オランダにある,重度認知症患者のための介護施設の記事を読んだ。その「考え方」は,日本の介護施設とまるで違う感じがした。
Yahoo! ニュースに掲載された記事で,全文を読めたはずなのだが,日が経ったためか Yahoo! アカウント所有者しか見れなくなってしまっていたので,覚えている点を備忘録しておこうと思った。
● 概要
元記事は以下。
筆者は全文を読んだ記憶があるのだが,再度読もうとしたらログインが必要になっていて,Yahoo! アカウントの所有者しか見れなくなっていたので,あきらめた。
以下で,とりあえず同じ記事を読んだらしい人の記事が読める。
一言で言うなら「街のようなつくりの介護施設」とか。街の名前は,Yahoo! の記事では「デ・ホーヘワイク」と記載されていたと思うが,別の記事では「ホグウェイ(De Hogeweyk)」ともある。何だか,魔法が使えるようになりそうな名前だが(←よく知らない)。「マイケル」と「ミシェル」みたいな読み方の違いなんだろうけど。
運営は「ヴィヴィウム・ケアグループ(Vivium Zorggroep)」と呼ばれる組織で,施設の概要は以下のような感じ。
- 場所は首都アムステルダムの南 25km ほどの郊外
- 広さは 1.5 ヘクタールほど(正方形にして1辺が 122m ほど,あるいは円では直径が 138m ほど:筆者計算)
- 設備は,カフェ,スーパーマーケット,映画館,公園など
- 入居資格は「24 時間介護を必要とする重度の認知症」
- 原則入居者は亡くなるまでそこで暮らす
- 記事公開時点での入居者 169 人,待機期間 6~8 ヶ月
- スタッフ: フルタイム 200 人,ボラ 140 人
- 利用料金は 7200 ユーロ/月(¥90 万: ¥125/ユーロ換算),うち自己負担分は,国の査定により 50~2346 ユーロ(¥6000~¥30万 程度)……オランダでは標準的らしい
入所費用は高いのか,安いのか。単純に比較できないが,消費税などを調べたところ,オランダはこの記事を書いている時点で,一般の製品で 21%,食品や生活必需品は 9% とか。また,中間層の生活水準でみた平均収入は,オランダ 23,572 ユーロ(¥295万: ¥125/ユーロ換算)で,日本は ¥240万くらいらしい。
ザックリ考えると,製品の元の値段(売価)を1とした時,税込みの金額は日本は 1.1 で,オランダは 1.21 だから,1.1×1.1=1.21 なので,税込みの物価としては日本より1割高いくらいだ。一方,オランダの収入は日本より 23% ほど高いから,消費税分 10% を引いても,まだ 13% ほど生活として日本より余裕がある可能性がある。つまり,施設も日本のそれより利用し易い設定と言えるのかもしれない。
● 特徴
元の記事は一回読んだだけだが,覚えている点を記録しておきたい。
◆ 「ライフスタイル」で棟を住み分け
1つの棟に 6~7 人が暮らしているらしいが,「ライフスタイル」で住み分けているとか。たとえば,リッチな雰囲気が好きな人,アートな空間が好きな人……などなど。振り分けをどう判定しているのかというと,入所を希望する人の家族に本人に関する 150 ほどの質問に答えてもらったり,家庭訪問などを繰り返して分析し,どこに住まわせるかを決めているらしい。
「趣味の合わない人」と付き合う必要がないようにして衝突を避け,ストレスが発生しないように,という判断なのだろうと感じた。
◆ 「責めないで済む」仕組み
覚えているのは,とにかく「責めないで済む」よう気を遣っていたところ。たとえば,認知症の入所者が売店で何か食べ物を購入し,支払いを「忘れて」帰ってしまった場合でも,店員が入所者を全て把握していて,その人の住む棟に連絡する。そして,もしそれを「その棟のみんなで分けて」食べたら「その棟で消費したもの」として扱い,その人がひとりで食べてしまったら,その人の負担として,それぞれ精算されるようになっているという話だったと思う。
支払いをせずに持って帰ってしまったことを責めたことがストレスになり,認知症が進行してしまうリスクを考えているのではないかと思われるが……果たしてそれで「オール OK」なのかどうかは,少々疑問もある。詳しくは「考察」の章で述べる。
◆ 「ミニ版」も
うろ覚えだが,他の場所に小規模施設も展開しているような話も掲載されていた気がする。日本でいう「グループホーム」のようなものか。実際,日本からも視察があるような内容も書かれていたと思う。
1.5 ヘクタールなどといった大規模な施設は,そうポンポン作れるものではないだろうから,そうした小規模な施設なり,認可制度があってもいいだろうとは思う。
「違い」は何か……そこまで詳しく書いてなかったと思うが,前述の規模の施設の場合,「施設内の売店の店員が全ての入所者の顔を覚えていて,何かあったら所属の棟に連絡できる」とあったが,普通の街中にある小規模施設となると,行く店は一般店舗になるということか。すると,支払いを忘れて商品を持ち出してしまった場合は,前述の施設のような配慮はされないだろうが,そうしてしまう心配があまりないレベルに認知症の程度が軽い人に限定して受け入れているということなのか。あるいは逆に,自分の意志では出かけられないほど重度なのか。それとも,建物の仕組みとして,出口にスタッフしか開けられない暗証番号やカード式などのロックがかかっていて,「付き添いなし」ではフラっと出かけられないようになっているとかか……。
● 考察
前章「覚えている点」について考察してみる。
◆ 入所希望者の入念な事前調査
入所を希望する人には,その家族への 150 もの質問と,家庭訪問などによる調査が行なわれ,その人をどんな人たちと同じ棟に住まわせるか判断されるらしい。訪問では,やはり本人の行動も調べられるのだろうと想像している。
果たして,日本のこうした入所施設でも,同様な調査は行なわれているのだろうか。
国内の「特別養護老人ホーム」の入所申し込みについてザッと検索してみると,申込書の質問項目にあるのは「日常生活に支障を来すような症状/行動/意思疎通の『困難さ』があるか」とか,あるいは,「家族に介護『困難な』要因があるか」といったもので,全部で 30~40 項目程度。その「困難さ」の詳細についての質問項目は見当たらず,具体的な点は任意文で記述する欄がある程度だ。この「家族が任意文で記述する」方式だと,その人を「受け入れる側」が判断材料としたい事項について,家族も同じ点を普段から意識しているのかどうか分からないし,いくら介護の現場で問題になりそうなことでも,家族が普段意識していないと書けない。意識していても正確に伝えられるように記述できるかどうかという問題も出るように思う。「入所を受け入れる側が知りたい具体的内容」について,日本で使われているような質問書で十分かどうかは疑問だ。少々面倒だが,オランダのように細かな質問項目が多数あるのは,けっこう重要なのかなという感じもした。
日本の施設のような「申込書」は,おそらく,入所希望の人に対する「質問事項」を作る人と,実際に介護現場にいて「どんな情報が欲しいか」を知る人とが分断されてしまっていて,情報共有されずに作られているのではないかという感じがする。「ミニ縦割り」的な感じ。これでは,受け入れる人について「現場での判断のために必要な情報」が得られないのではないだろうか。すると,入所してから「こんな人だったとは……」的なアクシデントも起き易いような気がする。
少なくともオランダの施設のような「どういった趣味や嗜好の生活の場を提供すればいいのか」についての判断ができそうな項目はない。
「困難さ」の有無だけで詳しい点まで問わない質問を元に入所する場の判断に使うとすると,「趣味」云々に関係なく,どちらかというと,「似たような介護の必要がある人たちを集めて」生活させるような感じにならざるを得なくなるように思う。ヘタすると「タコ部屋」みたいになってしまう気がしなくもない。
そう考えると,オランダの施設がいかに「QOL(生活の質)」に重点を置いて判断しようとしているのかがよく分かるような気がする。
そういえば筆者は,たとえ初めて要介護者に接する人でも,その人の「注意すべき点」をパッと見て分かるようにするカードを携帯させてはどうかという提案をしている。オランダの施設は,それを入所前にある程度事前にしておこうという感覚に近いのかもしれない。興味のある方は以下を参照。
◆ 「責めないで済む」仕組みの是非
売店で支払いを忘れて帰ってしまっても,当人を知る店員からの知らせで,後からその人の住む棟,または本人の消費として精算される仕組みは,たしかに「支払い忘れ」という「うっかり」程度で当人を責めたため,それがストレスになり認知症を悪化させてしまう可能性を考えると,理解できなくもない。
一方で,筆者がまず思い浮かべたのは,池袋の暴走自動車による母娘轢死事件。運転していた加害者の老人は,「アクセルは踏んでいない」と述べ,無罪を主張しているそうだ。それが事実と認定された場合は,人を死に至らしめるまで加速した原因は自動車側の欠陥ということになる。となると,それなりに売れている車種であるから,メーカー側はヘタすると超大規模リコールの必要に迫られる可能性もある。まぁ,その議論はこの記事の論点から外れるので自動車会社に任せるが……とはいえ,同じ車種がコンビニに突っ込んだという事故のニュースを度々聞くくらいだから,何の対策もしそうにない会社ではあるが。
そうでないとすれば,残るは「ブレーキと間違えたか何かで,実際はアクセルを踏み込んでしまっために起きた事故」である可能性。通行人に危害を加える意志がなかったのなら,当人の「うっかり」以外の何ものでもないことになるが,それで起きた死亡事故に対し,「あくまでも『うっかり』で悪意はなかったのだから……」的な扱いで刑罰が軽くなるようなことになれば……「安心して」自動車を乗り回す高齢者が増えてしまうのではないかと懸念している。冗談じゃない話。
そうした観点でも,「『うっかり』起こした程度なら,一切責められずに済む」ような状態が好ましいのかどうかは,疑問に思う。述べたように,責められたストレスが原因で認知症が悪化してしまってはマズいが,逆に「支払いを忘れて持ち出した=万引きと同じことをしてしまった」と気付かされないままだったため同じことを繰り返すようになり,認知症が悪化するケースもありそうな気がするのだ。しかも,この場合の「悪化」は,「責められた」ことで起こる悪化と比べて,あまりよい方向性ではないようにも思う。行為の間違いを気付かされたことで自己の行動に反映し,繰り返さないよう「抑制する意識」を持ってくれればそのほうがいいはずで,重大な事例につながる前にそうした意識を得る機会が与えられてもいいように思う。
記事のほうには,そうした取り組みまで考えているかどうかの記載はなかった。あるいは,もうその判断もできないレベルの重度の認知症者ばかりなのか。実際「原則として入所者は死ぬまでその施設で過ごす」らしいから,少なくとも,自動車の運転などさせないだろうし,「施設の外のお店から勝手に商品を持って来て」迷惑をかけることも起こりえないのかもしれない。しかしそれは,考えようによっては,「もう善悪の判断さえ付かないレベルだから」とか,「どーせ言っても聞かないのだから」といった「あきらめ」のようでもある。とにかく「当人を責めることは避ける」ことを優先し,外部との深い関係を絶った閉ざされた社会の中で,差し障りのないまま「終わり」を迎えてもらうということだとすれば,「安楽死」を容認するオランダらしい感じもする。
「責めずに済む方法」を考えるなら,「自動販売機」のように,確実に「お金と引き換える」仕組みでしか買えないようにしてもいいような気もする。日本には「ガチャガチャ」というおもちゃの自動販売機があるが,あれは,たとえば ¥300 なら百円玉を3枚キッチリとスロットに入れないと買えない。お金を持っていれば買えるが,持っていなければ買えない……それが「スロットにピッタリ入れられるもの(硬貨)を持っているかどうか」といった単純な仕組みで判断できる。「うっかり支払いを忘れて持ち帰る」ことは起こりえない。逆に買ったものの取り忘れはあるかもしれないが。
とはいえ,一般の売店で売られているものの価格も様々だろう。それで「間違いが起きないようにする」となると……最近ある「カードタッチ」で済む自販機ならば,価格がいくらであろうと関係ないが,ただ,その人に割り当てられた金額で買えるかどうか判断して使ってもらうにはハードルが高いかもしれない。どこでいくら使ったのか,おおまかにでも「残額」を把握していればいいが,使ったことを忘れてしまって,「もっと残額があったはずだ!」なんて言い出されると,かえって責める要因が増えてしまう。そこは「硬貨」のように,持っている量で金額が把握できるようなもののほうがいいような気がしている。
となると,販売機の価格を,全てで「硬貨1種類で済む」ようにする必要が出てくるだろうか。最近の百円均一店には,「百円」だけでなく「×百円」という価格もあるような感じ。
問題は「消費税」か。全て「税込み」でジャストな金額にする必要も出てくるかもしれない。あるいは,その街の中だけで通用する「通貨」でのみ使える自販機を作るか……コストがかかりそうだ。
● まとめ……違いは「数字より QOL」
◆ 数字で作られる見せかけの「ニコニコ」
長年,「日本は長寿世界一」などと言われている。平均寿命だけ見れば世界一だが,その中に「充実した老後」を過ごしている人たちがどれほどいるだろうか。老人ホームや介護施設で,寝たきりの人たちばかり増えて「長寿世界一」になることが好ましいことなのかは大いに疑問。
こうした「見せかけの数字」でまず思い出すのは,年金の「納付率を上げよ」という指令の実現のため行なったことが,未納付の人を「免除者」として扱った,という話。「分母」……つまり「納付すべき人」が減れば「納付率」は上がるわけだ。「納付率を上げよ」と言われ,実際に「形だけ」上げて見せて,上司をニコニコさせれば,「なぜ納付率を上げる必要があったのか」という真の目的はどうでもいいのである。
少し後だったか,「日本のインターネット利用率が 100% になった」とかという発表を,当時総務大臣だった麻生太郎氏が笑顔で記者会見していた写真を見た気がするが,ネット上では「あれ,ネットで行なったアンケートらしいよ」という話が出ていて,呆れられていた。調べてみたところ,情報源は分からないが,コピペが保存されていた。
先月27日に実施された、インターネット利用に関するアンケートでインターネットの利用率が100%となっていたことが明らかになった。麻生総務大臣は「これは政府主導によるIT政策の効果の現れと言っていいだろう」とのコメントを発表した。
調査したのは、総務省統計局統計センターなど。今年四月にインターネット上でアンケートを実施し、約二万三千人から回答を得た。
「インターネット上でアンケートを実施し」という文言が輝いて見える。そりゃ 100% は当然。政府主導による,100% という「数字を出すためだけの政策」の現れだ。大臣である麻生氏にニコニコしてもらえさえすればよかったのだろう。
よく「失業率」も話題になる。日本だけはなぜか「『完全』失業率」という言葉を使う。2006 年度あたりの総務省統計局の資料を見たところ,もしアメリカと同等の条件で「失業者」を定義した場合,該当者は「減る」と書いてある。つまり,「失業率を少なく見せているわけではないよー」と主張したいのかもしれないが,アメリカと同じ条件にした場合に「失業者」として追加される人数の「注」として,下のほうに,『「すぐ(仕事に)つける」者のうち「家事・育児のため仕事が続けられそうにない」を除いた。』と書いてある。
▼ なぜ「除く」?!(失業率に関する参考資料: 統計局 2006) |
しかしその「除いた人数」がどれほどいるのかは記載されていない。日本に,入所できる施設を待っている「待機児童」や「要介護者」がどれほどいることか。もし,子供を預ける「保育所」や,要介護者を受け入れる「特別養護老人ホーム」が十分にあったら,「すぐ仕事につきたい」という人が,どどどーっと増えるのではないか。それを「除いて」しまうのが統計局だ。逆に考えると,そうやって家族をなるべく家庭に縛り付けておけば,この失業率の数字も増えない。政治家や大臣にはこの数字を提示して「失業率は低く抑えられています」と伝えておける。つまり,あえてそれら施設を入所しづらくしているのではないかと思われても仕方ないようなことをしているとも考えられる。「除いた人数」がどれほどいるか知られるとそれがバレるのではないか。だから記載しないと。政治家連中も「自分たちの就任中に失業率は上がらなかった」とニコニコ顔で主張できるから,統計の方法を見直す要請などしないだろう。長い間「待機児童問題」が解消しない理由が垣間見える。
数字で「良く見せかけ」て,上司や大臣をニコニコさせることだけには超長けた人たちである。実態は,働きたい国民が待機児童や要介護者の入所施設不足で悩んでいるわけだが,そんなことどうでもいいのだ。この数字を出す人たちが,その国民が収めた税金から報酬を得ている。
そして,このようにして作られた数字が大臣などの政治家の元に届けられて,それを判断材料として政策が作られることになる。長きにわたり,国民の生活がじわじわ悪化しているのに,まともな政策が出来てこないどころか,「消費税を上げる」などという「止めを刺す」レベルのことにゴーサインを出してしまう理由は,もうお察しだ。それがどんな結果を生むか。たとえ消費税税収が増えたって,それで消費が落ち込めば企業からの納税が減るのは当然。実際,令和元年度は,税収全体で2兆円弱ほどの減収だ。消費税を上げておいて,税収は減ったのである。
令和元年度決算税収は58兆4,415億円であり、前年度から▲1兆9,149億円減少した。消費税率引上げにより消費税は増収したものの、所得税、法人税が減少したことによる。
でも,この人たちは「反省」ということができない。なぜなら,どんなに状況を悪化させる要因になるようなことをしても,報酬はまるまる受け取れるから「反省」とは何か知らないのだ。消費税増税で国民負担が増して,たとえそのために「買い控え」で税収が落ち込もうと,自分たちの報酬は減らないから,痛くも痒くもないのである。「税率を上げ消費を冷え込ませるようなことはしないほうがいい」といった判断を,「自分たちもせず,政治家にもさせなかったこと」は,これっぽっちも「間違い」と感じていない。その証拠に,その人たちの報酬はほとんど減らされない。それでいて「国の借金が増えてたいへんだ!」と叫んでいる。税収が減るような政策をしておいて,その政策をした者たちがそれまでと同じ報酬を受け取り続ければ,借金が増えるのは当然。ところが,その「国の借金」こそが消費税増税の口実。自分たちの「間違い」で生じた負担を国民に押し付けているようなもの。足りなくなった分は「消費税」として,将来の国民に支払わせれば済むと思っているのだ。MMT(Modern Money Theory)を暗に実行しているようなものですわ。
ちなみに,その増税時の財務大臣はやはり麻生太郎氏である……麻生さん,あなたに「大臣」職は向いてないと思う。だいたいこの方,数年前に,90 歳を過ぎて「老後が心配」と言っている人をテレビで見て,講演で「いつまで生きてるつもりだよ」と言っていたとか。財務大臣という立場上,「タンス預金」を問題視しての発言と思うが,先日の資産公開(2020-10-30)では,閣僚中最高の6億5千万円弱ほど持っているらしい。年に1千万円ずつ散財しても 65 年分ある。いつまで生きてるつもりだよ。今のうちにそのお金で不足している保育所や介護施設でも造りゃいいのに。麻生さん,あなたに「大臣」職は向いてないと思う。
政治家は目隠しに気づけない。せめて大学などの研究機関は,政府系機関の出す数字を「うのみ」にせず,注意深く調べて使うべきだろう。
平均寿命が長いから「長寿国」? 述べてきたオランダの例を見ていると,ただ「数字で良く見せかける」のではなく,もっと「QOL とは何か」を考え,充実した余生を送れるような制度なりを考えてもいいのではないだろうかと思う。だいたい,今のところ,直接的に「QOL を示す数値」なんかないわけだし,ましてや,平均寿命と強い相関があるとも思えない。まぁ,この国の役所が「数字で良く見せかける」ことに時間を費やしているウチは実現しないだろうが。
◆ 介護施設の「これから」を考える
さて,オランダの施設の記事を読み感じたのは,介護が必要な人をどう扱うべきなのかを,社会全体に組み込める「システム」として考え,構築すべき時期なのかな,ということ。
オランダの施設も,社会全体の規模から見れば,「一部を間借り」して運営しているようなものだが,結局は「隔離」されていて,外部との深い関わりも無く,入所者はひっそりとそこで生涯を終えることになっている。いわば「歩き回れるホスピス」みたいなところ。しかし,このやり方が正しかったのかどうか,利用した人に感想や意見を聞いて正確に判断するのはむずかしそうだ。多くは亡くなってしまうし,生きている人は重度の認知症なのだから。
「カードで買う仕組みでは,残額を勘違いする人でややこしいかも」などとは書いたが,時代の傾向は「キャッシュレス」だ。本人確認 ID
カードとして持たせ,たとえ顔を知っている店員がいなくても,支払いを忘れた時に後で自動的に責任者に連絡がいって精算したり,カードを使ったお店から行動を分析して,間違った行動の防止のためにフィードバックする仕組みくらいは,今の技術で作れるかもしれない。オランダの施設はそれなりに大がかりだから,一般のお店とは別に独自の建物を建設するコストもかかるだろうが,既存の各店舗に,介護施設と通信できる「IC カードリーダー」のような設備を備え,入所者がそこで利用すると施設に連絡が行くなど,一般社会の中に「組み込める」介護システムなら,そのほうがコスト負担的には軽そうな気もする。
しかし,介護施設の管轄は厚生労働省,決済用 IC カードなどの規格は経済産業省で,データ通信に関わる点は総務省だ。ここにも「縦割り行政」が立ちはだかることだろう。
昔はボケる前に病気などで亡くなっていたのである。せっかく長生きできるようになったのなら,安全で充実した余生を送れる「仕組み」を考える時なのかなと思う。
残念ながら,「社会に組み込める安全な介護システムとは……」などと考えるのは,筆者だけなのかもしれないが。