい機械でなければ新しい「詐欺サイト」の情報を持つセキュリティソフトが使えないことはあるが,そうしたソフトを使っていないからと言って「防災情報やウェブラジオを受信しては『いけない』」理由にはならないだろう。「詐欺サイトをブロックしていない人は防災情報を見聞きしちゃダメ!」ということにはならないはずだ。
★ 防災情報の受信で「遠隔操作や乗っ取り」が起きるか?
では「遠隔操作,乗っ取り」はどうか。前述のように,まずはニセの警告を出すなどで「ニセのセキュリティソフト」を読み込ませ,それを利用者のパソコン上で実行させることで,そのパソコンを乗っ取って,勝手にその利用者のパソコン内にあるファイルを読んで個人情報を抜き取ったり,「送金しないとファイルを消すゾ!」と脅迫したり,あるいは,ネット経由で勝手に他のコンピュータに接続して「犯罪に加担」させる「悪意のあるソフト」が存在する。セキュリティソフトは,それを防ぐため,ソフトを読み込む前に,「詐欺サイト」としてマークされている所から読もうとしていないか,また「ニセのソフト」としてすでに分かっているものではないかを確認する対策をしていると考えられる。
何度も言うように,問いたいことは,「防災情報」や,それを伝える「ウェブラジオ」の受信の時,その対策が必要なのかどうかだ。ほんとに再三言うようで恐縮だが,筆者がよく聴く Shoutcast や Icecast などの配信方式は,配信しているサーバのアドレスが分かっているから,それを音楽プレーヤーか,またはブラウザのアドレス欄に,直接入力するだけで聴ける。ソフトを読み込む必要などない。もしそれで「ソフトを読み込んでください」なんて表示が出たなら,逆に「アヤシイ!」と分かる。もっとも,これも何度も言うように,これらの配信方式はほぼ音声データのみだから,その配信方式によってそうした表示を出すこと自体,原理的に無理がある。そのために筆者は,普段「安心して聴いている」ようなところもある。音楽を聴いているだけの時は,節電のため画面をオフにしていることがあるくらい。広告を見たり画面をクリックすることすらできない。
むしろ,防災情報やウェブラジオを配信するのに「アプリで受信してください」とか何とか言ってアプリを読み込ませて実行させる行為のほうが,数段危険であるように思う。アプリのダウンロード(読み込み)サイトで,さも「ここをクリックすればご希望のアプリが読めますよ」という感じの画像が表示されたのに,じつは異なるアプリのリンクだったりする広告は,よく見かけるのだ。バカスカ気軽にアプリを読み込んで使わないほうがいいし,それをさせるべきでもないように思う。
古くからある配信形式なら,音楽プレーヤーだけ,あるいはブラウザだけで受信できて,防災情報以外の「受信アプリ」などのような新たなデータの読み込みも不要だ。そのほうがよほど安全ではないだろうか。「最新の機械」など必要としないから誰でも聴けるし,防災情報の発信には最適……筆者はそう思っている。一方で,自治体が運営するご当地ラジオ局をはじめとし,民放,NHK など,「必要な情報だけ誰でも受信できる方法で配信する」ことをせず,「セキュリティのため」を口実に「最新の機械で」と要求しつつ,広告画像も一緒に読まないと聴けないとか,時として「専用アプリをダウンロードして受信してください」などと,必要な情報以外のものまで読ませて,どこかをうっかりクリックすると別の記事やサイトを表示するような配信の仕方こそ,逆にむしろセキュリティ上の危険性を高めると同時に,それらに対応できずに災害情報を受信できない人を増やしてしまうように思う。残念だが,ラジオの運営側がこうした点に問題意識を持っていないということだろう。
★ 新機種ほど狙われるセキュリティの矛盾
ちなみに,その「ニセのセキュリティ警告」だが,筆者も一度見たことがある。介護施設に居た時,パソコンを使っていた人がパニクって,たまたま居合わせた筆者が助けを求められた。障害者の訓練で使おうとしていたパソコンが「ピーピーピーピー」とけたたましい警告音を発していた。表示には,ウイルスだか何だかの脅威にさらされているから,「セキュリティを更新してください」というメッセージ。とにかくその警告音がうるさくて,早く止めたいのもあって,うっかりその「セキュリティの更新」と書かれたボタンをクリックしそうだったが,何だかアヤシイ感じがしたため,それは制止した。しばらくその「ピーピーピーピー」状態を我慢してもらい,別のパソコンでその現象について調べたところ,案の定,詐欺サイトにつながっていたらしく,事なきを得た。
じつはそれ,筆者が使っているものよりもずっと新しいパソコンで,使われていたブラウザは,マイクロソフト社製の Edge だった。調べたところ,その Edge と一部のブラウザの脆弱性が狙われ,勝手に「ニセモノ」の警告が表示されるらしい。このように,機器を新しくすれば,結局はその新しいシステムやサービスがまた「新たな脆弱性」を孕む。ウイルスや詐欺サイトなどは,多くの人が使用しているものを狙うわけだから,「セキュリティ強化のために,最新のパソコンを」とか何とか言われたところで,みんながそれを使うようになれば,それが狙われるようになるだけの話だ。
たとえば,以下は最新のパソコンに関係する脆弱性についての記事。「新しいほどセキュリティが強固」なんて幻想だと思っている。
むしろ,ほとんどの人が使わなくなった古いパソコンは,使っている人が減ってしまっているから,それを狙った「ウイルス」を作ってばらまいたところで,感染して悪さができる状態になる可能性は低い。つまり,ウイルスを新たに作る「うまみ」がないため,作られないだろう。
実際,筆者はそう気軽には新しいものを買えないため,古いパソコンの OS を入れ替えて使い続けているが,前述したような「突然ニセ警告が出る」といった詐欺サイトへの誘導は,それらでは見たことがない。「セキュリティのために最新のパソコンを」と勧めるのは,実態をよく知らない人だろうと思う。
確かに,古い機械で新しいセキュリティ規格に対応しないのは,新しい規格を扱う処理能力の限界という面もある。ただその「最新のセキュリティ」は,ラジオ配信や防災情報の提供にどれほど必要だろうか。
つまり「セキュリティのため……」とか何とか言って,最新機を推す側は,「セキュリティ」が何たるか,防災情報やラジオの配信にそれが必要かどうか理解しないまま,「言わされている」に過ぎない。どちらかといえば,サイトの設計を古い機械向けに対応させるコストをかけたくないという面と,そう言っておけば新しい機械を買ってもらえるだろうという,やはり民間企業の営利優先な側面を強く感じる。「古いとセキュリティ上の問題が……」と言えば多くの人が不安に感じるだろうから,メーカーが新しい機械を買わせるにはもってこいの口実だ。新しい機種でないと受信できないような防災情報の提供の仕方をするということは,一部の民間企業メーカーの稼ぎを手助けするようなものではないかと思うが,防災情報を提供する側の公共機関がそれで問題ないのか。「防災情報」というものを「最新の機器でしか受信できない」ようにしてパソコンの買い替えを促し,ある意味「ゴミを増やす」ことに正当性はあるのか。しかも「最新のセキュリティ」対応機器を手に入れられなくて防災情報を受信できない人が出ることになるが,それでいいのか。防災情報を配信する側は,もっとよく考えたほうがいいのではないか。
◆ トラフィックを無駄に増やすサイト設計
調布市や国土交通省のサイトが,見る人が集中したため一時的に見れなくなったのは,「トラフィックが増えたため」とも言える。
「トラフィック」というのは,ここでは交通情報のことではなくて,「データ通信」,特にその「量」を話題とする時に使われる通信用語。
防災情報を「読む側」は,たいしたデータ量ではない。今回も,市の防災情報や水位の図が知りたかっただけだ。ただ,今回のように台風が近づいているような状況になると,それを読みたい人が調布市と多摩川流域にたくさん出るわけで,それらの人が一度に調布市や国土交通省のサイトのコンピュータに「データくれ!」と要求を出すことになる。
通信技術の進歩で高速になったとはいえ,データ通信速度は無限ではない。一度に送信できるデータ量には限りがある。発信元のコンピュータが送るデータ量が増えれば,限られた通信速度で処理しきれなくなる場合も出てくる。多くの人が特定の情報を得たいという時,逆にサイトが表示できなくなってしまうのは,こうした原因。
しかも一旦つながりにくい状況が生じると,ますます悪化する要因が強まる「輻輳(ふくそう)」という現象がよく起こる。つながりにくいと,つながらなかった人たちが,つなごうとする行為を繰り返すため。その行為は,つながりにくい状況が生じた箇所に集中するのは推測できると思う。とすれば,台風が近づいた時に,調布市や国土交通省など,防災に重要なサイトが見れなくなった要因も,容易に想像がつく。今回のような災害時に限らず,たとえば人気タレントのコンサートチケットなどが発売開始直後にサイトがつながりにくくなることがある理由は,もう分かると思う。いずれにせよ「トラフィック」が増えれば,通信に障害が出る可能性が高まるということだ。
災害情報通信において,極力障害が起きないようにすることが重要だと考えるのなら,無用なデータの通信は,極力避けられるべきだろう。では今回のような場合,「トラフィック」を増やす要因は何だろうか。
★ 「広告も見てもらいたい」業者
ただ,ウェブラジオなどのストリーミングは,「つなぎっぱなし」で聴くものだから,「大勢が一斉にラジオを受信する」なんてことになると,むしろトラフィックを増やす要因になってしまうかもしれないが,それはそういうサービスなので,少なくとも「音声データ」の配信だけは減らせない。でももし,音声「以外の」データまで一緒に配信するようなウェブラジオがあったら,それこそ無駄にトラフィックを増やし,通信に障害を生じさせる可能性を高めるのではないか。
述べたように,筆者が主に聴いているウェブラジオはほぼ音声データのみの配信と思われる。ただ,プレーヤーで聴いているとアーティストや曲名も表示されるから,そうした文字データも一緒に配信されているのだろうが,せいぜい数十文字程度だ。
一方,「調布 FM」がなぜ聴けなかったかを考察した際に指摘したように,営利優先の民間業者は,音声の他に広告を表示して,スポンサーサイトに誘導できるようになっていないと聴けないとか,特定の地域の人だけしか聴けないなどの仕組みを組み込んでいたりする。そういった仕組みは,当然ながら,広告画像のデータも一緒に送って表示したり,そこがクリックされた時にどのような処理をするのか,あるいは聴こうとする人がどこに居るのかを確認して,音声データを聴かせるかどうかの判断をするような「スクリプト」や「プログラム」が埋め込まれて,それも一緒に読み込んでいることが多い。時として,文字数に換算して数千~数万文字分ほどのデータ量になることもあるようだ。ただ,広告などは見られなければそれまでだし,たとえ見る人がいても,クリックされなければ,クリック処理のために読み込んだスクリプトも実行されずに,その数千文字分ものデータは「ただ読んだだけ」で捨てられる。もちろん広告というのは,見てくれる人,クリックする人がほんの数人でも居ればいいので,見もしないしクリックもしない不特定多数の人に送られることは宿命のようなものだが,そのために「トラフィック」を増やして,防災情報が欲しい時に「つながりにくくする要因」となることを否定できるだろうか。
考えるべきは,防災情報というのは,同様な危機が迫った状況下にある人たちが,ほぼ同じ時間にその情報を必要とし,読もうとすることがあるという点。そこに,前述したような,防災情報以外のデータが組み込まれているとどうなるか。クリックされるか否か……いや,見られるかどうかさえ分からない広告画像や,受信可能地域を限定する処理のためのスクリプトなど,数千~数万文字分もの「防災と無関係なデータ」も,それら全員に配信されることになるだろう。同様な危機が迫った人たちに「一斉に」だ。通信速度も「無限」ではなく,一度に配信できるデータ量には限りがある。そうした事実を踏まえ,調布市や国土交通省のサイトがなぜ見れなくなったのかを考えて欲しい。もしウェブラジオにそういった仕組みが仕込まれていた場合,それを防災情報が配信される可能性のある放送に使うことに問題はないのだろうか。
★ 不要な「セキュリティ」
他に「トラフィックを増大させる原因」があるとすれば何だろうか。
ウェブアドレスが「https://」で始まるものは,SSL という「セキュリティ」を使った接続を示す。送られるデータは発信者側で暗号化されて,受信した側で元のデータに戻される。中継しているコンピュータがデータの「盗み見」をしても,暗号化されているので,どんなやりとりをしているのか知られるのを防ぐことができる。
ということは,実際に必要なデータをやりとりする前に,その暗号化の「鍵」に当たるもののやりとりが必要になるであろうことは,容易に推測してもらえると思う。
次の図は,セキュリティを考慮しない一般的な HTTP のやりとりと,SSL によるセキュリティを考慮したやりとりの比較。
▼ SSL では通常の HTTP より送受信データが増える |
実際は,どちらもこの前後に「サーバが通信可能か」の確認と,通信終了を知らせるやりとりがあるが,それらは省略して,重要な部分のみ図示したもの。
セキュリティ保護のない通常の HTTP 通信では,「データくれ!」と「リクエスト」を出せば,「はいどーぞ!」といった感じで「レスポンス」……つまりデータが送られて来る,そんな程度のやりとりで済む。
一方,セキュリティを考慮した SSL 通信では,やりとりするデータを「暗号化」して,中継するコンピュータなどに内容を傍受されないようにする。そのため,本来やりとりしたいデータの前に,暗号化で使う「鍵」にあたるデータのやりとりが必要になる。まず,SSL でやりとりしたいことをサーバに通知すると,サーバ側から「秘密の箱」に当たるものが届く。データを要求する側は,これからするやりとりを暗号化するための「共通の鍵」を作って,その「合鍵」を箱に入れて送り返す。箱の中のデータは,箱を作ったサーバ以外は見ることができないようになっている。これにより「共通の鍵」を両方が知ることになり,以降,目的のデータはその「共通の鍵」を使った暗号化でやりとりされる。
なお,パスワードなど重要なデータをサーバに送る時,相手サーバが本当に正しいものであり,詐欺などではないことを確かめたい場合は,その「秘密の箱」にあたるデータが実際に相手のサーバが所有するものであるかどうか確認する仕組みがある。と言っても,もし「騙そう」としている相手だったら,「本物ですか?」と訊いて「じつは詐欺です」などと返信が返ってくることなどない。「騙そう」としている相手ほど「本物ですよ」と言うだろう。つまり,相手が本物かどうかの確認を,相手サーバに訊く仕組みではダメで,「第三者」が担う仕組みになっていないと意味がない。ネット上では,それを「認証局」と呼ばれる部署が担っている。「(デジタル)署名業者」と呼ばれたりもする。
いずれにしても,SSL では「データくれ!」……「はいどーぞ!」という単純なやりとりでは済まない。本来必要なデータ以外に,暗号化の「鍵」に当たるデータのやりとりが必要になるうえ,相手を確認したい時には,「署名業者」とのやりとりも必要になる。
その SSL 接続を標準的に扱う傾向が強くなってきたのは,ここ数年のような気がする。その「数年前」に,どこかの検索業者から「SSL を使っていないサイトは検索対象としての順位を下げる」的な発表を聞いたようにも思う。つまり「その頃から」だ。
しかし,「セキュリティ」の節でも述べたように,では「防災情報」のデータに SSL の接続を使う必要があるだろうか。そうした情報は,むしろ不特定多数の人に知らしめられるべきものではないのだろうか。自治体や省庁が,そうした公共性の高い情報をサイトやウェブラジオなどで提供するのに,SSL を使って「傍受を防ぐ」意味がどれほどあるのか。SSL を使えば,その「鍵」のやりとりなどの通信が増える分だけ,「トラフィック」もまた増やすことになると思われる。何度も言うが,防災情報というのは,同じような危機が迫っている人が「特定の情報を一斉に読もうとする」可能性がある。そんな時,発信側だけではなく,「署名業者」への接続も増加することになるだろうから,トラフィックを増やす分,むしろ通信に障害を起こす可能性も高めてしまうような気もする。何よりも「増水した河川や大雨が降っている地域に済む人」が一斉に要求する可能性のある情報に,「送信側,受信側」だけでなく,そこに「署名業者」とのデータ送受信も増えることになり,「どこかがダウンしたら防災情報が手に入らない」といったリスクも増やすように思う。そもそも,公共性や緊急性のある災害情報の通信に SSL を使う必要性など感じない。「検索結果は,SSL サイトを優先する」と言うのは,あくまで民間の検索業者の都合であって,「防災情報」を提供するサイトがその都合に沿う必要などないように思う。
ただ,そうした情報の配信に SSL を使う利点が,少なくともひとつ考えられる。それは「情報の発信元が明確になる」こと。「署名業者」には,データの発信元を証明する役割があるわけだから,SSL でやりとりできるということは,つまり「マサに」発信元から発信されたデータであると確認できることになる。読んでいる記事が,該当のサイトから正しく発信されたものか,デマやフェイクニュースやらが紛れ込んでいないかの判断が,ある程度可能になると思われる。
にしても,やはり「最新の SSL」まで必要なのかどうかは疑問。新旧互換性の問題でも指摘したが,SSL 規格もまた日々進化しているので,新しい方式に対応できないパソコンが出てしまうこともある。「だから最新のパソコンで読んでね」と言いたいところだろうが,問題なのは,それを言っている限り「防災情報を見れない人」が出てしまうことだ。述べたように,「多くの人に知ってもらいたい防災情報」の公開のために,「読めない人が出る」ような最新の SSL を使う必要性がどれほどあるのか。発信者は,よく考えて配信方法を決めるべきではないか。
★ すぐ読めない「PDF」
もう1つ指摘しておきたいのは「PDF」だ。
今回の台風は,自宅より下流の世田谷区もそうだったが,実家近くでも「氾濫」が起きた。ただ,それを知ったのは,実際に氾濫が起きてしばらく経ってからだった。なぜすぐに気づかなかったかというと,情報が PDF で提供されていたため,ブラウザに「パッ」と表示しない状態だったことが一因にあると思う。
ネット記事の閲覧ソフトである「ブラウザ」で直接扱えるのは,述べたようなウェブラジオなど一部の音声規格と,何種類かの画像,それと
HTML,プレーンテキストなどの文字データだ。中には PDF を表示できるものもあるが,じつはブラウザに元から備わる機能ではなく,後から付加されたものであることも多くて,PDF をブラウザで見る時は,表示するソフトを内部で呼び出す処理が必要になる。しかも,呼び出されたソフトが表示するわけではなくて,「ブラウザからデータを受け取り,ブラウザで表示できるよう加工する」仕組みのことがあり,その場合は表示が遅いことが多い。筆者が使用している機械では,PDF 専用の閲覧ソフトで見れば数秒で表示するファイルも,ブラウザで見ると数十秒~数分と,ザッと十倍以上の時間がかかることがザラにある。
台風のあと,各自治体が公開している「ハザードマップ」がそれほど見られていなかったというニュースがあったが,原因のひとつに,公開されていた「ハザードマップ」の多くが,PDF であったことがあるのではないかと考えている。述べた通り,PDF だとブラウザ内部で処理するプログラムが起動するまで待つか,あるいは一旦保存してから別アプリを起動してそれで見ることになる。いずれにしても「起動」が必要で,よほど高性能なパソコンでなければ,クリックして「パッ」と見ることはできない。そうした時間や手間のかかる作業を,避難方向などを調べなければならないほど差し迫った状況では「ない時」にする人がどれくらいいるのかは疑問だ。
ただこの場合,差し迫った状況に「なった時」には,とても見ていられない。筆者は事前に見てはいた。「差し迫って来たら見ているヒマなどないな」と気づいていたのもあるが,そこに,PDF を見るいくつかの方法のうち「最も早く見る方法」を知っていたことも大きい。じつは,PDF の閲覧ソフトには,ファイルを開く際,ウェブアドレスを直接入力すると見れるものがあって,それで見るとブラウザよりも早く見れる。ただ,その方法では見れないソフトもある。「今のうちに見ておこう」と思う人がいたとしても,その中にこうした「PDF を早く見れる方法」を使える人がどれほどいるのだろうか。知らなければ,表示に時間がかかるようなことは後回しにされる可能性のほうが大きくなるだろう。
後述するように,PDF にするとサイズが大きくなる。画像を PDF 化しただけでも,様々な情報が付加される。しかも,一般的に「地図」の画像は,自身の住む場所と離れた地域まで含むことも多く,その膨大な画像データを読むために時間や手間をかける……そうしたことに抵抗を感じても不思議ではない。実際に見れるまで時間や手間がかかるほど,見ようとするモチベーションも低下し,見てもらえる可能性も減る。
いずれにせよ,時間や手間のかかることは避けられるのである。
述べたように,古いパソコンでは高度な地図の機能は使えないから,仕込むことができる機能は,「地域名をクリックするとそこの地図画像を表示する」くらい。でも,むしろそのほうが「直ぐ見れる」だろう。
比較的古いブラウザでも「クリッカブルマップ」という機能は使えることが多い。これは,見ている人が画像をクリックした時に,どこがクリックされたかをサーバ側に伝える機能。広い地域の地図を表示して,その画像のどこがクリックされたかで,該当する地域の地図画像だけを読むようにしたほうが,見る人は多いのではないだろうか。ただやはり問題になるのは,マップの公開を民間業者に「丸投げ」していた場合,実際に古いブラウザへの対応をその「業者が」するかどうかだ。
PDF 内に書かれている文字は,検索業者によって検索対象にする場合としない場合があるようで,たまたま検索対象にしていない検索業者で防災情報を検索した人は,当然その PDF を見つけられない可能性がある。また,検索対象にしていたとしても,じつは PDF という形式は,ファイルの中の文字が読むべき順番通りに並んでいないことがあって,その場合は検索してもその部分に合致するものとして扱われない可能性も出てくる。たとえば PDF に「多摩川」と記載されていても,「多」と「摩川」の間で改行されていたり,ページをまたいだりしていると,そこに「改行」や「改ページ」を示す特殊なデータがはさまった状態でファイルが作られる可能性がある。つまり「多〈改行〉摩川」といったデータの並びになってしまい,「多摩川,氾濫」で検索しても,PDF 内の文字の並びと合致せず,その PDF は検索結果に表示されない可能性が高まる。
さらには,そうした文字の並びは,視覚に障害を持つ人が使うような「音読ソフト」では,正確に読んでくれない可能性も高くなる。挙げた「多〈改行〉摩川」の例では,〈改行〉は「空白」として扱われることが多い。するとそこが「区切り」として扱われ,「たまがわ」と読まずに「おお・まかわ」などと読まれる可能性がある。それを音読ソフトで聞く側は,防災情報を正確に把握しづらくなる。
PDF という形式がよく使われるようになった背景として,どんな機械でも,印刷したものと同じ状態を見れる……つまり,誰でも同じ書面を見れるという点がある。最大の利点ではあるが,その反面,ワープロなどで作成した元の文書よりも,データの大きさがかなり大きくなってしまうことが多い。なぜかというと,「誰が見ても同じになる」ように,フォント……つまり「文字の形状」のデータもファイルに収録されるため。ワープロソフトで編集するための文書ファイルでは,通常は文字の「形状」のデータまでは収録されない。だから,作成したものとは別の機械で見ようとすると,たとえワープロソフトが同じだったとしても,フォントデータはパソコンに搭載されているものが使われるため,作成した時に使ったフォントがそこに入っていないと,文字の形状が違ってしまう。それを避けるため,PDF という形式では,文書内で使われている文字の形状データ=フォントデータもファイルに収録するようになっている。そのため,どの機械でも同じ書面が見れる。
じつはそれだけではなくて,作成した人の名前や所属,編集に使ったソフトと PDF 生成に使ったソフトの名前,紙面の大きさ,また時として「ブックマーク」と呼ばれる,文書内にある「しおり」となる目印など,PDF には,そうした文字として読める内容以上の「表示されない」情報が多々収録されるようになっている。
これが何を示すか……つまり,PDF という形式では,最低限必要とする情報よりもずっと多くのデータ量を読み込まないと,見ることができないということになる。
PDF を使うことによって読むデータ量を冗長する要因は他にもある。
PDF という形式も日々進化している。……ということは,「新旧互換性」でも述べたように,やはり古い機械では,最新版の PDF は「読めない可能性がある」ということ。防災情報の発信に使う「べき」形式なのかどうか,その点でも疑問だ。
そのため,PDF で公開している記事の中には「アドビリーダー(閲覧ソフト)が必要です……こちらからダウンロードできます」と,最新版を使うようリンクが掲載されていることがあるが,つまりは文書本体のデータ以外に読む必要があるものが存在するということ。これは,場合によっては,読むデータ量を増やす……つまり「トラフィックを増やす要因」になると思う。確かに今どき PDF の閲覧ソフトがないパソコンなどめったにないから,それを見た人全員が最新版を読むことなどないだろうが,もしその PDF が新しい規格で作られていて,読もうとした人の機械がある程度古く,その規格に対応していなかったら,結局その最新版を読み込んで,インストールして使えるようにする作業が必要になる。「防災情報」ともなれば緊急性の高い状況も考えられるが,そうした手間と「読み込むデータ量」を増やす可能性のある情報提供の仕方でいいのかがまず疑問。しかも,それで素直にインストールできればいいが,「新旧互換性」でも述べたように,その人の機械が古過ぎると,最新版の閲覧ソフトが「インストールできない」可能性さえ出てくる。そうなると,読み込んだデータと時間,通信料などを無駄に使わせてしまうことになる。しかもそれは,実際に試すまで「インストールできない」と分からないことも多い。ちょっと前に「危険が差し迫っていない時に見る人がどれほどいるか疑問」と書いたが,実際に差し迫ってから「避難方向はどっちだ?」と思って PDF のハザードマップを見ようとした時「見れない!」と気付いたのでは,手遅れになる危険性がある。
さらに,視覚に障害がある人などは「音読ソフト」というもので記事を「聞いて」いることがあるが,それまで使っていた「音読ソフト」が閲覧ソフトの最新版に対応できるかどうかという新たな問題も起きる。インストールした最新版に「音読ソフト」が対応していなかった場合,それまで聞けていた PDF も,全て聞けなくしてしまう可能性もある。たたでさえ限られる視覚障害者の情報源をさらに減らしてしまいかねない。最新の防災情報を聞こうとして最新版をインストールしたら,今まで聞けていた PDF も全部聞けなくなった……では,元も子もない。
いずれにせよ,PDF を使うということは,「トラフィックを増やし,情報が届かない人を増やす」可能性があるように思う。
何より,防災情報というのは「緊急時」に読まれる可能性が高いということを,防災情報を発信する側はよく理解して欲しいところ。PDF も便利なのかもしれないが,防災情報というのは,多くの人が直ぐ読めるように配慮されていてしかるべきではないかと思う。
◆ 「トラフィック」を増やさないためには
今回の調布市や国土交通省のサイトも,「全然つながらない」のではなく,「混み合っているので……」という文字は表示された。つまり,そうした「文字だけの情報」のような,少ない量のデータにしぼれば,ひとり当たりに送信するデータ量が減らせるわけだから,限られた通信容量の中で,より多くの人に情報を配信できる可能性がある。
そうした意味では,調布市のサイトは「しばらくしてから読み直してください」とだけ表示するような設計ではなく,たとえ混み合っても,防災情報だけでも簡単な文字データで読める記事へのリンクは引き続き掲示するくらいの仕組みがあってよかったのではないかと思っている。まぁ,そうなっていなかったのは,サイト運営の「上の人」にその意識がないまま民間に「丸投げ」され,その丸投げ先にも,そうした配慮や防災の意識がなかったのであろうことは,容易に想像できるが。
実際,国土交通省の「川の防災情報」サイトの場合,水位の「図」は表示されなくなってしまったが,水位の「値(数値)」を示す文字だけの情報は,その後も確認し続けることができた。残念ながら,測定器が壊れたのか何なのか分からないが,最終的にはその数値も見れなくなってしまっていたが。
では,どうすればこの「トラフィック」を減らせるかを考えてみる。
★ 「スクリプトを無効にする」と早くなるが
読む側でできる対策もあることはある。
述べたように,正しい表示がされない……見て分からないような記事は,図などのレイアウト機能や,スクリプトがブラウザに合っていないことが原因の場合も多い。筆者の場合は,「文字だけブラウザ」である
w3m のようなものを使えば,図やスクリプトなど全部スッ飛ばして文字だけ読み込んで表示させて見たりできるが,そうした特殊なブラウザを使えない人は,代わりに「スクリプトを実行しない」設定ができる場合がある。ウェブページを表示する前の処理やら,表示途中で画像などのデータを追加で読み込む処理などは,「スクリプト」で行われることも多いため,そのスクリプトの機能を切ると表示が早くなることがある。
その設定の仕方はブラウザによって異なるため,ブラウザの設定画面を探してみて欲しい。
もちろん,「スクリプトで」防災情報を読み込むようなウェブ記事の場合,「スクリプト」を機能しないようにすれば,当然「防災情報」も表示されなくなってしまう。やはり防災情報の提供に「スクリプト」を使った方法は避けたほうがいいように思う。
実際,筆者が使っているパソコンのひとつは,ブラウザのスクリプトが普段から無効にしてある。「裏処理」的なことをしないため,余計な広告画像も読まないので,一般的なパソコンと比較して表示スピードが格段に早い。が,最近それで東京都の「新型コロナウイルス」についての情報サイトを見たところ……真っ暗だった。「強制的にダークグレーの背景にしてある」ことも要因なのかもしれないが,だいたい,ウェブ記事の規格である HTML には,スクリプトが機能しない時に,代わりに表示する部分を含ませることができるようになっている。本来はそこに「(スクリプトが無効で)見れない方はこちらへ」などと,簡易な記事への誘導があってもよさそうな気もするが,それも見当たらなかった。
ちなみに,そのコロナウイルスについての記事をスクリプトを有効にして見たところ,レイアウトがぐちゃぐちゃで,何が書いてあるのだか分からなかった。これもたぶん,述べたようなブラウザ間のレイアウトやスクリプトの動作の違いを考慮した記事デザインにしておらず,特定ブラウザ向けのウェブ記事設計をしてしまって,他のブラウザでも正しく表示されるかどうかを確認していないことが原因と思われる。もしもその記事に,どういった環境にいた人に感染が多いかとか,どういった体調だった人が重症化しているかといった情報が含まれているのなら,それらをより多くの人に知ってもらってこそ「感染拡大防止」につながるのではないかと思う。ならば,特定のブラウザでしか正常に見れないようなデザインにせず,様々なブラウザで見る人を考慮されていていいような気がするが,そこまでして伝える気はないということか。実際,外出自粛が要請されていると知らない人がちらほら居るというニュースも見かけた。何であれ,「情報がまともに見れない」状態があるまま,情報提供側が「知らせた」つもりになっているうちは,「知らない人」が残り続けるのは当然だろう。
そんな具合だから,当然,その記事を視覚障害者が使うような「音読ソフト」で聞いた時,どこをどういった順番で読まれるのかなど分かったものではない。そのまま何の対策もされていなければ,視覚障害者がそこでコロナに関する情報を得るのはむずかしそうだ。情報提供のし方として,「バリアフリー」の観点でもどうなのか疑問。せめて,実際に聞けば分かるようになっていて欲しいところ。
ついでに言っておくと,コロナの関連で,最近「低収入の個人事業主向けに補助金が出る」とか何とか話が出たので,ひょっとすると筆者は「もらえる?」かと淡い期待を抱き,調布市や都のウェブページを見てみたが……例によってレイアウトが崩れたりして,どこを見ればいいやら分からなかった。
たぶん,このことでどこにクレームを入れたところで,回答は分かりきっている。「最新の機器をお使いください」とか,「サポート対象のブラウザでご覧ください」とか言われるだけだろう。
とすると,その補助金についての記事を見れるのは,「サポート対象のブラウザが使えるくらい新しい機器を持っている人だけ」ということになる。逆に言えば,その「新しい機器」を手に入れられないほど生活がギリギリの人は,「補助金」についてウェブで調べても見れないわけだ。これだと,「補助金」のことをウェブで知って申請までに至ることができるのは「新しい機器」を手に入れられる程度に収入のある人の側だけになってしまうわけだが……何のための「補助金」なのだろうか。
繰り返しで恐縮だが,筆者の収入では,その「新しい機器」など気軽には手に入れられない。もしその「補助金」の手続きがウェブで確認などが必要な場合,このままだと筆者は「蚊帳の外」ということになる。
筆者のことはともかく,述べて来たように,障害者は,自分の障害に合わせて使っているソフトが新しいパソコンに対応できないなどの理由で,古いパソコンを使い続けている可能性がある。すると「障害者向けの補助金」の案内記事があっても,その「最新のブラウザでないと見れない」ような公開の仕方をしていては,そうした人はいつまでも見れないことになる。これは「コロナ」云々とは関係ない話,つまり,「知るべき人が知られない補助金」が既に存在している可能性もあるわけだ。
でもお役所からは,「ウェブ記事で告知をした以上,それでも補助金の申請をしなかった人のことなど知らない」と言われそうな気がする。お役所としては,「見れない人」が多いほうが,「補助金」を出さずに済むし,手続きもせずに済むから,ラクできる。だから,別途「誰でも見れる」サイトに設計し直す手間をかけてまで,広く知らしめることもしないような気がする。きっと「最新の機器をお使いください」とか,「サポート対象のブラウザでご覧ください」などと言い続けるだろう。
まぁ,「補助金」云々に限らず,告知のためのウェブ記事が,最新の機械向けとか,一部企業のブラウザ向けに特化したデザインにされて,古いブラウザやサポート外のブラウザで見ると,都のコロナ記事のようにスクリプトが機能せず必要な情報が表示されなかったり,レイアウトがぐちゃぐちゃになるようでは,その「最新の機械」を気軽に手に入れられない人は,どんな情報も知ることができなくなるのは確実。そうした意味でも,ブラウザを特定した仕様やスクリプトに「頼った」サイト設計は避けるべきだと,筆者は思っているわけだが……。
それとも,「低収入だろうと障害者だろうと,最新のパソコンだけは使える」こと「前提で」情報提供をしているのか。残念だが,それだと「見れない人がいる」サイト運営に税金が浪費され続けるように思う。
そうした意味でも,「ブラウザに依存しない文字中心の配信サイト」をもっと重視してもいいのではないだろうか。文字中心なら,図を使うよりもずっとデータ量は少なくて済むし,スクリプトも使わなければ,さらにデータ量を減らせる。限られた「トラフィック」を有効に使うことにもつながるだろうから,「混み合って……」で受信できなくなることも減り,防災情報が受信できる人を増やせるはずだ。
なによりも,筆者サイトの記事を「音読ソフトで聞くためにプレーンテキストで欲しい」というリクエストが視覚障害者からあったように,「文字データだけ」で提供するのは「バリアフリー」でもあると思う。
「カラフルな図や凝った機能のあるスクリプトを使ったウェブ記事が読める」状態か,さもなくば「お待ちください」と表示されるだけで,他に何も読めなくなるか……そうした両極端なサイト設計でいいのか,防災情報を提供する側はよく考えてほしい。「水位の数字」と,あとはそこに「警戒水位超え注意!」程度の「文字データだけで見れる」ようなサイトの設計を考えてもいいのではないだろうか。
★ 配信元サーバの負担を減らす「プロキシサーバー」
他の方法としては,「プロキシサーバー」を利用するという方法もある。閲覧者が使うパソコンなどに,この「プロキシサーバー」の設定をしておくと,読みたいデータはまずそのプロキシサーバーに要求が出され,プロキシサーバーは,閲覧者が読みたいデータを配信元から読んで手元に一旦保存して閲覧者に送る……という,いわば「中継サーバー」みたいなもの。何がいいのかというと,同じプロキシサーバーの設定をしている人が,直後に同じデータを読む要求を出すと,配信元のデータを読みに行かずに,手元に保存してあるデータをその人に送るようになるので,配信元のサーバの負担が減る。たとえば,プロキシの設定をしている人が「国土交通省の水位の図を見たい!」と要求を出すと,まずプロキシサーバーが国土交通省のサイトからデータを読み,手元に保存したうえで要求者にも送る。同じプロキシの設定をしている「別の人」が,「直後に」同じ図を見たいと要求すると,その時はプロキシに保存してあるデータを要求者に送信して,国土交通省サイトには読みに行かないから,サーバの負担が減るわけだ。大雨の時,川の水位が気になる人は流域に大ぜいいるだろうが,そうした方々が一斉に同じ図を読もうとしても,同じプロキシの設定をしていれば,国土交通省のサーバ負担はかなり減らせることになる。
ただこの方法は「両刃の剣」。想像力が働く人はもう気づいていると思うが,「最新のデータは読めるのか?」という点が問題になる。一度読んだデータがいつまでもプロキシの中に残っていると,「今の」水位を見たいのに,ヘタすると何時間も前の図を読まされたりしてしまう。もちろん,これには対策があり,データ提供側で「有効期限」を付けることができるようになっている。サーバ側から提供するデータに関わる情報を付加する仕組みとして「レスポンスヘッダ」と呼ばれるものがあり,そこにデータ有効期限を指定できる。プロキシに保存されたデータが有効期限を過ぎていたら,それは使わず配信元から読み直して要求者に送ることになる。国土交通省の水位データは 10 分ごとに更新されていたから,「レスポンスヘッダ」に次回の更新時刻を指定しておけば,プロキシ経由でも最新の水位を知ることができるようになる。ただし,「プロキシで有効期限の管理が正しくできていれば」の話だが。
もうひとつの欠点は,「同じプロキシの設定をしている人との間でしか有効ではない」という点。だから,「プロキシ」というものを知らないでネットを使っている人が多い現状では,プロキシはあまり有効ではないのかもしれない。せめて同じ接続業者(携帯電話業者やプロバイダなど)を使っている人が,その接続業者にある同じプロキシの設定ができれば,その利用者が一斉に同じデータを読みに行っても,プロキシが全ての利用者に届けてくれるから,配信元はその業者のプロキシに1度データを送るだけで済む。すると,災害時に起きがちな「輻輳」のようなトラフィックの混雑を緩和できる可能性も考えられる。だから,接続業者側にそうした仕組みがあってもいいような気もするが……実際はどうなのだろうか。それは業者のみぞ知るところだろう。
ただ,防災情報を提供する側は,せめてその「有効期限」情報を常に付加しておくようにすれば,プロキシを「使っている人」の分だけは,サーバの負担を減らせるかもしれない。
★ 配信元でサーバの負担を減らす手段
情報を提供する側でできる他の対策として,CDN(Content Delivery
Network)というサービスもあるらしい。これは,述べた「プロキシ」を世界規模に拡大したようなもの。このサービスの提供をする業者は,世界各地に情報を保存/提供できるサーバを置き,データの要求があった地域に一番近いサーバから提供をすることで,全体的な負担を減らそうという仕組みとか。ただ,利用可能なのは,静的データ……つまり,時間経過によって変化しないものに限られるようだが。たとえば,一度掲載したら変わることのない「結果報告」のようなウェブ記事なら利用できるが,今回のような,刻々と変わる「川の水位データ」などではむずかしそうだ。そもそも多摩川周辺の状況を知りたい人が「世界中に」居るとも思えないし。
使うとするなら「ミラーサーバー」あたりだろうか。同じ内容を提供できる予備のサーバを置いて,適当にそちらに割り振るような使い方。たとえば,「本機」とは別の回線につながる場所に設置した「副機」のサーバに,自動的に本機と同じ内容になるような仕組みを入れておき,そっちに適当に割り振ることで,アクセスをそれぞれ半分にはできる。もちろん,同じ通信回線を使っている部署の中に置いても意味がない。異なる回線につながる場所に「ミラーリング」し,適度に「割り振り」ができるようにしておくことが必要になるだろう。
★ 「テキスト」による情報提供の問題点と回避策
結論としては,やはり「文字だけの提供にする」などの方法でデータ量を減らし,同じ通信容量でも多くの人に届くように工夫するのが最善ではないかと思う。
ウェブ記事の標準形式である HTML は,本文の文字以外にも,画像の配置や文字の色,大きさの指定ができ,複雑なレイアウトなどの情報も含んでいる。前述したように,規格の新旧やブラウザの違いにより表示に差が出ることもあり,最悪まともに表示しない可能性もある。一方,「文字だけ」の形式は「プレーンテキスト形式」と呼ばれるが,本当に「文字だけ」で,画像はもちろん,文字の色や大きさの指定さえできない。かろうじて「レイアウト」として,スペースと改行が使える程度。しかもそれは,文書を作成した側で入れた文とスペースと改行が,ほぼそのままの順番で表示される。だから,基本的にプレーンテキストでは「レイアウトが崩れる」といったことは起きない。視覚障害者が「音読ソフトで聞く」場合,色や大きさなどは関係ないうえ,HTML の複雑なレイアウトでは,読む順番が聞きたい順番と必ずしも合っていないこともあるのに対し,「プレーンテキスト形式」なら記述された順番通りに読まれる。文書作成時に文の順番がちぐはぐにならないよう気をつけられていれば,「音読ソフト」で聞き易いのは理解してもらえるだろう。
だから防災情報も「プレーンテキスト形式で……」と言いたいところだが,プレーンテキストの最大の欠点は,「文字化けを起こし易くて,起きてしまうと読めなくなることがある」という点。
じつは,古いパソコンで読めなくなることはなかった。「文字化け」の原因は「文字コード」の扱いが作成者と閲覧者で異なってしまうために起こるのだが,ブラウザに,閲覧者が文字コードを指定して表示させる方法が用意されていたのだ。
残念ながら「い『た』」という過去形だ。Chrome(クローム)と呼ばれるブラウザの最近のバージョンでは,文字コードを設定し直して読み直す機能が「そのままでは」使えなくなってしまっている。文字コードの設定をして読みたい場合は,使用者側で「アドイン」と呼ばれる追加機能を読んで設定しないといけない。また IE(インターネットエクスプローラ)と呼ばれるブラウザでも,文字コード(エンコード)の設定画面はあるものの,正確に反映されず,やはり文字化けを起こしてしまうことがあるのを確認している。こちらも,文字化けしてしまったら,やはり「プレーンテキスト形式」は見れない。
じつは,どちらのブラウザも「サポート対象」とされることが多く,しかも筆者が使っているものよりずっと新しいバージョンのものの話。「読めないぞー!」というクレームに対して,「サポート対象の最新のブラウザをお使いください」と言うのなら,そのブラウザにしても読めなかった場合の責任は「お使いください」と言った側にあると思うが。そこまで考えて言っていないなら,それは無責任というものだろう。
ただ,既に述べたように,筆者はそのどちらも使っていない。強制するつもりはないが,使うなら他のブラウザをお薦めしたいところ。
妥協案としては,「準プレーンテキスト」という方法もあることはある。と言っても「準プレーンテキスト」とは,筆者が勝手に言っているだけだが。いわば HTML とプレーンテキストの「いいとこ取り」みたいなもので,プレーンテキスト並に容易に作れて,HTML 並に文字化けしない方式。避難や防災などの情報を「迅速に作成でき,かつ確実に読んでもらえるよう公開したい」時の手段として,「準プレーンテキスト」を知っておきたいと思った方は,以下を参照のほど。
◆ サイト設計上の問題のまとめ
昨今の通信事情は,様々な利権が絡むことで,「防災情報を受け取れない人」を増やしているような気がして仕方がない。
本来,「防災情報」のような命に関わる情報を配信するのであれば,「多くの人が受信できる方式」が採用されていてしかるべきだと思う。「多くの人が受信できる方式」とは,「どんな機械でも直接受け取れるデータ形式」であり,たいてい「以前より使われて来た」方式だ。ところが,述べてきたように,昨今のウェブを使った記事やラジオ音声は,「最新の」通信方式や機器のみサポート対象としてしまうことが多い。
すると筆者のように,事情があって古い機械を使い続けているような者は,そうした「最新の」方式で配信される「防災情報」を受け取れなくなる可能性が出てくる。
一方,その「最新の方式」というのは,記事なら文字だけにとどまらず,ラジオなら音声データだけにとどまらないことも多い。広告の画像と,それがクリックされた時の処理や,ラジオを聴く地域を制限するためのスクリプト,時として受信専用アプリを読ませたりなど,配信する側の思惑で,防災情報と直接関係のない様々なデータが上乗せされる。
利益を優先する民間業者側は,広告を見てクリックしてもらいたい。ウェブラジオなら,たとえ「誰でも聴ける方式」であろうとも,「広告表示ができない」とか,「広告に関係のない地域の人も聴ける」ような方式は採用しないだろうし,別途「誰でも聴ける」方式で配信するようなコストもかけたくない。だから,筆者のように「最新の機械」が簡単に手に入れられない者が,「ウェブラジオが聴けなかったぞ!」などとラジオ運営側にクレームを入れたところで,誰でも聴ける「古い規格」に合わせて配信すると,コストがかかるやら,広告やスクリプトなども仕込めなくなるやらで面倒。だから,そうしたクレームは門前払いして「最新機器を持っている人ならみんな聴けているだろうから問題ない」と一方的に解釈し,事情があって古い機械しか使えない人は見捨てたほうがラク,ということになる。「最新の機器でお聴きください」といった対応は,そうした意味だろう。
しかし,前述のように,業者が好む配信方式は,「防災情報」の記事や音声以外の様々なデータが上乗せされる。当然,通信量を増大させる原因になる。送信するデータ量が増えるから,イザ台風や大雨になり,防災情報を「見たい,聴きたい!」という人が増えた時に,関連サイトの送信容量を超える可能性を高める。一旦超えると「輻輳」が起きて,通信障害につながる可能性も高め,結果として防災情報を手に入れたい時に「混み合って見れない,聴けない」事態を発生させる原因になっているような気がする。実際,調布市サイトも国土交通省の水位の画像も見れなくなった。防災情報提供の体制が,これでいいのだろうか。
ひょっとするとラジオ運営側は,最新の機器で聴けない者はごく一部と思っていて,防災情報を聴けずに逃げ遅れるのはさらにその一部だろうから,その程度は大雨で川が氾濫して流されても構わないと思っているのだろうか。述べてきたように,古い機械でも見たり聴いたりできる方法はある。「流されても仕方ないね」と思っていないなら,まずその方法……つまり「最新の機器ではなくても聴ける方法」を採用し,防災情報を聴ける人を増やしていいはずだ。ただ残念ながら,ラジオ運営を「丸投げ」された営利優先の民間企業は,述べてきたような広告の表示や聴く人を制限するような小細工を「したい!」から,小細工を仕込めない「古い配信規格」は採用しない。だから,古い方式しか聴けない人には「新しい機械を手に入れられないならあきらめてね」というような「門前払い」の対応で済ませるのだろう。一方で,「上の人」がどんなに防災情報を「広く伝えたい」と考えていても,丸投げされた業者からは,「最新の機器を持っていればいくらでも聴けますよ」とだけ伝えられて,「古い機械では聴けない人が出る」ことは伝えない。こうして,聴けない人が残り続ける構図が固定化されているような気がする。
浸水した地域で「流されずに済んだ人」とはどんな人だか考えるべきだろう。流されかけたものの助かった(救助されたりとか,何かにしがみ付いていて流されずに済んだ)人を除くと,「適切に避難できた人」ではないのか。では,避難が適切にできた理由は何か。危機を察知する「勘」が鋭かった人もいるかもしれないが,それはほんの一部だろう。つまり,多くの人が助かる道は「防災情報をしっかり得る」ことではないだろうか。近くで氾濫したとか,堤防が決壊したなどの情報が得られれば,「ヤバい! 避難しよう」ということにもなるだろうが,得られなければその機会は失なわれ,それで流されてしまうのではないか。
繰り返しで恐縮だが「死人に口なし」なのだ。あちらこちらで洪水の被害が増加し,流されてしまう人も出ているが,流された人が「ネットの記事が見れていたら流されずに済んだのに!」とか,あるいは「ラジオが聴けなかったから逃げ遅れたんだ!」とクレームを言って来ることなどないのだ。そうしたクレームが(流された人から)来ないのをいいことに,丸投げされた利益優先の業者が「最新機器でなければ防災情報が得られない」ような状態を放置している限り,流される人が出る要因も残り続けるように思う。防災情報を提供する側が「責任」を感じるなら,そうした「流されてクレームを言えなくなる人」が出ないようにすべきではないのか。つまり,防災情報は,種類や新旧を問わず,「様々な手段と受信機器で得られる」ようにしておくべきだろう。
● 防災や観測システムに対する疑問
ここからは,ハードウエアや,人的システムについて考えてみたい。
「携帯電話やスマホ向けの情報提供に偏り過ぎではないか」と書いたが,もちろん,たとえ携帯電話やスマホを持っていても,「近くの水位計測点が観測不能になる」など,正確に測定値を得られない状態が起きるようでは,「イザ!」って時に役に立たない。
何より,「平常(水位ゼロ)」の表示を見た時はおどろいた。直前まで,「警戒水位」を超えた数値を見て,ハラハラしていたのだから。
ネットで「平常」という表示を「たまたま最初に」見た人が,「平常なわけがないだろ。故障だ」という判断を必ずしもするとは限らない。重大な問題だと思うことは,もし「平常」の表示を見て安心してしまったことが原因で避難が遅れ,流されて亡くなったり行方不明になる人が多数いたとしても,「なぜ犠牲者が多かったのか」を検証するのはむずかしい点。「だって『平常』って表示を見て安心していたら,流されて死んじゃったの」などと証言してくれる犠牲者などいないのだから。
こういうことを言うと「ずっと見ていれば『異常』と分かるだろ!」と思う人もいるだろう。その通りだ。「ずっと見ていた」人は気づく。しかし,ずっと見ている人ばかりではない。ウェブサイトというのは,いつでも誰でも見れるもの。たまたま「水位ゼロ」と表示された時に,初めてそのサイトを訪れて数字を見た人は,「なーんだ,何とかなったんだ。やはりこの国の治水は優秀だ!」と思い込み,そのまま安心して寝てしまう可能性もある。筆者はひとつ上流や下流の水位も見て,実際は平常ではなく観測不能になった可能性があると判断したが,それだって,それまでもずっと水位が増え続けていたのを見ていたからこそできた判断。最初に「平常」の表示を見た人が,そのように「念のため」にひとつずつ上流と下流の観測点も調べるに至る慎重派が,どれほどいるのか。
述べた通り,実際に氾濫で流されてしまった人が,「いやぁ~『水位ゼロ』を見て安心して寝てしまって……」と証言してくれることなどない。言い方を換えれば,観測不能となった時「水位ゼロ」と表示されるシステムが犠牲者を出す……出していた可能性さえあるのではないか。
◆ 忘れられていく「フェイルセーフ」
「フェイルセーフ」という工学用語があるが,最近は「死語」となりつつあるような気がして,懸念している。
「フェイルセーフ」というのは,簡単に言うと,「損失の少ない壊れ方」をするように設計すること。たとえば「ヒューズ」という部品は,家電製品が故障によって電流が過剰に流れるようになってしまった時,「そこが真っ先に断線する」ことで,本体が大きなダメージを受けるのを防いだり,過剰な電流が流れたままになって機器が加熱され,火傷や火災につながることを防止できる。
かつて手が不自由になってしまった入院患者さんのナースコールについて相談を受け,某病院に呼ばれたことがあった。通常のナースコール用スイッチを持てないため,筆者が「手のひらを置いて,指を横に動かせば使える」ようなスイッチを提案して,作成したのだった。ちょっとおどろいたのは,その病院のナースコールの設備に「メークタイプ」のスイッチが使われていたこと。「メークタイプ」とは「呼び鈴」のような一般的な押しボタンスイッチで,押している間だけ導通する仕組み。ただ,ナースコールで使うのは一般的ではないと考えていた。「メークタイプ」の反対は「ブレークタイプ」と呼ばれ,通常は導通していて,「押した時に導通が切れる」仕組みで,ナースコールのシステムは,その「フェイルセーフ」の観点で,このタイプのスイッチが使われるのが一般的だろうと考えていた。なぜなら,そのスイッチを使うと「導通が切れた時にコールが鳴る」設計になるわけだが,すると,当然「故障で断線した時もコールが鳴る」ことになるから,その時にボタンを押していなければ「故障した」と気づける。逆に「メークタイプ」のスイッチでは,故障で断線しても「押す時まで気づかない」ことになる。いや,最悪「故障に気づかないまま押し続ける」ことになってしまう。緊急時に使われる可能性もあるナースコールに「メークタイプ」のスイッチを使うことには,こうした「押す時まで断線に気づかない」状況が起こりうる危険性がある。その時は,「病院がこんなシステムを採用していて大丈夫なのだろうか」と思ったのだった。
ついでに言わせてもらうと,もし筆者が,この病院かナースコールの製造メーカーに就職していたら,どうなるだろう。筆者からはこう言うと思う。「このナースコールじゃダメです。ブレークタイプのスイッチを使うものにしなければ,『フェイルセーフ』の観点で危険です」と。さて,受ける待遇は以下のどちらだろうか。
- 「その通りだ」と評価され,早速ブレークタイプが検討される。
- 「新入社員のクセに我が社の実績を否定するとは何サマだ!?」と思われ,追い出される。
「ナースコール」という機器が人命に関わる可能性がある点を重要視すれば,組織として正しい対応がどちらなのかは明らかだ。しかし,今の日本の組織から実際に受ける待遇は,それと違うほうではないのか。人命尊重を主張すると,低収入に甘んじるしかないのが今の社会だ。
話を水位に戻そう。今回の水位計の場合,もし観測不能となった時,「ゼロ」ではなく,「水位 999m」と値が出る設計になっていたらどうだったろうか。高尾山もスカイツリーも水没する値。誰もが見て「故障だ」と気づくだろう。ただ,そこまで設計ができていれば,ウェブ上では「999m」ではなく「測定不能」と表示することもできるだろう。今回のように「閉局」とするなら,測定不能となった「時点で」,「ゼロ」ではなく「閉局」と表示される設計にすべきだったように思う。
◆ 「ヒューマンエラー」前提で考えるべき
「川の防災サイト」で水位の図が見れなくなって以降,観測点の水位の数値だけが見れる国土交通省のサイトを見ていたが,そこでは,直前数回分の水位も「必ず表示」して読めるようになっていた。この場合は「水位が突然平常(0.0m)になった」ことが見て分かるが,実際にそうなるとは考えにくいから,ある程度「異常が生じた」と判断できるかもしれない。
しかし,世の中には様々な考え方をする人がいる。日本の治水技術を過信した人が,突然の「0.0m」の表示を「どっかの放水路が適切に機能して安全になったのだろう」などと勝手な解釈をしないとも限らない。
おそらくは Yahoo! の水位のサイトも,同じデータから画面を作っていたと思われる。初めて見るその画面で「平常 0.0m」の表示「だけ」を見て,「なんだ,安全じゃん」と解釈してしまう人が,やはりいないとも限らない。「異常」が起きたのなら,明らかに「異常」と分かるような表示になるようにしておいたほうがいいはずだ。
この「0.0m」の表示をパッと見ただけで「大丈夫だ」と判断してしまう「思い込み」のように,人間側に主な要因のある問題は「ヒューマンエラー」と呼ばれる。人間に「絶対」はなく,間違いを起こすものなので,これをゼロにすることはできないが,限りなくゼロに近づける工夫が求められる。ある意味「フェイルセーフ」というのも,その点を考慮した設計にすることでもあると思う。
「水位ゼロ」を見て大丈夫だと「思い込む」ようなヒューマンエラーは,場合によっては「逃げ遅れ」につながり,「人命に関わる」ような「大きな損失」を出してしまう事故につながりかねない。防災上重要な機器やシステムの設計こそ,「ヒューマンエラー」をどう抑えるのかに重点が置かれた設計をされていてしかるべきだと思う。
たとえば「鉄道」。
以前,仕事で「南砂町(みなみすなまち)」という駅までよく行っていた。仕事場近くの出口が一番前にあったため,いつも一番前の車両に乗っていたのだが,その駅に着く直前,必ず「ピーピーピー……」という音が聞こえていた。その手前の駅までは聞かない音だ。
たまたま運転席を見たら,何となくその理由が分かった。音が鳴ると同時に,制御盤の「普通」という表示が点滅していた。じつはその駅,快速電車の最初の通過駅。運転手に「これは『快速』ではなく『普通』電車だから,停車せよ」という確認を促すアラームだと思われる。
どんなベテランの運転手でも,ある時は「普通」,ある時は「快速」の電車を運転していたりすると,混乱する可能性はゼロではない。筆者は快速に乗ったことがないのだが,もしかすると,快速も同様にアラームが鳴って「快速」の文字が点滅し,「通過すべき駅だ」と伝えているかもしれない。場合によっては「別な音」のアラームで。
間違って駅を通過したり停車したりしたところで人の命に関わるとは思えないが,「降りたかった駅を通過され,出席すべき会議に出られなかった」ような利用者が多く居ると,それなりの「損失」を与えてしまいかねず,信用低下につながる。駅の「直前」で,運転している列車の種別が何であるか確認を促すその仕組みは,「ヒューマンエラー」により多くの人に損失が出ることを防止するために役立っているはずだ。
「鉄道」と言えば,昔は「タブレット」と呼ばれる仕組みがあった。「懐かしい!」と思った人は,それなりの歳の人。筆者は,子供の頃に地方の路線で使われているのを見たことがある程度。今「タブレット」と言うと「タッチパネル式のコンピュータ」のことだが,鉄道で使われるタブレットは,進行線路を切り替える時,切り替えレバーを操作する時に使う小さな部品のことで,それをレバーの所定の場所にハメ込まなければ,線路が「切り替えられない」ようになっている。その部品は,ポイント切り替え前にはそこにはなく,そのポイント近くの駅に停車か通過かする列車が持っている。その列車がその駅に来てポイントを通過し,タブレットを駅員に渡してレバーにハメ込まなければ「ポイントが切り替えられない」仕組み。つまり,列車到着前に「うっかりポイントを切り替えてしまう」ようなことを不可能にしている。列車が間違った方向の線路に入ってしまうと「衝突」が起きてしまう可能性もあるが,この仕組みはそうした事故の防止になっていた。この「タブレット」も「ヒューマンエラー」を防ぐうまい仕組みだった。「だった」と過去形だが,まだ使われている地方の路線もあるかもしれない。興味を持った方は,「鉄道,タブレット」あたりで検索してみるといいと思う。
★ 形骸化する「検査」
ただ残念ながら最近は,そうした「ヒューマンエラー防止」のための設計が軽視されつつあるような気がして仕方がない。ここ数年のうちに起きたことで言えば,自動車メーカーの検査飛ばしや,新幹線の台車の亀裂,ビルの免震機構用ゴムの性能改ざん,基礎杭が地下の岩盤にまで届いていなかったために傾いたビル,建築基準が満たされていないことが発覚し,建て替えのため多くの住人が追い出されたアパート経営企業……と,いずれも「安全性」が最重要視された対策がとられていれば,起こりそうにないことばかり,立て続けに起きているような気がする。いったい,そこに乗る人や住む人を何人危険にさらしていたのか。
挙げた例は主に「改ざん」や「偽装」など,意図的なものも多いが,そもそも,製品試験の手順の誤りなどで,意図せずして起きる可能性のある「ヒューマンエラー」を防止する仕組みになっていれば,防げたものもあるのではないだろうか。たとえば製品検査であれば,複数部署の担当者により試験され,それぞれの結果が別の担当者によって照合される……そんなシステムであれば,誰かひとりが検査方法を間違ったり,あるいは検査結果を不正に改ざんしたりすれば,照合結果が合わなくなるから,直ぐに発覚するだろう。そこでキチンと,該当する製品の出荷に「待った」がかかるようになっていれば,「危険な製品」が出荷されることなどないはずだ。
しかし,今「メーカー」が躍起になっているのは「コスト削減」だ。複数回,複数人数で検査するとコストがかかるため,検査は1回,担当者も一人にする。その担当者も,長い間その部署で部品を見続けて来たようなベテランを割り当てると高くつくから,そういう人はリストラしてしまい,派遣社員や短期の契約社員を割り当てたり……と,いくらでも「見落とし」が発生し易く,「改ざん」も可能な状態になっていく。このようにして,どんどん「ヒューマンエラー」が起き易いシステムになって来たのではないか。それでも,適切にフィードバックされるのならいい。つまり,その「検査」が厳格に行なわれ,不良品が出たことが発覚した時に,現場の責任者の指示で,なぜ不良品が出たのかの原因が徹底的に調べられ,製造ラインに潜む原因が特定され解消されるなど,確実に改善に活かされる仕組みなら,どんな人が検査しようと問題はない。が,もしそうした「不良品を出さない」使命を「パワハラな者」が担ってしまうとどうなるか。そうしたタイプの人は,不良品がなぜ出たのかの原因を調べずに,「不良品を出すな!」と,現場の人に「圧力」をかけることで解決しようとするのではないか。いざ不良品が出た時,製造工程に関わる人かどうかに関係なく,現場で「検査する人」を強く責めまくるようなことになれば,責められた側は,自分に製造上の責任があるわけでなければ,たいした報酬でもないのに責められるのは割に合わない。だったら,数字だけでも試験をパスしたよう見せかけることが,責められずに済む「得策」ということになる。こうして「検査」の意味が形骸化していき,その「綻び」の「連鎖」が,最近連続している不祥事の根底にあるような気がする。
「コスト削減」を名目にベテランを切った経営者の尻拭いを,末端で働く人や製品の利用者がさせられている……といった構図に見える。
★ クレームを受け付けず「フィードバック」が働かない
そうした意味では,一般向けに公開される「防災情報」の伝達システムというのは,その「フィードバック」を構築しづらいというのはあるかもしれない。おそらく,防災情報を発信する自治体や行政は,様々な方法で発信しているだろうが,各発信方法ごとに「末端の人がその方法でどの程度受信できているか調べる仕組みを作れ」と言われてもパッと思いつかない。とはいえ,それはある意味,その方法の配信に費やした税金が「役に立っているのかどうか」でもあるわけだから,何とかその仕組みを作っておかないと,その発信方法で「正しい」かどうか評価されないままになり,今回のように「防災情報が末端に届かない」状態が放置されてしまい,税金を無駄にし続けてしまうのではないか。
じつは「フィードバック」に当たるものも,あることはある。それが「クレーム」だ。「防災情報が見れなかった」とか,「防災情報サイトを見たものの,どこをクリックすればいいのか分からなかった」とか,「ウェブラジオがどうやっても聴けなかった」などのクレームは,そうした情報提供のシステムが適切に機能せず,防災情報が行き届かない人がいることを運営側に知らせているようなもの。本来なら,情報を受け取れない人を減らす改善のためのいい機会になるはずだ。
しかし! 運営側の対応というと,「最新の機器をお使いください」とか,「サポート対象のブラウザでご覧ください」などという,実質的な「門前払い」になることが多いと思われる。「きっと最新機器を手に入れられない人などごく少数だからいいだろう」的感覚で,防災情報が行き届かない人を減らすことにつながっていないのが現実ではないか。
なぜそうした対応になるかといえば,やはり民間企業に「丸投げ」をしてしまうからではないか。何度も言って来たように,営利優先の民間企業は,利用者を「囲い込み」できる方法を好み,コストがかかることを嫌う。たとえばウェブラジオの配信方法なら「広告も一緒に表示してクリック受け付け可能な方式」を採用し,一方で「誰でも聴ける方式で同時に配信する」ようなコストはかけたくない。ウェブ記事なら,様々なブラウザでレイアウトが正しく表示できるようにしようとすると手間がかかるから,特定のブラウザを「サポート対象」とか言って指定し,他での表示は確認せずに済んだほうがラク。そうした状態を長く温存させたい業者は,クレームを受け付けるとその対策やら改善やらが必要になるから,クレームは少ないほどいい。その点では,クレームが来てもそれを「上げない」担当者ほど重宝されるだろう。「クレーム担当」とか言われて任されても,実際にはクレームに「対応せず」に門前払いして,「上に上げるほどのクレームはない」ということにしてしまう者のほうが,上の者から見れば「クレームを『減らしてくれる』優秀な者」として評価が高くなり,現場にそうした者を好んで就かせる傾向が強くなっていったとしても不思議ではない。
しかし,そうした慣習が長く続くとどうなっていくだろうか。部品の検査飛ばしを長年見逃してきた自動車メーカーに似たような構図を感じる。ひょっとすると,そこでも「検査を通らない数値を出さない人」が「優秀な者」だったのではないか。そしてもし,それら「高い評価」の人たちばかり経営者に引き上げられたら,どんな経営になるだろうか。
本来「検査」とか「クレーム処理」など,適切に「フィードバック」されることで改善を進める上で必要なことが,「ヒューマンエラー」や意図的な不正,門前払いなどでスルーされる可能性が,いくらでもあるようなシステムであってはいけないと思う。しかし,最近の経営者は,そこまで考えていないように見える。実際,述べてきた不正でどれほど「経営者の責任」が明確にされて来たか。残念ながらその手のニュースは見たことがない。
「クレーム」を活かす「フィードバック」が適切に働かないと,改善すべき点が分からないままになる。それが防災情報の配信システムでの話なら,「防災情報が受信できない」とクレームする人がいても,解消されずに残ることになるわけで,最終的にそうした人が洪水で流されてしまう可能性も消せない。そして,何度も言うように,実際に流されてしまった人が,「防災情報が受信できなかったから流されてしまったんだ」などと証言はできない。つまり「フィードバック」が適切に働かないと,改善されずに死人が出ていたとしても,調べようがないのだ。
「クレームが多い」ことと,「クレームがほとんどない」こととで,どちらが好ましい状態なのだろうか。一概には言えないが,ちょうど,学校からの「いじめの『報告が』多い」ことと,「いじめの『報告が』ほとんどない」こととで,どちらが好ましい状態と言えるのかと対比させて考えてもいいように思う。
◆ 「責任回避」の手練手管(てれんてくだ)
筆者はフリーランスなので,どこかの企業や団体,チームの一員となるような仕事の仕方はあまりないが,それでも「報・連・相」くらいは知っている。「チームの一員」として働く時に重要になるのは,周囲との「報告,連絡,相談」であるという話……意味的にダブっている感じがしなくもないが。
筆者は障害を持つ人にパソコンを教えることがあるが,家族と離れて入所施設で暮らしている方への指導で,メールで連絡がつく家族には,指導後にその日のようすをほぼ毎回報告している。離れた場所で暮らしているわけだから,その日の状況など,本人から家族へのメールなどだけでは分からない部分の補足にもなるだろうと考えているのだが……。
★ 行政には通用しない「報・連・相」
一方,神奈川県では,今回の災害の救援で町役場に到着した自衛隊の給水車が,県からの派遣の要請がなかったことを理由に撤退するということがあったらしい。どうやら給水車の派遣は,まず県が検討し,それで間に合わないと判断した時に自衛隊に要請を出すことになっていたらしく,この時は間に合いそうだったため,県から自衛隊に派遣の要請を出さなかったらしい。ただ,実際に県の給水車が到着したのは,自衛隊撤退後5時間ほど経ってからとか。夏場の暑い時期だったら,その間に脱水症で体調が悪化する人が出てしまっていた可能性もある。
ちなみに,この事例について神奈川県は「お詫び」を掲載している。内容から察するに,自衛隊の給水車が既に到着していたことを把握していなかったような感じだ。もし到着を知っていたら,現場の自衛隊員に「ではそのまま給水をお願いします」と要請していたのかもしれない。
それにしても,現場にいた町役場の職員も自衛隊員も,直ぐ給水可能である旨を県側に伝えなかったのか。あるいは,伝えたけど県側が無視したのか,気付かなかったのか。「報・連・相」を密に連携することが防災システムに組み入れられていれば,そこに居た人たちは5時間も水を我慢せずに済んだかもしれない。
ただ,「なぜ5時間もかかったのか」を詳しく検証するような記事はまず見ない。まぁ,あんまり詳しく調べると「責任問題」になるから,お役人はやらないのかも。実際,この手の「不手際」では,「お詫び」とか「真摯に受け止め……」などといった文言は出てくるが,「ではどうするのか」的な内容はほとんど見たことがない。「どうすればいいか分からなかった」と言える状態を残しておけば,「どうすればいいのか分からなかったのなら仕方ない」と思ってもらえるから,たとえ犠牲者が出たとしても,責任を重く受け止めずに済むと思っているのだろう。
しかし,それだから根本的な問題が残り続け,そのうち本当の犠牲者が出るのではないかという気がする。いや,出ているのかもしれない。ただ,何度も言うように,実際に犠牲になった人は,生き返りでもしない限り,何も証言することはできないのだ。今回のような,町役場という「誰もが見ている」場で,脱水症状で倒れる人でも居れば分かるが,たとえば「一人暮らし」や,人里離れた地域に住む人に連絡が行き届かず,脱水症状でひっそり犠牲になったりすると,証言が聞けないから,「何の」犠牲になったかは検証のしようがない。「給水車が来ることを知らなかった」などと証言が聞ければ,「報・連・相がしっかりできていれば助かったのかも」と分かるのかもしれないが,生き返ることなどない以上,こうした「お役所の連携不足」のような原因は,うやむやになっていくのが常だと思う。
★ 氷山の一角=「ハインリッヒの法則」
「ハインリッヒの法則」というのがある。1:29:300 という比率で,1件の大事故の「前」には,少なくとも 29 件の中事故と,300 件ほど小・未事故(ヒヤリハット)があるというもの。「だから,その 29 や
300 の対策をしておくべき」という意味もある。給水車の件も,結果的に誰も脱水症で倒れた人はいなかったから「いいじゃないか」ではなくて,「へたをすると脱水症で倒れる人がいた『かも』」の段階で「報・連・相」の連携がしっかりとできるような手を打つべきだと思うのだ。
ウェブラジオや防災情報提供サイトに対する「受信できないぞー」という「クレーム」もそうだ。1件クレームがあれば,受信をしたくてもできずにあきらめている人はその 30 倍ほど,そして,クレームするまでもないが,受信できるようになっていれば,そこから防災情報を得て助かるかもしれない人が,さらに多い 300 倍いる可能性があるという解釈もできる。逆に言えば,末端で「受信できれば役に立つ(のに受信できない)」人のうち,「受信できない」とクレームする人は 300 分の1ということ。1件のクレームを「最新の機器で受信してください」と門前払いすることが,どれほど防災情報の周知を妨げている可能性があるのか,考えたほうがいいと思う。
★ 「浸水が想定されていない」の意味
「どうすればいいか分からなかった」と言える状態を残しておけば,「どうすればいいか分からなかったのなら仕方がない」と思ってもらえるから,責任を重く受け止めずに済む……などと書いたが,当事者からは「そんなことはない!」と反発されそうだ。
では,この例はどうか。
今回の台風では,ハザードマップで浸水被害が想定されていなかった川でも氾濫が起きたらしい。もしそこで被害に遭った人がいた場合に,行政としてどう対応することになっているか。「想定していなかった」地域だから,そこで被害が出ても「行政側に責任はない」で済ませるのか,あるいはそこまでではなくても「責任は全くないとは言わないが,重くはない」という解釈をしたりはしないだろうか。
しかし,どこが氾濫する可能性があるかを正しく判断・公表してこそ「防災」であり,行政の責任なのではないだろうか。だいたい,ハザードマップで「浸水は想定されていない」となっていた箇所だからこそ,安心してそこへ行って犠牲になってしまう人も出るのではないか。逆にハザードマップで浸水が予想されていたにも関わらずそこへ行って犠牲になった人に対するそれと,行政の責任としてどちらが重いのか。これだって,そこで流されてしまった人が「ハザードマップで浸水が想定されてない場所と確認したのに!」と証言してくれることはないのだ。
「『浸水は想定されていない』というのは,そういう意味ではない」と言いたい当事者もいそうだ。しかし,「ヒューマンエラー」について述べた時,「ゼロ: 平常」の水位表示をどう解釈されるのかを思い出してほしい。「そういう意味ではない」と言われたところで,ではどういう意味なのかまで理解できるような「ハザードマップ」になっていなければ,読む側の都合で解釈されてしまう危険性があるということだ。
単に「浸水は想定されていない」と言った場合,以下の2つの解釈が考えられる。
- 十分に調査・検討した結果「浸水は想定されていない」
- 調査や検討が不十分なため「浸水は想定されていない」
後半部分が同じでも,前半の違いで意味合いがかなり違ってしまう。前者は「安全」を宣言するに近いが,後者だと「不明」の意味になる。記載した側は後者のつもりでも,読んだ側が前者の解釈をしてしまうと……つまり,「浸水するかどうか分かっていない」場所を「浸水しないと想定されている」と解釈されれば,そこへ行ってしまう人が現れて,最悪,犠牲者が出てしまう可能性もある。この後半部分だけ「ハザードマップ」などに記載していたりしないだろうか。あるいは,前半部分が記載してあったとしても,落ち着いて全体を見ないと気付かないような掲載のされ方だったりはしないだろうか。「ハザードマップを見る人は全員が落ち着いて全体を見るはずであり,『慌て者』は見ない」なんて一方的な前提を元にして「ハザードマップ」を作る意味などあるのか。異なる解釈ができてしまうような記載は避けるべきだろう。
もし「浸水は想定されていない」という言葉を,「浸水するかどうかの判断をどうすればいいか分からなかった」といった意味で使っていた場合,亡くなった人が証言できないのをいいことに,「どうすればいいか分からないと言える状況をあえて残しておいて,責任を重く受け止めずに済むようにしている」……そう思われてしまう危険性がないだろうか。そう思われたくないのなら,「(浸水の可能性を)想定できなかったこと」に責任を負うべきではないかと思うのだが。
★ 生活保護申請に「来ていなかった」の意味
この記事を書いている時にも,東京都江東区で,高齢の兄弟が困窮死しているのが見つかったというニュースがあった。料金の滞納のために電気やガスも止められていたようで,栄養失調や低体温が死亡原因だったらしい。区の職員は「これまでの取り組みが不十分だったとは思っていない」と述べているそうだ。つまり,「区は十分に取り組んでいたのだから,それでも亡くなった2人は仕方がない」と解釈できる。筆者は「取り組みが十分ではなかったから死者が出た」のではないかと思うのだが,少なくとも江東区の役人の言葉からはそういう解釈はできない。
「生活保護」の申請には来なかったという話。しかし,遺体が「私は行っていません」と喋るだろうか。つまり「来ていない」というのは,あくまでもお役所側の主張。果たしてそれは,「申請に行ってさえいなかった」ということなのかどうか。たとえ申請に行っても「門前払い」できる条件をつきつけ,「生活保護申請を認める条件を満たさなかった人は,『申請をしに来た人』として扱わない」ことにしておけば,記録を残さずに済む。つまり,お役所側で作った規定を適用し,「手続き上は」いくらでも「申請には来なかった」ことにできるのではないか。
何度も言うが「死人に口なし」である。生活保護の申請に来ても,誰だか分からないうちに「門前払い」して記録に残さないようにすれば,誰が応対したのかも分からないし,死んでしまえば「申請には行ったのに」という証言もされなくなるから,役人は責任を取らずに済む。何より,生活保護費を税金から出さなくて済むうえ,たとえ死者が出ても,自分たちで作った規定さえ「十分に」守っていれば「取り組みは十分にやってきた」と主張できて,役人は「負い目」なく税金から報酬を受け続けられる。「十分な取り組み」というのが,どこまで考えてあるものなのか説明する必要もない。「困窮」に瀕する人たちがどういう状況に置かれているのか,という「末端」を詳しく調べずに,お役所の都合で作った「困窮度の評価方法」を一方的に適用し,「それで分からなかったのだから不十分ではない」と言っているだけではないか。たとえば,「失業保険が受け取れる期間の人は『困窮者』としては扱わない,だから生活保護対象にもできない」という「きまり」を作っておけば,体調不良で失業した直後の人が,「まだ動けるうちに」と思って生活保護の申請に来ても,失業保険の受給期間中は「申請に来た人」として扱わなくて済むことになる。こうしたルールを作っておいて一方的に適用していれば,いくらでも「困窮者などいない」ことにできる。
そもそも,体調不良で辞職した場合,失業保険が切れた頃には動けなくなってしまう可能性もある。そうなってからでは,生活保護の申請になど行きようがないのではないか。そんな人にとって,失業直後こそ,生活保護の申請に行ける最初で最後のチャンスになってしまう可能性もある。一人暮らしの人がその機会を逃してしまうと,料金の滞納で電話も使えず,連絡手段が断たれてしまっていたら,「死」を待つのみだ。申請に来てくれた機会を逃さず,来れなくなってしまいそうな人を感知できる……つまり,死に瀕してしまう可能性を「想定」して,その人が動けなくなる前に手を差し伸べることができる仕組みこそ,「十分な」取り組みではないだろうか。死者が出たということは,そこまで十分ではなかったからだろうと筆者は思うのだが,自分たちがして来た「取り組み」で感知できなかった人が死んでも「(死を)想定できなかった人だから仕方がない」かのように,「取り組みは十分だった」とサラリと言えてしまうのが,今の役人の神経だ。
こうしたことは,「取り組みが不十分だったから死者が出たのだ」という認識を持って,「どこが不十分だったのか」を検証し,その不十分だった部分を修正できなければ,また同じことが起きるように思う。
もう一度言う。亡くなった人が証言できないのをいいことに,「どうすればいいか分からないと言える状況をあえて残しておき,責任を重く受け止めずに済むようにしている」……そう思われたくないのならば,「想定できなかったこと」に対し責任を負うべきではないのだろうか。そうでない状態は,どう解釈されるか。その「想定できない人」を残しておけば,「想定できなかった人」には生活保護を支給せずに済むから支出は抑えられるし,そうした方が何人亡くなっても,「生活保護申請に行ったけど追い返された」などと証言されることもないし,内部規定は「十分に守っていた」のだから,取り組みは「不十分ではなかった」と言えて,責任は取らずに済むし,自分たち役人は一銭も減額されずに税金から報酬を受け取り続けられる。「想定できなかったことは責任を負わずに済む」ことが前提にあると,「亡くなってくれたほうがお役所にとって好都合な点が多く,しかも責任も負わずに済む状態が温存できる」ことになるように思う。これをどう解釈されるかだ。
そしてこの記事を書いている時点で,江東区長だけではなく,都知事も,厚生労働省も,この件で責任云々について言及した話は聞いていない。「同じ穴のムジナ」というヤツだろうか。あるいは,たとえ死者が出ても「取り組みは不十分ではなかった」と,サラリと言ってしまうくらいだから,もしかして実際に「生活保護の対象者ではない人は,申請に来たものとして扱わない」といった内部規定があって,それを十分に守っていた以上は,「上に報告するまでもない」……といった解釈をしているかもしれない。「上に」その詳しい経緯を知らせることさえしていないとすると,その「上」……つまり,区長やら都知事やらが改善を指示する機会もないだろうから,死人が出るような「内部規定」が存続し続けるのではないかという気がする。
★ 「疑わしきは罰せず」が正しくないシチュエーション
こんな書き方すると,さも「生活保護を支給したくないから,犠牲者が増えるよう,『生活保護の相談に来た人として扱う必要のない条件』をあえて設けている」ような主張に受け取られるかもしれないが,筆者は実質的にはそうではないかと思っている。……なんて言うと「証拠はあるのか?」と問い詰められそうだ。たしかに,「生活保護の対象者を減らすために犠牲者が出るようにしているのでは?」というのは,あくまでも「疑い」であって,断定はできない。
「疑わしきは罰せず」という言葉もある。死に追いやるような条件を「あえて」設けるようなことを本当にしたのかどうか,「疑わしい」というだけで決めつけるべきでない……そんな意味に解釈できる。
しかしこの言葉,文字通り解釈できる「前提条件」を考えるべきだ。だいたい「罰する」とか「罰せず」というのは,「刑事事件の」判決,つまり「刑事裁判」での話だ。だから,この場合の「被告」は「犯罪を犯したかどうか」を裁かれる者であり,原告は必ず「検察」のはずだ。その裁判を「裁く側」が実際に「罰」を与える判決が出せるのは,たとえ「犯罪を犯したと十分に疑わしい」としても「『疑い』ではダメ!」であり,被告が犯罪を犯したと確実に言える「動かぬ証拠」がなければいけない……「疑わしきは罰せず」とは,そういうことであるはずだ。
では,「刑事裁判」ではない場合,「疑わしきは罰せず」という言葉はどう解釈されるのが適切なのか。それには,なぜ「刑事裁判で」その言葉が重要なのかを考えるべきだ。「刑事裁判」で犯罪を立証する捜査をする側は,その「捜査」のため,強い権限が与えられる。調査される側が,プライバシーやら企業秘密やらを理由に拒否したくても,調査の権限が与えられた側には,どこにでもズケズケと踏み込んで調査できる強制力がある。それでも「動かぬ証拠」が得られず,「有罪とするには疑いが残った」ようなことを罰せるのか……罰しちゃダメだろう,ということだ。捜査のための「強力な権限」が与えられても「疑い」を払拭できなかったのに,その「強力な権限」が与えられた側に有利な判決を出してはいけないということ。重要なのはそこ。「強い権限の側に有利な判決を出してはいけない」のであり,それが「原則的な法理論」ではないか。逆に言えば,その「強い権限の側に有利な判決を出してはいけない」という法理論の原則的な面を「刑事裁判」に適用した場合を端的に表現したのが「疑わしきは罰せず」という言葉,ということだろう。
この法理論的な原則を一般に広げて考えれば,「強い権限を持つ側を法的に有利な扱いにしてはいけない」ということだと思う。ではそれを今回のような刑事裁判「ではない」場合に当てはめるとどうなるか。
今回は「生活保護の支給額を減らすために,あえて犠牲者が出るような条件を設けているのでは?」なんて疑いをかけているワケだが,この件で「強い権限を持つ側」はどこか。疑いを持ったこちらが,「本当にそうなのかどうか」を調べようと思ったら,今回の場合は役所に対し,「困窮者をあえて死に至らしめるような内部規定を設けていないか」を調べることになる。が,調べる権限を与えてもらえるだろうか。「生活保護を出し渋って,死人が出る可能性」のあるような条件があったとすれば,誰がどういった考えで発案し盛り込んだのか,経緯を調べようとしたところで,相手は「お役所」。「守秘義務」やら「プライバシーの保護」やら,様々な「伝えなくてもいい権限」を持っている。だから,一般市民がその深いところまで調べることはできない。つまり,本当に「生活保護の支給額を減らすために,あえて犠牲者が出るような条件を設けていた」としても,一般市民がそれを調査したり解明したりはできないということだ。
「強い権限を持つ側」がどこなのかは明白。では,これを「強い権限を持つ側を有利な扱いにしてはいけない」という法理論の原則に則って考えた時,どういう解釈になるだろうか。それは「生活保護の支給額を減らすため,あえて犠牲者が出る条件を設けている『わけではない』」とお役所が主張するなら,お役所自身がそれを証明する必要がある……筆者はそう考える。「内部規定」があるならそれらを全て公表し,もし「この条件では,生活保護を受けるべき人が受けられないのでは?」といった疑問を受けた時,何か避けられない理由があってその条件を設けているのなら,その理由を説明する責任があるのもお役所側……つまり「強い権限を持つ側」だと思う。もし説明できないような条件をつけていたなら,その条件は撤廃すべきだろう。と同時に,もしその条件がなかったら……たとえば「失業保険の受給中か否かに関係なく,生活保護の申請に来た人はみんな調べて記録を残す」ことにしていたら,死なずに済んだ人がいた可能性もあると分かれば,当然その責任も追求されるべきではないかと思う。しかし,「強い権限を持つ側」が説明する責任を負わされていない現状では,そうした責任の追求から逃れられるような「内部規定」をいくらでも作れることになるのではないだろうか。
★ 役所の都合で一方的に作れる「聖域」
「強い権限を持つ側を有利な扱いにしてはいけない」ことを「法理論の原則」とまで強く主張しているのは,そうしないと,その「強い権限を持つ側」が「好き放題」できてしまうからだ。たとえば,もしも生活保護対応の「内部規定」を作る担当者が,過去にホームレスのような人から怖い目に遭わされたような経験があり,そのためホームレスのような低所得者にいい思いを持っておらず,そうした人を助けるどころか,むしろ「いなくなってほしい」……そんな感情を抱いているために,あえて「困窮死」の可能性を認識しつつ「生活保護の対象にしなくて済む条件を盛り込んで対応している」としたら……明らかに人道的に問題のある対応だが,それを一般人がどうやって感知することができるのか。再度言っておくと,お役所の作る規定が,なぜあるのかとか,どのような経緯でその条件が決められたのか……をお役所の内部まで踏み込んで詳しく調べる権限など,一般市民には与えられないのだ。「守秘義務があるから」とか,「プライバシーに関わるから」と言えば,詳しい事情の説明は,役所の側はいくらでも拒否できる。だから,実際にそうした私怨的な感情で作られた規定であったとしても,それを一方的に適用できてしまう。「生活保護を受け付けられる内部規定の条件に合わない人(たとえば『失業保険受給中の人』など)が来ても,申請に来た人には含めない」対処も「内部規定」としていくらでも正当化できる。たとえ死者が出ても,その内部規定に「十分に沿った対応」さえしていれば,「対応は不十分ではなかった」と,サラリと言うことができてしまう。
最初と最後をつなげれば,低所得者に悪い感情を持つ者が,そうした人が「いなくなる」ことを望み,「困窮死」の可能性を認識しつつ生活保護の申請に来た人を門前払いできるような「内部規定」を作って実際に門前払いを繰り返す。そのうち,実際に「困窮死」する人が出れば,まんまと目的を果たせたことになる。しかも,門前払いした人は「記録に残さない」規定にしておけば,「(記録がないから)申請には来ていなかった」ことにできるし,「規定には従って対応していたのだから,対応は不十分ではなかった」と言えるうえ,死んだ人から「生活保護の申請には行ったのに!」と反論されることもない……そんな感じだ。
再度言うと,「強い権限を持つ側を有利な扱いにしてはいけない」ということは,「生活保護の支給額を減らすため,あえて犠牲者が出そうな条件を設けた『わけではない』」と主張するなら,それを証明するのはそのお役所自身だと思う。それが証明できないのなら,「困窮死する者が出た」こと自体を「対応が不十分だった」と認識して,対応を考え直すべきではないか。そうでなかったら,本当に「生活保護の支給額を減らすため,あえて犠牲者が出るような条件を設けていた」としても,それが分からないままになり,放置されれば「犠牲者が出続ける」ことになってしまう。
★ 「知らないところで死んだ人」の責任はとらずに済む
おそらく,こう思っている人もいると思う……「お役所が死人の出そうなことを実際にするワケがない」と。しかし,後でも話題にするが,愛知県では,「徘徊していたらしき人が保護され,県の職員が一旦引き取った後,対処に困って管轄外の地域に連れて行って置き去りにする」という事件があった。「放置したわけではなく,消防に連絡したうえでのこと」とは言っているが,消防が到着する前に職員はその場を離れているらしい。徘徊していたとすれば,認知症の可能性も高い。到着までの間に,道路で倒れ自動車に轢かれてしまったら……川に落ちてしまったら……多少なりとも死に至る危険性を考えていたなら,真冬の深夜に置き去りにしたりしないのではないか。その人に何かあっても「知ったこっちゃない」という対応としか思えない。これで,「お役所が死人の出そうなことをするはずがない」と言えるだろうか。やってしまうのが役人なのである。
愛知県の「置き去り」事件の場合,最初に保護したのは警察だったらしい。だから,置き去りにされたあと,2度目に保護された時,「何で一旦保護した人がまた保護されるのか?」ということで発覚したとか。だが,もしこれが,最初に発見したのが一般の人で,その通報で「愛知県の職員が最初に保護していた」ならどうなっていただろう。つまり,保護した部署が「置き去り」にもすることになる。他に知る人は通報した一般人だけだが,その人が気付かなければ,いくらでも隠蔽できるのではないだろうか。だから,置き去りにされて,道路で転倒しクルマに轢かれたり,川に落ちたりして死亡してしまったりすると……置き去りにした部署としては,保護する手間が省けたことになる。「死人に口なし」……部署に箝口令を敷いておけば,調査の対象になることもなく,たいして責任も取らずに済む。第一発見者がそれを知ってどんなに不審に思ったところで,その人に「調査権限」が与えられることなどない。「途中で暴れ出して逃走された。あとは守秘義務とプライバシー」ということにされたら,それ以上一般人には調べようがないのだ。
もしこれが「氷山の一角」だとしたら……つまり,ひょっとすると,誰かが死に至る可能性を認識できる状態にありながら,お役所がそれを回避する手間を渋っていたことが「発覚していない『成功例』」があるのではないか。この場合の「成功例」とは……実際に死者が出る可能性もあるわけだが……江東区では2人ほど困窮死した事実に対して「取り組みは不十分ではなかった」と言っているが……「死人に口なし」……まぁ,いくら疑ったところで,前述したように調べようがないわけだ。
何度でも言いたい。お役所や行政など,強い権限を持つ側がいくらでも有利になるような仕組みにしてはいけないと思う。江東区の困窮死の場合も,お役所の内部規定に従った対応だったのだから「責任はない」とか「不十分ではなかった」といった主張がまかり通れば,いくらでも「死に瀕する可能性のある人を放置し,その責任を回避できる」ような「内部規定」を作れる。そのほうが手間はかからないし,「生活保護」の支給もしなくて済む。いざ死者が出ても,当人が「自分はなぜ死んだのか」を詳しく述べてくれることなどない。だから,本来は「なぜ死者が出たのか」の原因を調べる部署があってもよさそうなものだが,そういった「困窮死」や「孤独死」の責任の所在を明らかにするような部署がお役所内に作られたという話は今のところ聞いたことがないし,今後も作られないだろう。調べれば,お役所が自らの責任を考えなければならなくなるからだ。「困窮死」も「孤独死」もなくならないはずだ。
こうしたことが放置されないようにするためには,「死者やら犠牲者が出たこと,事故を想定できなかったこと」に対して,お役所側が多少なりとも責任を負う仕組みがないと,「やりたい放題」ができてしまうことになる。しかもお役人たちは,納税者が納めた税金から報酬を受け取っている。困窮死してしまった人も働いていた時期があれば,給与から税金が「源泉徴収」されていたかもしれないし,何か食べ物を買えば「消費税」も払っていたろう。そうした人が困窮死するということは,「お役所が納税者を見捨てる」ようなものではないだろうか。職員たちに「良心」はあるのだろうか。「法的に」問題はないのだろうか。
では,死者やら犠牲者が出たことにお役所が多少なりとも責任を負う仕組みとは……手始めに,「困窮死」や「孤独死」があった現場の清掃は,外部委託を禁止し,亡くなった時期に生活保護申請を受付けていた職員たちがやらなければならない,と法律で義務付けてはどうだろう。確実に「やりたがらない」だろうが。でも,なぜ? そうした現場がいかに「凄惨」であるか分かっているからだろう。つまりそういうこと。困窮死や孤独死の現場というのは「凄惨」であり,なぜそうした現場が発生するのかといえば,困窮死や孤独死する人を「見逃してしまった」からではないか。逆に言えば,困窮死や孤独死してしまいそうな人を,そうなる前にしっかり察知して手を差し伸べられる行政であれば,凄惨な現場が自治体内に発生することも防げるはずだし,それなら「清掃」の必要もないはずだ。そう認識してもらうためにも,実際に現場を目の当たりにしてもらったほうがいいような気がする。今の制度では,清掃はほぼ全て外部委託されているだろう。生活保護申請の受付窓口で門前払いされた人が,もし孤独死して腐敗してドロドロになっても,その姿を門前払い「した人」が見ることはない。門前払いし続けるだろうし,それでも税金から報酬を受け取り続けることができる。その人が生きていた時には税金を納めていたかもしれないが,役人にとってそんなことは知ったこっちゃないのである。これが,「困窮死や孤独死者が出てしまった事態」に責任を負わずに済む状況が生む実状ではないか。
「本当に死に至らしめるようなことをするか」と思っている人がまだいるだろうか。述べてきたのは,起こった事実。2人も困窮死したのに「取り組みは不十分ではなかった」と認識してしまう。一旦保護した人を夜中の寒空に置き去りにしてしまう。どちらもお役所の所業なのだ。
★ 隠すつもりがなくても「いくらでも隠せる権限」
お役所がよく言うセリフに「隠すつもりはなかった」という言葉がある。その役所にとって不都合な出来事が,内部で気付いた時期より多少後になってから発覚することはよくあり,その度に聞くセリフだ。これはおそらくその言葉の通りだろう。ただ,述べてきたような「お役所のやり方」から解釈すれば,それは「内部規定で公表することになっていなかった」という意味だと思われる。特にその事例が,お役所にとって不都合だから公表しなかった「のではなく」,他の様々な事例も含め,内部規定上は公表する対象ではなかった,ということだろう。つまり,不都合な内容も含みそうなことは,当初から「公表対象から外す」ような内部規定にしておけば,それに沿って対処している限り,いくらでも「隠すつもりはなく,元々そういう『きまり』だった」という主張ができる。ただ,たまたま別部署が「公表しないことになっていなかった」から公表したことで発覚してしまうこともあるのではないか。愛知県の職員による置き去り事件が発覚したのは,「警察が」同じ人を2度保護したことに気づいたから……みたいに。
では「隠すつもりはなかった……けど,明らさまになってしまった」事例から,どういった対処がなされるだろうか。おそらく,内部規定を変更し,その明らかになってしまったのと同様な事例が今後あっても,公表せずに済む対象や部署を広げるだけだろう。言い換えれば,「公表する対象から除外する」ということ。たとえば,それまで公表することになっていたものも,「プライバシーを含む『可能性がある』」とか,「守秘義務に関わる内容を含む『可能性がある』ことが分かった」とか何とか理由を付ければ,一般の人がどうこう言えるものではないから,そうした内部規定が容易に作れる。その「可能性」とやらが実際どれほどあるかを説明する責任もないから,「可能性が判明!」と言っても,実際はたいして調べもせずに言っていたとしても分かるものではない。実際はプライバシーの問題などほとんどなくても,「可能性」さえわずかにでもあれば,公表しなくて済むことが増やせる。こうして,役人が自分たちの不都合を公開して責任を問われる場は,どんどん減らせる。しかし当然それは,「不祥事の再発を防ぐ対策」などではない。むしろ「隠せるものが増えた」状況の下で「やりたい放題」できてしまうようになる。それで「不祥事」が減るだろうか。結局は漏れるものも増えるだろう。だから「隠すつもりはなかった」と釈明せざるをえない事例が繰り返される,と考えれば,しっくりする。隠せるものが増えるほど,不祥事も増えるということだ。
何度でも言いたい。強い権限を持つ側を法的に有利な扱いにしてはいけない。
福島第一原発事故では,被告側は「想定外の事態」なのだから「責任はない」として「無罪」を主張している。これなども,強い権限を持つ「経営者」としての多額の報酬を得ていながら「事故を想定できなかった」こと……言い換えれば「起き得る事故を想定して,事前に対策する能力のなかった」経営者にこそ,重い責任があるのではないだろうか。ハザードマップで「浸水は想定されていない」とした地域が浸水し,そこでもし犠牲者が出たら……行政も彼らと同じ主張をするのだろうか。
筆者は彼らの言う「真摯に受け止める」の意味がよく分からない。
● 諸悪の根源「トップダウン」×「縦割り」のコラボ
様々な問題を述べてきたが,共通していると感じる点がひとつある。それは「『末端が』どうなっているかを検証する機構がない」こと。
たとえばサイト設計の問題の場合,「末端で」サイトを見る人たちには,弱視,白内障,緑内障などの事情で,文字と背景の色を強制指定しているために背景画像が見れない人,障害者向けの音読ソフトで読むため,文字は聞けても「図が見れない」人,あるいは,使用する福祉向けソフトが最新のパソコンに対応していないため古い機種を使い続けている人,様々な事情がある。たとえ最新の機械であっても,データ受信に使われるブラウザやラジオの聴き方も多種多様にあるのは述べた通り。それら「末端の人」がどれだけ見れるか……など,これっぽっちも気にしないでサイトを作るから,いざという時,防災情報の受信ができない役立たずなサイトが平気で作られるのではないか。
観測装置の問題もそうだ。測定不能となった時,「水位ゼロ」と表示される状態を,「末端の人」がパッと見た時にどういった解釈をするのか……を考えていれば,そうした設計にはしなかったのではないか。
◆ うまくいかない典型「トップダウン」
新しい国立競技場の建造に当たりいろいろともめたことがあったが,問題点を調査した「第三者委員会」の報告の中に,「トップヘビー」という言葉が出て来る。筆者はその報告で初めて聞いた。
似たようなので「トップダウン」という言葉は知っていた。中心的な役割をする部分がほぼ全ての処理方法や方針などの主要な仕様を決め,末端がそれに添う仕組み。「トップヘビー」とは,その中心的な部分が「重過ぎ」て判断も対処も遅くなり,臨機応変に対応できなかったことを指摘したのだと思う。
★ 「トップダウン」的考え方を捨てたソフトウエア設計
この「トップダウン」という言葉にはソフトウエア設計上の意味あいもあって,多くの場合,「いずれうまくいかなくなる」代表例みたいなもの。古いソフトウエアの設計の多くがそんな感じで,たとえば,コンピュータに何らかの「出力」をさせたい場合,中心となる処理系が出力先の違いによってそれぞれ命令を決めていた。画面なら画面に表示する出力命令が,プリンタならプリンタに印字する出力命令が,ネット通信には通信用の出力命令が,ファイルを保存するディスクや記録媒体などにはそれ用の出力命令がそれぞれ決められて,「出力」をする時はそれらの命令を使い別けなければならなかった。当然,そのコンピュータに接続する機器が増えたり変更されたりする度に,命令も変えていく必要がある。古い機械用の出力装置向けに開発したソフトは,新しい機器を接続してそちらに出力したいと思った時は,ほぼ全体の書き換えが必要……と,融通が利かない。
今流のソフトウエアの設計は「オブジェクト指向」と呼ばれる考え方が主流。「オブジェクト」とは「末端の『もの』」的な意味があって,末端のものの仕様をまず決め,「それらを連携させる」設計になる。
前述した「出力」の場合,まず「出力」のためのオブジェクトの設計がされ,具体的な出力命令(「メソッド」と呼ばれる)が決められる。それを仮に「print」と決めたとすると,出力は以下のようになる。
〈オブジェクト〉.print( "出力させたい内容" )
前の部分の〈オブジェクト〉が「画面」を示すものであれば,画面に出力され,そこが,プリンタだったり,ファイルだったり,ネットだったりする。出力先が違っても「print」という出力命令は同じになる。古い出力装置向けに開発したソフトで,新たに接続した機器向けに同じ内容を出力したいと思った時は,前の〈オブジェクト〉の部分が何なのかを置き換えるだけで,全ての出力先が変更される。もちろん,出力先が異なれば出力処理も異なるが,それは指定された「オブジェクト」が自身に合った処理をする仕組み。「出力する」ことに変わりなければ,ソフトを作る際に「出力先が何であるかによる処理の違い」にあまり気を遣わなくて済む。「オブジェクト指向」によるソフトウエア設計は,このようにして開発が複雑になることを防いでいる。
お役所の手続きに応用するなら,たとえば「末端の人」……ここではその役所の利用者が,「申込書」や「届出書」などを記入する際,その申し込みや届出が何であっても,ほぼ全ての人が記入を要する「氏名,住所,連絡先」などの内容は書式の仕様を共通化して,あとは部署ごとの処理に必要な事項の書式を付加して対応するような感じ。申し込みや届出のために役所に来た人は,その共通の書式を一枚記入すれば,それを持って役所のどこの部署でも手続きできることになる。あとは部署ごとに,その共通書式の複写を取り,その部署で必要な項目を付け足し,部署ごとに処理するという感じになるだろうか。このような仕組みがあれば,役所の利用者がどこかの部署に行くごとにその部署特有の書式の書類にいちいち書き込む必要はなくなることになる。
いやもう,いくらなんでもコンピュータ通信くらいは役所内で使えるようになっているだろうから,「複写」など取らずに,「受付」で共通書式を記入したら,整理番号カードみたいなものを渡して,あとはそれを役所の部署で提示すれば,氏名や連絡先などのデータは「受付」から自動でその部署に送られて来て手続きできてもよさそうなものだ。もう一歩進めれば,受付から担当部署に共通書式のデータが送信され,その部署での手続きに必要な項目を受付に送り返し,遠隔的に全ての手続きが受付窓口でできるようになっていてもいいレベルだと思う。そうすれば,手続きする人が該当部署に移動する必要もなくなる。役所のビルの何階もの昇り降りが不要になり,足腰の弱った人,障害者などにとってたいへん助かる。最初に受付で記入した書類の有効性も,記入したその日「だけ」,あるいは,手続きが処理されている期間内に限定すれば,その後に紛失しても,拾った人が勝手に使うことはできず,安全だ。
いや,このくらいどこかの自治体か省庁で実現していてもよさそうな感じがする……していて欲しいものだ。「縦割り」では無理か。
★ 「トップダウン」な人たちの信用度
なんだか「住基カード」を思い出した。これも,そんな仕組みが使えるような話ではなかっただろうか。
それも,結果的に成功しなかった理由はその辺りではないか。やはり「末端の人」視点の設計になっていなかったためではないかと。上層部で「こういう仕組みにしたので,今後はこうしてください」なんて取り決めを作って,「トップダウン」的に従ってもらおうとしたところで,「末端の人」にとってメリットがなければ,あるいは,あったとしても相対的にデメリットのほうが多いと感じれば,浸透などするはずない。
たとえば,もし「全ての」役所の手続きがその住基カード「だけ」で完結でき,生体認証などで本人以外は使えない……というシステムだったら,どうだったろう。逆に,たとえカードを持っていても,たいていの手続きで結局は何か別の書類に記載をする必要があったり,うっかり紛失して誰かに拾われたカードが本人確認なしで使えてしまうような,いくらでも悪用されるリスクがあるような場合,カードを作るメリットなどあるのか,ということになる。あるいはその「本人確認」のため,結局はカードの他に書類か何か一緒に持って行かないと使えないなら,カードを作ると,そうした「今までにない手間」が増えることになる。末端の利用者の利便性やら安全性やらを無視した設計などしていれば,「使われない」のは当然の結果だろう。
それを使う末端のことを考えず,上層部だけで「これだけ機能があれば便利だと思ってもらえるだろう」とか,「セキュリティはこの程度でいいだろう」などと取り決め,「トップダウン」的に末端に押し付けているうちは,何も成功しない気がする。それは末端の人が実際に感じる利便性,安全性,安心感と乖離しているから。末端でそれを実際に使う人の目線で設計されたものではないから。信用などできるわけがない。
そこへ持ってきて,最近は「ハードディスク漏えい問題」なんて話も出た。個人情報を含む可能性のあるハードディスクの廃棄処分を行政から委託された業者の社員が,廃棄処分せず勝手に転売していたという。実際に個人情報が記録されたものが外部に出てしまったなら,結果的に「(公務員の)守秘義務違反」になるのではないかという気がするが,それで公務員側が何か処分されたという話は今のところ聞かない。
他にも,国が推進してきた原子力発電で事故を起こした電力会社社長は「無罪」を主張するし,決裁後の書類の書き換えを指示した官僚や,セクハラで地位を追われた官僚は数千万の退職金を持って行く。「桜を見る会」で税金がどのように使われたのかの詳細な説明はまるでない。そうした行政や政治家のニュースは毎日のようにある一方で,具体的に誰がどのように責任をとるかという話はほとんど出てこないか,出てきたところで「注意」程度のもの。全ては,「責任などとらないから,われわれを信用しないでくれ」と言っているようにしか見えない。原因を究明して,末端の国民に対して責任を明確に示す気などないのである。
1回数億円もかかると言われる国会に「国税庁」の長官が呼ばれた時は,証言拒否を繰り返した。つまりその数億円をほぼ無駄にした人が,数千万の退職金はほとんど持って行っている。他ならぬ「国税庁」がこれで「マイナンバー制度」が信用されると思っているのだろうか。
★ 末端を疎かにする「トップダウン」の性質
以前,年金の「保険料の納付率を上げよ」と「トップダウンで」指示を出した人がいた。それに下部がどう対応したかというと,「保険料の未納者を納付免除者に付け替える」処理をしたらしい。「納付率」とは「納付者÷納付の必要がある人」だから,分母に当たる「納付の必要のある人」を減らせば,「納付率」は上がる。が,もちろん,納付金額が増えることはない。「年金」というものが,保険料を支払っている末端の人たちにとって何であるのかキチンと考えていれば,するはずのない対応だ。末端の人たちの将来がどうなろうと,どうでもいいのである。
今でも年金関係で,末端がどうなっているか検証する仕組みが機能しているとは思えない。
述べてきた「防災情報」の件と並べてみよう。まず,情報をネットで配信しよう,と上層部から指令が出て,民間の下請け業者に「丸投げ」される。年金では,まず「納付率を上げよ」と指令が出て,その具体的方法については下部の者に任される。ネット配信を任された業者は,とにかく配信すりゃいいので,なるべくコストがかからず利益につながる方式を選ぶ。すると,「新しい方式」を開発した会社が広く採用してもらおうとして安価に提供している配信方式や,広告を一緒に見てもらえそうな「手っ取り早く利益になる」方式を選ぶ。年金納付率のアップを任された側は,とにかく数字が上がりさえすればいいので,「納付すべき人」を「納付免除者」に振り替えて,「分母を減らす」という「手っ取り早く率を上げられる」方法を選ぶ。ネット配信を任された業者は,「受信できない」とクレームがあっても,別途,誰でも受信できる方式で同時配信するなどのコストをかけたくないから,「最新の機器で受信をお願いします」とか言って門前払いしておいて,上には「みんな受信できていて,問題ないです」と報告する。年金納付率アップを任された側も「納付率は確実に上がっていて,問題ないです」と上に報告する。ただこの場合は,知らない間に「納付免除者に付け替えされた者」は,クレームのしようがないが。どれほどの人がその「最新の機器」で受信できているか調べる手間をかけることはないし,どれほどの人が「実際に」年金納付免除者の条件に合致するのか調べたかどうかも疑問。そして,たとえ川の氾濫で流されてしまった人が防災情報を受信できなかったことが原因にあったとしても,たとえ年金納付額が上がらないために支給額が減らされ,介護サービスを受け渋っていたことで病気の悪化が見逃されて孤独死に至った人がいたとしても,それらの人が自力でその原因を解消するなど無理だし,死後に証言することもできないのだ。
共通するのは,上が「こんなことを実現せよ!」と「トップダウン」的に指示を出し,しかも指示の内容に「配信方式は何を採用するか」とか,「納付率アップの手段はどうするか」といった具体性が乏しい点。さらに,末端が本来の目的に適っている状態かどうか検証する仕組みがなく,下から上に向かってはいくらでも「うまくいっている」と解釈ができる報告を上げることができるようになっている点。どれほどの人が受信可能な「最新機器」を持っているのか,どれほどの人が「実際に」年金納付免除者に該当するのか,調査も報告もしなくて済む仕組みだ。いかに「トップダウン」がうまくないかを示すいい例のように思う。
で,結局,末端の人たちに悪影響が出たとしても,上の人たちにとっては「知らなかった」ことなので,原因が「深く」追求されることはない。せいぜい「辞任をして終わり」だ。任期中,その「知らなかった」状態が続いていた間に対策しなかったことが,流されたり孤独死する人が出る原因になっていた可能性もあるが,因果関係が明確に分からないから,その間に受け取っていた報酬はほとんど持って行けるのが,今の社会の仕組み。「なぜ流される人が出たのか/孤独死したのか。原因は何なのか?」について,亡くなってしまった当事者から証言を聞くことなどはできないから,「犠牲者/孤独死者が出たのはなぜか」の詳しい検証もできない。結果的に,検証されないままになる。
本質的な問題は,そうした「犠牲者の出る状況」を,「なぜ知ることができなかったのか」なのだが,そこまで解明できることはめったにない。なぜかというと「トップダウン」型の組織では「上を満足させる」ことに重点が置かれるため,上からの指示には「形だけ」従うようになり,また,その組織にとって不都合な内容の報告は上げないようにして「上の満足度」を下げないよう努めるようになるからだと思っている。言い換えると「不都合は上に一切知らせない」構造が作られるからだ。だから,「『受信できない』というクレームがあった」とか,「じつは年金保険料の納付額は上がっていません」といった報告が上に上げられることはない。ウェブラジオなら「『聞けない』というクレームがないように」と上から言われれば,クレームが来ても「最新の機器で受信をしてください(無いならあきらめなさい)」と門前払いする人が,また年金なら「納付率を上げよ」と上から言われれば,納付免除者に勝手に付け替えるなどで,とにかく納付率の数字を上げてくれるような人が,つまりどちらも,「上の『言っていること』を,手っ取り早く実現できる人」が「上の指示にうまく対処できる人」として重宝されて,現場に集められていく。上から見ても「言われた通り」してくれているわけだから,モンクの言いようもない。こうして「不都合な点を上が知ることができない構造」が,いつまでも残り続けるのだろう。
必要なのは「末端がどのような状態であることが『適切』か」の認識を明確にして共有し,「それに沿わない不都合な内容を報告せずに済む状況」を作らないこと。組織内の下からの報告に頼らず,末端の現状を「上が直接調べる」か,あるいは外部の組織が調査を行った結果の報告を上に確実に上げる仕組みを作っておくことではないかと思っている。
行政は,全てにおいて「末端の人」目線が欠けているために,様々な不手際が発生し,失敗を繰り返しているように見える。納税者が納める税金は「無尽蔵」ではない。そのような不手際や失敗を繰り返していれば,もちろん財源は足りなくなる。そこに消費税の増税など「末端の」負担増で対応していることになる。つまり,「『末端(納税者)を考慮しないで』制度を作る→失敗する→(でも誰も責任は負わない→だから報酬は減らさない→)財源が不足する→末端に負担を求める(増税)→末端はさらに苦しくなる→何とかしようとして……『末端(納税者)を考慮しないで』新たな制度を作る(以下繰り返し)」といった悪循環が固定化される。この悪循環から,せめて「末端を考慮しないで」という文言がなくなれば,違った将来が見えるような気がするのだが。ただ,「責任を負わないで済む人」が制度を作っているうちは,末端の苦しみは制度を作る側は知る由もない。考慮しないで作り続けるように思う。
◆ 「ボトムアップ」のアップ先は大丈夫か
「トップダウン」に対して,「末端に主眼を置く」方式は,「ボトムアップ」と呼ばれることがある。工学的には,「オブジェクト指向」的なソフトウエアの開発もまた,末端に重点を置いた「ボトムアップ」的な考え方に近いと思う。
制度における「ボトムアップ」というと何だろうか。たとえばウェブサイトやラジオ配信で「受信できないぞー」という「クレーム処理」のような,「末端」にいる「受信できない人」の存在を改善に活かす機構ではないだろうか。
「クレーム」というと「いちゃもん」的な印象があるが,直訳すると「(強い)要求/要望」的な意味だ。「ハインリッヒの法則」でも述べたように,末端で要求や要望が出るところには,何らかの「不具合」の要因が潜伏している可能性がある。それを適切,かつ確実に改善に活かす……つまり「ボトムアップ」する機能が,その後に起こる「大事故」を防ぐことにつながるのではないだろうか。
★ 「丸投げ」が阻害する「ボトムアップ」
ある意味「ボトムアップ」こそ,前節「うまくいかない構造」となる原因が何なのかを検証する仕組みではないだろうか。それは,「末端がどうなっているか」を上に吸い上げる機構であり,時として「ネットでデータの受信ができないぞー」という末端の受信者からのクレームだったりするのではないだろうか。
ところが,述べてきたように,多くの場合,そうした「ネット配信」などは行政が直接運営しているわけではなく,たいていどこか民間業者に「丸投げ」されている。すると,前述のようなクレームを上に報告してしまうと,「では多くの人が受信できる方式に切り替えろ」ということになって,広告を一緒に配信できなくなったり,そうでなくても配信方式の切り替えにコストがかかったりと,丸投げされた業者にとっては「うまみ」が減る可能性がある。だったら,そうしたクレームを受けても「受信可能な最新の機器を手に入れられないほうが悪い」という扱いにして,ある意味「クレームとして扱わない」ほうが得策。それで上には「クレームらしいクレームはないから,みんな受信できていますよ」と報告しておく。この報告,実際には「受信可能な最新機器を持っている人ならば」という条件が付いているわけだが,そうした細かいことまで伝えて,「どれほどの人が受信可能なのか? 調べたのか?」などと突っ込まれたりすると面倒だから,報告にはそこまで盛り込まないのが業者の常套手段だろう。このようにして,本来「ボトムアップ」の機能として働くはずの「クレーム処理」が形骸化し,防災情報を「受信できない人」が残り続けるのだろうと考えている。
年金に至っては,初めからクレームなど「受け付ける気さえない」と思われる。それは「消えた年金」という言い方をしないようにお達しが出ているという噂がある点でお察しだ。「消えた年金」と思っている人は多いのに,そう言わせない……つまり,一種の「クレーム」をチカラずくで抑え込んでいるようなものだ。
★ 人命より優先される「ラクな手段」
「受信できないぞー」といったクレームを,最新機器を使っていないせいにして門前払いしているうちは,確実に「受信できない」人が残り続ける。そんな人たちの中から,次に大雨が降った時に防災情報を知ることができず流されてしまう人が出る可能性がある。犠牲者が出れば,行政は「遺憾に思う」的なことを言うが,多くの人が受信できる配信に切り替えるより「遺憾に思う」だけのほうが安上がりだ。犠牲者が出るほうが行政にとってラクなのだ。
当事者は「そうは思っていない」と言いたいかもしれないが,結果的にそうなってしまっているのが実態。「『年金』という制度の意味」を知っていれば,「免除者への付け替え」などという,納付額が増えずに将来の支給資金が減り,お年寄りが介護サービスの利用を渋って孤独死のリスクを増やしてしまうようなことなどできないと思うが,やってしまうのだ。そのほうがラクだからだ。末端の人がどんなに不利になろうとも,ラクな手段に平気で走るのが,今のお役所の構造だ。
ちょうどそんな考えをまとめている時に聞いたニュースが「愛知県の職員が一旦保護された人を置き去りにした」というもの。徘徊していたと見られる男性を,保護した警察から引き渡された福祉相談センターの職員が,宿泊先の確保などができず,対処に困って管轄外の地域に連れて行き,匿名で消防に通報してそのまま置き去りにしたらしい。しかもこの対処,どうやら上司からの指示……つまりは「トップダウン」だ。通報したとはいえ,消防が到着するまでの間に「保護した人に何かあったらたいへん」……なんてことは何も考えていない。これも,「末端の人がどうなろうと知ったこっちゃない」という,お役所対応の典型だ。筆者だったら,そんな指示には従えなかったろう。それは「保護責任者遺棄」という犯罪ではないのか?……上司にそう迫り,嫌われて辞職に追い込まれて収入を失うタイプだ。逆に言えば,そうした上司の指示に従って「置き去りにする」というラクな手段に安易に走れる人たちだけがお役所に残れて,税金から報酬を受け続けられるのではないか。
少々話が逸れるが,「決裁した文書の変更はしてはいけない」きまりになっているのに,変更せよという国税庁長官の「指示に従って変更してしまう」人たちだけが,その部署に残って報酬を受け続けられるのではないか。逆に,その指示に反発した人たちは,別の部署に追い出されてしまってはいないだろうか。反発するほうが正しい判断のように思うが,そうした人たちほどそこに残れず,場合によってはその上司によって左遷され,収入を落とされているかもしれない。逆に「してはいけない指示」に従順だった人ほど,その「上司」に引っ張り上げられ,そこで新たな「上司」になれば,相応の報酬を受け取れることになる。ある意味「報酬を受け続けたい」との思いから,たとえ違法性があろうと,上司に従う人たちばかりが,そこに溜まっていく……そうやって,その「お役所の性質」が固定化されていくのだろうという気がする。筆者は「人事院」という役所が何をしているところなのか,よく分からない。
ちょうどこのことを書いている頃に,その長官の部下で自殺した人の「遺書」とやらが雑誌で紹介された。むしろこの場合,とっとと反発してその部署から離れるのが正解だったようだ。裁判も起こされた。民事裁判のようだが,規則に違反することを強いたうえに自殺に至らしめるなど,もう「強要罪」か,さらには「傷害致死」か「業務上過失致死」あたりの犯罪ではないかという気がする。そうでなくたって「自殺関与(教唆かほう助)」ではないかと思う。今後同様なケースは,死に至る前の,パワハラが認められた段階で「強要罪」あたりの刑事事件として扱い,上司か経営者,所属組織の責任が問われて「刑罰」が科されることにでもならなければ,なくならないのではないか? 長官はどの罪にも問われることなく,数千万円ほど退職金を持って行っている。筆者は「人事院」という役所が何をしているところなのか,よく分からない。
話を戻すと,そんな感じで,たとえ犠牲者が出る可能性があろうと,「上司の指示だし,従うほうがラクだし」と考えた(ある意味深く考えないで)対処を実際にしてしまう人たちが,お役所に蓄積していく構造があるのではないか。「置き去り事件」で愛知県の知事は「厳正に処分する」と言っているようだが,その「厳正な処分」とはどのようなものか。「厳正な」口頭注意だけだったりしないだろうか。結局は税金から報酬を受け続けられるなら,ある意味たいして痛くも痒くもない。置き去りにした職員も,それを命じた上司も,そのままお役所に留まるだろう。末端の人がどんなに不利になろうと,平気でラクな手段に走る人たちの集団が,今のお役所のように見える。
たとえ犠牲者が出ても,役所にとってラクな手段に走るものなのだ。「遺憾に思う」で済めばそのほうが安上がりなのだ。当事者は「そうは思っていない」と言いたいかもしれないが,現実は述べた通りだ。
★ 福島原発……教訓を忘れた経営者の責任
福島第一原発の事故も,同様な思考が働いたと考えれば,起きるべくして起きたのではないかという気がする。東電側は,原子炉の予備電源などが,「大きな津波が来ると使えなくなる」と報告を受けていたということだが,どういった対処をしたのかと言えば,本当にそんな津波が来るのか調べ直させる「指示を出しただけ」らしい。だいたい,再調査を指示したとしても,その設備を水没しないような場所に移動する準備を進めることくらい並行してできそうな気もする。でも,具体的に対処した話を聞かないのは,再調査の指示「だけ」のほうがラクだったからだろう。結果,「先にその津波が来て」しまい,多くの末端の人たちが避難を強いられた。「電源が水没したらたいへんな事故が起きて周囲の人に迷惑をかけてしまうかも……」などといった思いより,平気でそうした「極力ラクできる」手段に走る状態を放置されたのが,国が進めてきた原子力発電事業だ。
だいたい,「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉もある。こうした「諺」というのは,長年語り継がれて来た「歴史のエッセンス」であり,この言葉は「忘れるから被害が大きくなる」という教訓だ。だから「忘れないようにしろよ」ということだ。経営者がその意味を十分に理解していれば,津波で予備電源設備が水没する可能性の報告を受けたら,再調査の指示だけでなく,設備の移動準備も並行して進めていたと思うが,そこまでしていたのか……もし「再調査の指示だけ」しかしなかったのだとすれば,そこには「設備の移動」という手間のかかることは「したくない」という思いが透けて見える。「そのほうがラク」なうえ,コストがかからないぶん,利益が上がるからだ。結果,末端の大ぜいの人たちに被害が及んだのが事実。根本には,再調査の指示「だけ」という「トップダウン」で済ませられる最もラクな手段に走った,その「トップ」たる経営者がある。
その,誰でも知っている教訓の意味を無視したトップたちは,裁判で「無罪」を主張している。しかし,いちばん最初に「最もラクな手段」を選択する経営者が,果たして「電源設備の移動」を指示できただろうか。「再調査だけ」が許されるのなら,「そんな津波は来ない」という調査結果が出るまで,再調査を指示し続けることも可能になってしまうのではないか。設備を移動するよりそのほうがラクだし,しかも「調査を指示していた」のだから「何もしていなかったわけではない」という口実もできる。それまで,コストのかかることは「先延ばし」することで利益を上げて来たばかりに,「天災は忘れた頃にやってくる……だから忘れてはいけない」という教訓も忘れられたのだろう。だが,経営者がそれを忘れてよかったのか。教訓を無視する経営者が社会的に許されていいのか。「電源設備水没の可能性」の指摘を受けて,再調査と共に「電源設備の移動」も一緒に指示を出していたなら別だが,そうでないなら,設備移設の「先延ばしが目的」だったとしか思えないのだ。
だから,もしその人たちに「無罪」が言い渡されてしまうとどうなるか。そうしたコスト削減のために「万が一の対策を先延ばし」する人も「いくらでも経営者になっていいよ」と,裁判所が認めてしまうようなものだ。すると,第二,第三の「フクシマ」が生まれる元凶を固定化させてしまうのではないかと懸念している。原発に限らない。自動車工場の不正検査,アパート物件の不正施工など,本来やるべき「万が一」のための対策を怠った例が次々と明らかになっている。「万が一」の対策を怠れば,その「万が一」が起きた時に,「大惨事」につながる要因になる。次々に明らかになる「万が一」への対策の怠りは,そうした要因が既にあちらこちらで固定化されつつあることを思わせる。
なぜそうなるのか。それは,コストを削減してラクに利益を出せる者が,目先の利益のみ追求される会社で,次々と経営者に「引っ張り上げられていく」からだろうと考えている。こうした構造的問題は,先代,先々代の経営者から引き継がれていると思われる。だから,その「引き継がれる構造」を断ち切る判断がされるべきだ。つまり,「そんな人が経営者になったことが悪い」といった判断がされない限り,前述したような「コストを削減してラクに利益を出せる人」ばかり,今後も「経営者」に引っ張り上げられ続けるだろう。「万が一」の対策を軽視する人が経営者であり続けるわけだから,今後も「フクシマ」のような大惨事が起きる要因が残り続けることになる。
「天災は忘れた頃にやってくる……だから忘れないうち事前に対策」するコストを惜しまない人こそ「経営者」たるべきで,本来それができない人が「経営者」になってはいけなかったのだ。その点を明確に指摘した上で,結果的に「経営者」として相応しくなかった者は,経営者としての地位と報酬を返させるような判断がされるべきだ。そうしないと「経営者」になって対策しなかった間に得た報酬などをまるまる持って行ける,つまり「なったモン勝ち」状態になる。すると,根本的な対策をする前に次々に経営者を入れ替えることで,単に経営者としての多額の報酬を得たいだけの人たちが,次々に報酬だけ持っていくことが可能になってしまう。あとに残るのは,対策を先送りにする会社の体質と,「万が一」が起きてしまった時の犠牲者たち,ということになる。
いわば「経営者としての報酬が欲しいだけの人たち」の,「ロシアンルーレット」に,末端の人たちが付き合わされるようなものだ。もし,それで「ハズレ」の引き金を引いて弾丸が発射されてしまったら,犠牲になるのは,その「ロシアンルーレット」に興じていた経営者ではなくて,末端の人たちなのである。
「無罪」が言い渡された場合,「天災は忘れた頃にやってくる?……そんなこと忘れてもいいよ」といった間違ったメッセージを全ての世の経営者たちに与えてしまうことになってしまう気がして,仕方がない。「万が一の対策を後回しにしても『無罪』だから,経営者としての報酬をもらえるだけ得だ!」……そんな考えの経営者ばかりになっていくのではないか。現に,自動車メーカーの検査飛ばしや,賃貸物件の手抜き工事,契約者を無視した保険の販売など,末端の人たちのことを考えているとは思えない経営が次々と露呈しているのが現実なのだ。
福島原発裁判は,「相応しくない経営者」を断ち切ってくれる判決が出ない限り,末端の市民には将来の安全も安心もないような気がする。もし,一般の市民の安全や安心を無視するような判決が出された場合,「一般市民の感覚を採り入れる」とか何とか言っている裁判員制度などに協力する意味があるのかどうか,いろいろと疑問が出てくる。
★ 上が下を正しく見れず,下も上に見せない構造
原発事故では「補助電源設備が津波で水没する可能性」を指摘されていたのに,対策は先送りされた。この例が示すことは,たとえ「末端の不都合を知らせる機能」があっても,上層部に「どうすべきなのか」を判断する能力がなければ,役に立たないということだ。たとえば,もし台風などでそれなりに犠牲者が出てしまい,一方で「ウェブで防災記事が見れなかった」といったクレームがあった場合に,上層部がそれらを総合的に判断して,「犠牲者が多く出たのは防災情報の配信方法が多くの人が受信できるものでなかったことが一因かも」と気付けばいいが,気付く能力がなければ,結局その対応も下に任せる……つまり「トップダウン」で処理される。すると述べてきたように,下部では「手っ取り早くできる対処」が発動し,「受信できないのですが」というクレームも,「最新機器で受信してください」と門前払いし続ける。「犠牲者が出た」ことと「防災情報が受信できなかった」ことは別の問題とされ,別の部署で対処されるから,述べたような総合的な対策はほぼ困難だ。年金の場合,もう「納付率の低さ」こそが,一種の「支払いしにくい/できない」という「クレーム」に近いものだが,「年金保険料免除者への付け替え」などで対応してしまう。
どちらも,上層部には「(最新機器で)受信できない人はいない」とか「納付率は上がっています」と報告される。そのため,上から見ると「防災情報が受信できない人などいない」とか,「年金納付率は確実に上昇!」ということになってしまっている。いざという時に防災情報が受信できず大雨で流される人や,年金の受給額がどんどん減らされて,介護をあきらめ孤独死する人が出る可能性を残す。繰り返すが,流された人たちが「せめて防災情報さえ受信できていれば避難していたかも」とか,孤独死をした人たちが「せめて年金で介護サービスが受けられていたら自分の病変に気付いたかも」などと証言してくれることなどないから,実際にそれが原因であったとしても調べて分かることではない。
この,うまくいかない「トップダウン的」な対応を,行政や上層部が「対処はしてきた」と言っているだけの話。それで,実際に流されたり孤独死する人が出る度に「遺憾に思う」が繰り返される。
福島原発事故の話で思い出したが,今回の台風では,川だけでなく,下水があふれて水浸しになり,駅の自動改札やタワマン(高層マンション)が使えなくなる事態も起きた。自動改札は,人が出入りできる場所に設置せざるを得ないが,タワマンの場合,生活上重要で,しかも水に浸ってはまずい電気設備が,地下にあったとか。それらタワマンが地震の前にできていたのなら仕方がないが,福島の原発事故が,津波で水に浸る場所に予備電源設備があったために起きたと知っていれば,少なくともその後に作る建物はそうしたリスクを回避する設計にしてもいいと思うが……そのタワマン施工主の経営陣は,震災から何を学んだのか。
別の話だが,マンションといえば,2014 年,完成間際のマンションに不具合が見つかり,「補修不可→居住不可→取り壊し」が決まって,ほぼ完売だった契約が全て解約になるということがあった。
どんな不具合かといえば,「必要な『スリーブ』を鉄筋コンクリートに通していなかった」らしい。「スリーブ」というのは電線やら水道管などを通す,パイプやダクトの類で,鉄筋コンクリートの柱を作る際,先に内部にそれらを通しておく必要があるらしい。あとでコンクリートの柱に穴をあけて通そうとしても,穴が内部の鉄筋を切ってしまうと柱の強度が落ちて建物が支えられなくなってしまうリスクがあるためそれはできず,かといって,スリーブが通っておらず,電気も水道もないのでは使い物にならない。「こちらの物件には電気と水道が通っていませんが……格安です!」などと言われても住めるワケない。結果として,建てたばかりのマンション全体が「廃棄」ということになったらしい。
検索をすればいくつも記事が出てくるので,詳細はそれらに譲るが,記事によれば,不備があるのではないかと工事中に気付いた人がいたらしい。そこで現場所長が何をしたかというと,不具合の対処をするよう「指示した」ということだ。結果的に「建物全部が廃棄処分」となったわけだから,その「指示」は何の役にも立っていなかったわけだが。
何が問題だったのかはお察しだ。その指示に「具体性」があったのかどうか……なかったからだろう。年金の問題でも,「納付率を上げよ」と「指示した」が,「どのように上げるのか」までは指示していない。ネットで配信せよと「指示した」が,「誰でも受信できる××方式で」とまでは指示していない。すべてが「内容に具体性の無い指示を出して終わり」の「トップダウン」だ。
マンション建設現場にいた「所長」とやらが,「マンション」という末端で「売り物」となる建物にとって「スリーブというものが,どんな役割を持つものなのか」という「重要性」をしっかり把握していれば,「どう対処するか」という,もう少し具体的な内容の指示を出せたのではないだろうか。「マンション」という最終形……末端がどうあるべきか考慮しない「トップダウン」な構造が招いた結果のように見える。
「トップダウン」の弊害として「ネガティブな報告を上げない」ことと,上げたとしても「上が適切に対処できない」という点も述べたが,この件でも,その所長が,不備の指摘を受けた時に,「不備がある」というある意味「ネガティブな報告」を上げることができたのか,あるいは,上げたとしても,それを上がしっかり受け止めていたのか疑問だ。結果的にそのマンションは完成間際まで対策がとられず,ほぼ完成してから,ネットの書き込みが元で不備が発覚し,「住めない」と分かったらしい。ネガティブなものも含めて「上に上げる」仕組みがあったのだろうか。上げられて適切に対処する機能があったのだろうか。少なくとも,ネットに書き込みがあるまで,内部調査では分からなかったということだけは確かだ。
そのマンション,解約に際し,全ての契約者に契約金の3倍くらいの迷惑料的な支払いをしたとか。末端を軽視する「トップダウン」的対処によって,数十億円ものお金が何の役にも立たずに消えたことになる。
★ ボトムアップの「アップ先」が重要
福島原発で「予備電源設備が津波で水に浸る」とか,マンション現場で「スリーブに不備がある」とか報告があったのに,結果的に活かされなかった。つまり「ボトムアップ」というのも,アップ先が適切に対応できてこそだ。たとえばウェブラジオの場合,もし「丸投げ先」が優良企業で,「現配信方法では聴けないとのクレームが何件かあります」とキチンと報告したとしても,それを「上の人」が正しく受け止めて判断できなければ意味がない。上層部が「配信方法にはブラウザだけで聴けるものと聴けないものがあるようだ」くらいの知識を持ち,「防災情報の配信をすることがある以上,聴ける人が多い方式にするべき」程度の判断ができれば,丸投げ先に「少なくとも××方式か,それと同じ程度に『誰でも受信できる方式』を採用せよ」と指示を出せるが,そうでなければ,結局「丸投げ先」に全てが任されて終わってしまう。すると,予算が限られる民間企業としては,「コストがかかる」とか「金づるにならない」ことはやりたくないから,配信方式を変えるまでには至らないのではないか。「どうせ対応できない」となれば,結果的にクレームを上に上げる必要性も軽視され,やがて上げられなくなり,述べてきたような「うまくいかない構造」が作られて,防災情報が受信できず氾濫で流されてしまう人が出る可能性が残っていくのだろうと思う。
USB という通信の規格を,「穴に入れる」程度の認識しかない IT とセキュリティの担当大臣がいたが,それで IT やセキュリティに関する適切な指示が出せるはずがない。いかに危ういかということだ。それで「マイナンバー」?
◆ 「トップダウン」を生む「縦割り」の回避策
どうしてこうした「うまくいかない」代名詞のようなトップダウンの構造がはびこるのか。ひとつには「縦割り」の弊害があるように思う。
★ 「給水車5時間待ち」問題の背景と解消案
神奈川県で,被災地に自衛隊の給水車が到着していたのに,「給水車の派遣は最初に県が検討する」という「きまり」にそっていなかったことを理由に撤収してしまい,実際に県の給水車が来るまで5時間ほどかかった話は,脱水症になる人がいなかったのが不幸中の幸いだが,これなど典型的な「縦割り」の弊害のように見える。
「縦割り」の仕組みでは,まず「給水車」を要請できるのはどちらか一方だけだ。その「きまり」に従って県に要請をしたとしても,台風の過ぎ去った後だから「被災地」は県じゅうに広がっていただろう。県が「給水車派遣」を受け付けられる状態にあったかどうかは疑問。「それなら」ということで自衛隊に派遣を要請したとしても,別に「きまり」に従っていないからダメということにはならないような気がする。が,「ダメ」ということになっちゃったのがこの話だ。「自衛隊」と「県」という2つのお役所間に,まるで連携がなかったということだ。
もしその「きまり」とやらに,「ボトムアップ」的な考え方が導入されていたらどうだったろうか。この場合,「被災地」という「末端」を中心に「きまり」を構築していくことになるだろう。被災地にとって,「最も早く来てくれる給水車」がいちばんありがたいのだから,それは県だろうと自衛隊だろうとどちらでもいいはずだ。もしかすると,その自治体内に給水設備を持った企業が存在する可能性もある。被災地からの給水車や避難具などの要請を集中して受け付ける「ホットライン」的な部署を設け,そこに,県だろうと自衛隊だろうと民間企業だろうと,「給水設備や避難具がどこにあるのか」の情報を集めておけば,被災地からの「給水車派遣を」という要請が来た時にも迅速に対応できそうに思う。
とはいえ,「縦割り」のお役所の構造では,実現はむずかしそうだ。同じ防災設備や救援の対応でも,県と自衛隊では内部の管理も手続きもかなり異なるだろう。ましてや民間企業ともなれば,どれほど公共機関と円滑な連携が可能かの判断さえむずかしそうだ。いくら「有事の際のことだから」とはいえ,内部の仕組みを統一するなんて困難だろう。
★ 「オブジェクト指向」ソフトウエアの応用
最近のソフトウエアの設計は,「オブジェクト指向」の傾向にあると書いた。「オブジェクト」とは「末端のもの」であり,「オブジェクト指向」とは,その「末端のもの」を中心に処理を決めていく方式。だから,この「オブジェクト」というのも,それぞれがわりと独立して構築されていて,本来,直接関係ないオブジェクト間で,直接的に「連携」をする手段は限定的だ。ちょうど県と自衛隊の給水車派遣の連携がとれなかったのと似た感じで,「オブジェクト」もそれぞれ独立して機能するのが普通だ。
一方,JAVA(ジャヴァ)というオブジェクト指向のコンピュータ言語は,それら直接関係ないオブジェクトの間でも連携できる仕組みが用意されている。「インターフェイス」と呼ばれる。同じ「インターフェイス」を組み込んだオブジェクトは,組み込んだ複数のオブジェクトの間に直接的な関係がなくとも,特定のデータや処理を共通して持つことができ,異なるオブジェクト間で必要な連携が可能になる。
これを人が構成する「組織」に当てはめると,「給水設備や救援物資のホットライン的部署を設けては」と書いたが,ちょうど県や自衛隊,また給水設備や救援物資の用意のある民間企業なども含め,「それぞれの組織内に」救援要請受付窓口となる部署を設けておき,それら部署間で情報交換する内容を共通化して連携するような感じ。救援要請があったのはどこか,それは近くなのか,近くでなければ,他の連携先の近くではないのか,何を必要とし,それはその部署にあるのか,なかったら他の連携部署にはないか,直ぐに搬送できるか……などを確認する手順を共通化しておき,救援要請を受けたら,その「共通化された窓口」を使って他の組織とも情報交換し,給水設備や救援物資の要請に応えられる部署のうち,最も近くから救援が向かう……そんな連携が可能になりそうだ。この仕組みで各組織に必要になるのは,他と連携できる,その「共通化された窓口部分」と,各組織内にある防災設備や救援物資などがその窓口を通してうまく管理できるシステム,ということになるだろうか。つまり,他と連携するために「組織全体の構造を作り直す」必要はない。「ボトムアップ」的に下から構築していく仕組みはこうなる。
「ソフトウエアなんて,コンピュータがなければただの紙切れだ」と言った人がいたらしいが,ソフトウエアの考え方を一般に応用できない人だったのではないかと思う。
「縦割りは害でしかない」と言っても,組織が異なれば内部の事情も異なるから,いた仕方ないところもある。ただ「だから給水車も5時間待つことがあるけど我慢してね」ということにはならないだろう。少しでも「ボトムアップ」の仕組みを取り込み,末端の人たちがたいへんな思いをせずに済む仕組みを作ることが必要なのではないだろうか。
● 「トップダウンな丸投げ」だけはやめるべき
◆ 最近の民間企業の責任レベル
「丸投げは悪!」とまで主張する気はないが,「とにかく民間企業へ丸投げ」を決め込む前に,最近の企業が展開したサービスの「質」を,もっとよく見るべきではないか。ペイペイ,セブンペイなど,セキュリティの甘さで起きたドタバタが,短期間に「繰り返された」。しかも,片やソフトバンク,片やセブンイレブン……どちらも「超」が付くくらい大手だ。
「たまたまその2社だけ」と言えるものではない。前述したように,自動車部品の品質管理の問題,ヘタすると大事故になっていた可能性もある新幹線の台車の亀裂問題,「スリーブ」を通さなかったため住めなかった新築マンション,天井裏に仕切りをつけず,火災時はあっという間に全焼していた可能性もある賃貸物件,違法な扱いが放置されていた郵便局の保険の問題……全て大手だ。これが最近の企業の程度であり,経営者の程度ということではないだろうか。だいたい,検索してみれば分かるが,セブンペイの背後で関わっていた企業も大手ばかりだ。
責任まで民間業者に「丸投げ」しようとしたって無理なのだ。たとえばネット活用の場合,「なるべく多くの人が受信できるよう,文字のみの情報や古い規格の音声データ配信も同時にせよ」と具体的に指示するか,あるいは「どれほどの人が実際に受信できているかを調べて改善につなげる仕組み」でもない限りは,末端で受信できない人が相当数いることが発覚しても,業者から言われることは「請け負ったのは『配信』までで,『配信方式』の指定や,受信が困難な者を減らす責任まで承っていません」で終わりだろう。「防災情報を受信できずに避難が遅れる可能性がある人」が何人いようと知ったこっちゃないのが,民間業者の責任感だ。「トップダウンな丸投げ」では,この構造が残り続ける。
★ 神奈川県のハードディスク丸投げ
神奈川県庁で使われていたハードディスクが転売されて,個人情報が漏えいしかけた事例も,行政がしっかりハードディスクのデータを消去する技術や,確実に消去されたかどうか確認する技術を持たないまま,業者に「丸投げ」したために起こったものではないか。
漏えいが起きてしまったら,「見なかったことにしてくれ」と言っても無理だ。ましてや「こんなデータを見つけた」と SNS などに公開されてしまったら,回収は不可能。お役所がそうした意識を持たず業者に「丸投げ」していたこと自体,技術者視点から見ると,あまりに常識的感覚がない感じがする。
その廃棄の方法は,職員立会いのもとで,物理的に破壊されたことを見届ける……ということだったらしいが,そもそも物理的に壊すだけなら県庁内でもできたのではないか。職員がハンマーを振り下ろせば済むだけのような気がする。なぜ「ハンマーを振り下ろす『だけ』の業者」を外部委託する必要があったのか。
しかも,実際はその「立会い」はされず,また破壊したことを証明する書類も受け取っていなかったらしい。全ては「具体的内容を伴わないトップダウンな指示だけの丸投げ」が生んだ事態のように見える。
とはいえ,それらのハードディスクはリースだったらしいが。確かにそれでは,勝手に「物理的処分」をするのはむずかしい。しかし考えようによっては,それは「ハードディスクの調達も丸投げだった」ということだ。もし県自身でハードディスクを調達していれば,県庁内でいくらでも再利用できたような気もする。ハードディスクというのはデータを消したつもりでも「消したことにしている」だけで,データは直ぐに消えていない。そこが問題になっているわけだが,じつはそのまま使い続けていると,その「消したことにした」部分が再利用されて,後から書き込まれた別のデータで上書きされていく。そうなると,前のデータは読めなくなる。だから,役所内で使い回しているうち,古いデータは消えている可能性が高くなっていく。転売で「売れる」ということは,それなりに新しめの機種だったのだろうから,その部署で不要になったからと言って,全く使えなくなったというわけではなさそうだ。とすれば,個人情報などの機密性の高いデータを扱う部署から,機密性の低いデータを扱う部署……たとえば児童館的な施設で,学習アプリを入れたり,子供たちの活動の画像を保存するなどしてしばらく使えば,それらデータでどんどん上書きされて,外部に委託などしなくても,リスクはかなり減らせたような気もする。「リース」で調達して,その都度廃棄しては手に入れ直すほど財源に余裕があったということなのだろうか。
「丸投げ」するなら,ハードディスクを屋上から実際に「丸ごと投げて」ぶっ壊したほうが早かったのではないか?
★ 活かされない既存技術
だいたい,国にもそうしたデジタル技術を研究する機関くらいある。それが IPA(Information-technology Promotion Agency, Japan: 独立行政法人情報処理推進機構)だ。パソコンで使用される日本語の標準的なフォントを配布していたりする。筆者も,その拡張と言われる Takao
フォントを愛用している。美しさは「MS 明朝」などとは雲泥の差だ。
ただ残念ながら,この機関で「ハードディスクを全て消去して再利用できるようにする」というツールを開発/配布しているという話は聞かない。しかし前述のような問題も起こるのだから,IPA もそうした需要に応えてもいいような気もする。
一方で,最近はハードディスクに記録するデータを最初から暗号化する仕組みが使えるようになってきている。詳しくは知らないが,もしこの機能を使うことで,ハードディスクをパソコンから取り外した瞬間に意味のあるデータとして読めなくなるのなら,優れた仕組みだと思う。そうでなくても,データごとにパスワードをかけ,パスワードを知る人しか読めなくするような仕組みは今でもある。ハードディスクの問題は「もっと何か対策ができたのではないのか」と思うばかりだ。
◆ 「丸投げ」では広く伝わらない防災意識
「トップダウンな丸投げ」とは,「具体的な指示を伴わない」まま,外部に委託すること。「具体的指示がない」ため,業者は言われたことをいいように解釈する。しかも多くは,上が直接,または外部に「末端に不都合なことが起きていないか」をチェックできる仕組みは作らないうえ,丸投げされた業者が上げる報告は「言われた通りにしています」程度で,不都合な内容は上げずに済む。そのために「防災情報の受信ができない」といった「不都合が起きる要因」がいつまでも残り続ける。何か問題が起きると,業者は「言われた通りにしていて起きたのだから責任はそっち」と言える状況。「上」に当たる人も,業者からの報告が適切ではなかったせいにできるから,そんなに責任は重く受け止めずに済む。実際に防災情報が受信できずに避難が遅れて,流される人が出ても,せいぜい「遺憾だ」と言って終わり……これが今の社会構造だ。
今回の台風や大雨での死者のうち,半分くらいは「車中で」亡くなったらしい。洪水などの災害が心配される時に自動車で出かけるのは自殺行為に近いとかなり前より言われているのに,なぜこういった人たちが減らないのか。それは,そうした防災の心得が,その人たちの耳まで,あるいは「心まで」は届いていなかったということだろう。
災害時の心得を「公報」などに載せたところで,その公報が全ての人の手に行き渡っているとは言えないし,それ以前に,視覚障害者や老化で字が読みづらくなった人などは,手にしても読めない。だからこそ,ネットで,ラジオで……と,様々なメディア経由で発信すべきであり,行政も実際にそうしているはずだ。ところが,ネット上にどんなに丁寧な説明を掲載しても,手元のブラウザが,スクリプトの互換性がなかったり,SSL の未対応などが原因で見れない人は見ない。ウェブラジオで「洪水の危険性が高まったら,自動車で出かけるのは大変危険です」と呼びかけても,スマホやパソコンでの聴き方が分からない人,手持ちの機械が配信方式に対応できない人は聴けない。いくらネットで発信しても,受信できなければ意味が無い。どれほどの人が受信できるかの検証をしないまま,ネットで発信する仕組みを民間に丸投げして,「役所としての仕事はここまで!」で終わらせているうちは,丸投げした業者の「独自方式」とか,提携先が広めたい「新しい方式」で配信され,古い機械では受信できず,その「災害時の心得」が行き渡らない状態が放置される。ウェブラジオなら,長く使われている古い配信規格を採用し,ストリーミングサーバの URL を公開すれば済むのに,それはしない。結果,古い機械で「見れない! 聴けない!」と取りこぼされる人がいつまでも残り続ける。クレームを入れたことろで,コストをかけたくない業者は,「対応機器で受信してください」と,門前払いで済ませる。
防災に関わる情報こそ,行政は「いかに多くの人が受け取れる方式で発信する/しているか」まで考えて,発信方式にも関わるべきだろう。が! そこまで詳しく調べて配信を委託しないから「受信できない人」が残り続ける。つまり「災害時に車で出かけるのは『やっちゃダメ』な行動」であることをどんなにウェブやらラジオやらで伝えたところで,読めない聴けない人がなくなることはない。結果,災害の度に車の中で死ぬ人が出る一因になるのではないかと思う。
◆ 何人死んでも報酬を得られる人たち
ウェブサイトや通報システムの設計を,「どんな仕組みが適当か」をよく調べないまま外部に「丸投げ」する行政の担当者などは,自分ではその「仕組み」や,その後に生じた「一部の人は受信できない」といった「不都合な事実」があっても,税金から報酬を受け取れる。「配信せよ」と指示してさえいれば報酬を受け取れる仕組みだから,「受信できる人がどれほどいるか」まで調べない。もし,「受信できる人はあまりいない」としたら,その指示による配信の経費……つまり税金が無駄になっていることになるが,それを知らなくても責任を負う必要もないから,そんなの知ったこっちゃない……それが「トップダウン行政」だ。
一方,「多くの人に知らせるため旧来の方式を使うべき」と主張する筆者のような者は,新しい通信規格の利用者を増やしたい「利権優先」の企業や組織などには受け入れられないだろうし,確実に嫌われるだろうから,安定した収入など得られない。当然,パソコンやスマホ,携帯電話の「最新機種」など気軽に買えないだけでなく,そもそも契約すらむずかしいというのが実態。「多くの人が受信可能な旧来の方式」ではなく,「新方式」が採用されていくことで,そういった「新機種」を手に入れられない者には,防災情報はますます伝わりにくくなっていく。防災情報をどんなに「知ろう」としてネットを見たところで,イザという時に,述べてきたような「情報源がことごとく読めない」状況を生む構造が固定化する。結果,新機種を手に入れられない者ほど,逃げ遅れて死に至る可能性も高くなると思われる。「貧乏人は流されていい」と言われているような気がする。
述べてきたような「防災情報がことごとく断たれる」状況が起きたことを把握している者が行政側に何人いるだろうか。筆者が今回の経験を詳しく書かなかったら,こうした状況が起きたことを知り得るのだろうか。ひょっとすると,述べてきたような「不都合」が起きていることを「知らなかった」と言えるうちは責任を感じずに済むから,「知りたくない」し,「調べない」ということなのだろうか。防災インフラを整えるのも行政の仕事なのだから,そこは「知ろうとすべき」だし,「調べるべき」だと思うのだが。
「ちゃんと調べているぞ!」と言いたい当事者もいるかもしれない。問題は「調べ方」だ。「みんなが受信できているか?」と,「丸投げ先に」確認したところで,丸投げ先では,言われたことを都合のいい解釈「しかしない」ことが多い。だから,たとえば「どれほど受信できているか」と聞かれれば,OS のサポート期限が切れているパソコンについては「使っている人などいないだろう」と一方的に解釈し,それを含めないで OS のサポートが切れていないパソコン「だけ」について報告する,そんなことを平気でする可能性がある。ウェブラジオなら,特定の
OS のパソコンで最初からサポートされている方式で配信していれば,そのパソコンだけ対象とすれば,調べなくても「100% です! 聴けない人などいません」と報告できる。それを受けた「上の人」が「ちゃんと調べている」と思っているだけの話。もちろんその場合,障害者が使っているような古いパソコンや,筆者のように OS を入れ替えて使用しているパソコンでは聞けない可能性が高くなるが,そこまで調べる対象にしてしまうと,「実際に調べなければならなくなる」ので手間だから,そういうケースは調査の対象「外」にしてしまい,そのことは報告では詳しく触れない……だから,聴けない人が残り続けることになる。
筆者のように新しい機器を手に入れられない者が,「防災情報のウェブ記事が読めないぞー」とクレームを入れたところで,「最新の機器でご覧ください」などと言われて門前払いされるのがオチだ。低収入のために最新機器を買えず,何とか古い機器で防災情報を見ようとしている人がいるかどうかなんて,行政は知ったこっちゃないのだ。だが,古い機械を使い続けているのは筆者だけではないだろうし,理由だって必ずしも「低収入」とは限らない。視覚障害に合わせてあるパソコンの設定や,自分の障害に対応させてパソコンを操作するのに使っているソフトが,新しい機種では対応できないため,しぶしぶ古い機種を使い続けている人もいるだろう。筆者は,とりあえず別の手段を探すスキルがあるが,世の中はそうしたスキルのない人がほとんどだ。門前払いしているうちに,その中の何人が大雨や川の氾濫で流されて死ぬのだろう。
「防災情報のウェブ記事が読めないぞー」というクレームに対して,「最新の機器でご覧ください」と対応することは,情報配信側が,自ら「フォールバック」的な対策をすることを怠り,相手に対策を押し付けているようなもの。そうした回答を常套手段化することは,行政の側も「防災情報を広く知らしめる」という使命を捨てているように思う。
たぶんお役所は「それが原因で亡くなったという例は聞いていない」だろう。そりゃそうだ。死人に口無し。何人流されて死んだとしても,「防災情報が見れなかったから俺は流されて死んだんだ!」とクレームを言う人など来ないから,役人はいつまでも知らないで済む。最新機器でしか受信できない方式で防災情報を配信し,その最新機種を手に入れられずに防災情報を受信できなくて逃げ遅れた人が何人死んでも,それで役所の側が責められることはない。死んでしまった被害者が,「もし手元の古い機械でネットの防災情報が手に入れられていれば,避難指示を知って避難したと思う」などと証言してくれることはないのだから。
せめて筆者は,防災情報を知ることができずに生命の危険が差し迫ったら,「防災情報を知ることができずに死を覚悟した」ということを何かに記録しておこうと思う。やはり「最新の機器」を手に入れられない方々が,同様なめに遭わないようにするためにも。まぁ,その記録ごと流されてしまう可能性もあるが。
最後に言っておきたい。市民,国民の財産や命を守れないなら,税金から報酬を持って行かないで欲しい。