数ヶ月ほど前だったか,筆者の元に市から風疹の検査についての案内が届いた。で,詳しい内容を知りたいと思い掲載されている QR コードにスマホをかざしたのだが……表示されたのは「URL ではありません」というそっけない反応。というわけで,それ以上詳しいことは何もわからないままとなり,どうすりゃいいか判断する情報元は断たれた。
▼ 西東京市の「風疹検査」のチラシ |
「風疹」なんて普段気にしないから,よほど差し迫った理由でもない限りは,わざわざ時間を作って検査なんてしに行かんわな。問題はその「差し迫った理由」があるかどうか。たとえば,周囲に感染者が増えているとか,筆者の世代に重症化する人が多いとか……。それを知りたくて QR コードを読もうとしたわけだが,「アドレス」として読めないものを載せて配布して平気でいるくらいだから,たいして「差し迫った」理由などないのだろうきっとそうだろう。
では,何のためにそんなチラシをわざわざ送って来たのか。郵送だから送料もかかるのに……謎だ。もしかして西東京市のオヤクニンは,QR
コードさえ掲載すれば関係する人全員に伝わるとでも思っているのだろうか。あ,たぶんそれは,掲載の QR コードの読めるスマホを持っている人だけが「対象者」なのだろうきっとそうだろう。それならわかる。
でなければ,税金の無駄遣いだ。わざわざ関係する人全員に伝わらない「お知らせ」を印刷して郵送費かけて送ったりしているのだから。
いや,西東京市に限った話でなはい。最近,似たような感じで,詳しく知ろうと思ってウェブ記事を読もうとしても,読めないことが多過ぎる。なぜそんなことになるのかについて考察したい。
● 「情報を得にくくする」のに使われる税金
◆ QR コードへの「過信」
「QR コードが便利過ぎ」というのもあるかもしれない。最近の情報機器にはたいていカメラが付いているし,QR コード読み取りソフトもたいていの情報機器で使える。2つも「たいてい」が重なれば,「ほぼ全ての人が読めるだろう」と思われそうだが,数学的には逆。読むためには「両方の条件を満たす」必要があって,「割合の掛け算」になる。たとえば,カメラ付きの情報機器を持っている人,何らかの QR コードの読み取りソフトを使える人が,それぞれ7割だったとすると,実際に
QR コードを読めるのは,0.7×0.7=0.49 と,半分以下。カメラのついた「スマホ」などの情報機器を持っていて,「しかも」その機器に QR
コードを読むソフトがインストール済みの人に限られる。どちらか片方の条件だけ満たしてもダメなワケで,つまり QR コードを読めるのは,スマホのようなカメラ付き情報機器を持っている人たちの中の「一部」ということになる。
しかし,そんなに限定的になってしまうものなのか?
実際,筆者の持っているスマホのうちの1つは,カメラは付いているが QR コードが読めない。まぁ,QR コードが今ほど一般的になる前の機種のために,読み取るソフトがインストールされていなかったところに,サポートも終わっちゃったやつではあるが。でも,それも時々使っている。所有している機種の中で最もコンパクトで携帯性が良いので,その古い側も使えるようにしてある。もし QR コードと共に URL(ウェブアドレス)が併記されていれば,それを直接入力すればどんなスマホでもアクセスできるが,「併記」がなければ,QR コードを読める側のスマホがチョーシ悪い時に古い側で見ようとしても,当然できない。
そもそも,チラシに QR コードを掲載する時,印刷前に実際にそれを読み取って該当のウェブ記事を正しく読めるかどうか検証したのだろうか。その時点で疑わしい。
QR コードの読み取りソフトも全て同じではなく,ソフトにより機能に差がある。冒頭でも述べたように,筆者の持つ QR コードが読めるスマホで「風疹」のウェブ記事を見ようとしてチラシの QR コードを読み取らせても,正しく読めない。が,ひょっとしてその QR コードを掲載したチラシを作成した側は,作成者の所有するスマホで読み取りテストをパスしたかもしれない。だが,読み取りソフトの性能はソフトごとに差があるため,一人のスマホで読めたからといって全てのスマホで読めるとは限らない。本来ならそこまで検証……つまり,なるべく新旧取り混ぜ何種類かの機種で正しく読めるか確認したうえでチラシに掲載し,印刷して配布すべきだろう。多くの人が読めてこそ「チラシ」の意味があるのであり,読めない人が多数いるような QR コードを掲載したって「広く知らしめる」というチラシの使命など果たせっこない。少なくとも西東京市のオヤクニンにはそうした意識はなかったようだ。その作成と送付にかかった費用の……「全額」とまでは言わないが,少なくとも「見れない人」の割合のぶんくらい,税金を無駄にしたようなものだ。
◆ URL を併記しない愚
じつは筆者は,その QR コードを読んだスマホを持つようになってから1年と経っていない。前述した古いスマホはあったが,述べたように
QR コードは読めない。ただパソコンはあったんで,ウェブ記事を読む時はほとんどそっちを使った。結局は,「持たずに済んでいた」のだ。だから,もしこの「お知らせ」が1年前に届いていたとしたら,「その
QR コードを読める人限定のお知らせ」と考えて,ウェブ記事を読もうとすらしなかっただろう。QR コードを読む手段がないのだから。
筆者に限らず,様々な事情でいまだにスマホを使わず,情報元がパソコンに限られる人もいるのではないだろうか。筆者の家族では,自分用のパソコンは全員持っているが,スマホを使っているのは筆者を含めて半分以下だ。そうでなくでも,スマホは画面が小さいから,加齢で視力が落ちてしまったとか,そもそも元々目が悪いなんて人などは,スマホを持っていてもウェブ記事は大きな画面のパソコンで読みたいと考えるのは自然な話。パソコンで QR コードを読める条件はスマホ以上に厳しく,カメラが既に搭載済みか,あるいは「外付け」でウェブカメラなどを設置しているうえ,しかも QR コードを読めるアプリがインストールされているパソコンに限られる。購入時点でそうした設定になっていないパソコンでは,「後から」そうした設定をしないと読めないことになる。そうなっていないパソコンでは,URL の記載がなければ QR コードだけ掲載されていても記事は読めない。もちろん,筆者の持っているパソコンも「読めない」ほうだ。
いずれの場合も,せめて記事の URL が併記されていれば,スマホを持っていなくても,たとえ QR コードが読めないスマホでも,ブラウザのアドレス欄に URL を入力すれば読めるのだが,この「風疹」のように,この手のお知らせで「併記」されているものはあまり見かけない。見方を換えれば,「QR コードを読めるスマホも持てないヤツは詳しく知らんでもよろしい!」という,行政の側の断固たる意思表示とも受け取れる。あるいは,そんなにもあまり広く知られると困るのだろうか。
その「お知らせ」を出した側からは「そんなつもりはない」と反論が出そうだが,実際「見れない」事態が起き,放置されているのが事実。
さもなくば,もう「QR コードは誰でも読める」こと前提で「お知らせ」を出しているとかか。何を根拠にそうした考えになるのだろうか。
◆ 「スクリプト」未対応ブラウザへの不配慮
QR コードが正しく読めたとしても,あるいは,URL が併記され,それをアドレス欄に入力できたとしても,別の壁に阻まれる場合がある。いざアクセスできても,まともに表示されないケースも多いのだ。
要因は,ブラウザの種類やバージョンの違い。言い換えると,ウェブ記事の「造り」の問題。たとえ QR コードを読めてアクセスできたとしても,「造り」が悪いウェブ記事は正しく表示しない……という事態も起こりうる。
ウェブ記事を記述するための規格は HTML と呼ばれるもの。だから,ウェブ記事を読むための「ブラウザ」というアプリでは,ほぼ必ずこの規格を扱えるようになっている。また,記事に様々な機能……たとえば記事の横にある欄に記入した語で検索できるとか,地図で表示している領域を移動する……などの機能を付加するものとして,「スクリプト」と呼ばれる一種のプログラムが,「たいていの」ブラウザで動作するようになっている。「たいていの」ね。
裏を返すと,その「たいてい」ではないブラウザも存在する。筆者がよく使う「w3m」という文字専用ブラウザには,その「スクリプト」の機能がない。なぜそんなブラウザを使っているのかというと,「スクリプト」の処理は,あとから別のデータを読むことがあるのだが,それを読まないだけでなく,画像データも一切読まないため,通信量が少なく安上がりなうえ表示が格段に早い。低収入でせっかちな筆者には最適。また同様な理由で,「スクリプト」の使えるブラウザでも普段その機能を切っている。こちらは,w3m と違って画像データは読むが,やはりスクリプト処理によるデータ読み込みはないから,通信料の節約になる。
すると,主要内容がその「スクリプト」によって表示される仕組みの記事はどうなるか。もちろん,表示されない。筆者がウェブ記事を見ていると,時々「真っ白」な表示だけになり,何がなんだか分からなくなることも多い。たいていは,その「スクリプト」が機能して主要な内容を読み込む仕組みの記事と思われ,機能させていないため表示されないケースだ。サイトによっては「スクリプトを有効にしてご覧ください」などと表示が出ることもあるが,その配慮がされていないサイトでは,ただ「真っ白」になるだけ。「スクリプトを有効にすれば記事を表示する」ことさえも分からない。実際,筆者はそうした「真っ白」の表示になった時は,スクリプトを有効にしないまま,窓を閉じることも多い。どんなに重要な記事も,当然読めない。
ウェブ記事を公開する側は,何か伝えたいことがあって公開するのだろうが,「表示されないまま閉じられる」要因を含んだ状態で公開していて,それが放置されていることになる。「伝える」目的は,半分くらい果たせていないようなもの。
◆ 「新しい規格」未対応機への不配慮
一方,本当にスクリプトだけが理由なら,スクリプトが機能する状態に戻せば読めるはずだが,時として機能させてもまともに表示されない記事もある。そうなる理由は,ブラウザやそのバージョンにより処理に差ができるため。スクリプトの規格に新しい機能が加わると,古いブラウザでは対応しきれないことがある。その機能を使って記事を読み込む処理はできないわけで,当然読めなくなる。またスクリプトではなく,HTML 規格もバージョンによって差があるために,新しいバージョンの HTML の規格で作成された記事は,古いブラウザでは正しく表示されない事態も起きてしまう。しかも,同じ規格でもブラウザの種類によって扱いが異なることもある。たとえスクリプトに原因がなくても,ブラウザの違いで作り手が見せたい表示にならない状況も起きうるわけだ。
でも,それで「見れないぞー」とクレームを入れたところで,「最新版でご覧ください」とか,「IE か Edge でご覧ください」などといった対応で済まされるだろう。筆者は最新パソコンの入手が困難なため,古いパソコンに Linux という OS をインストールして使っているのだが,古い機械なためブラウザの「最新版」の使用はかなり困難なうえ,IE も Edge も使えない。このような者に読ませる気はないのだ。
「いや,『見れないぞー!』なんてクレームは来ないし……」といった反論も聞こえて来そうだ。だが,特に最新情報を周知させる必要性の高いオヤクショなどのサイトでは,内容が頻繁に更新されることも多いと思われる。すると,「見れない」ことを「更新され,記事は削除されたのだろう」と解釈する人も多くなることが考えられる。そうなれば,いちいちクレームなどしないはず。削除された記事に「見れない!」とモンク言ったとしたら恥ずかしいし,特に,前述したような「真っ白」の表示だった場合,「削除された」のか「たまたま表示されない」のか区別も付かない。だいたい「スクリプトを有効にして見てください」とか「ブラウザは××のバージョン○○以降でご覧ください」とかの表示がなければ,そこまでして見せるべきほど重要な内容ではない……とも解釈できる。いざスクリプトを有効に設定し直したり,ブラウザを変えたりするなどの手間と時間をかけて見ても,「削除されたよー」と表示されるだけだとムカつくわけで,そうまでして見る気など起きない。
クレームしたとしても,サイト運営をどこかの業者に「丸投げ」していた場合は,どーせ見れないままになる可能性も高い。対応を迫られた「サイト運営業者」あたりが,「お使いのブラウザはサポート外なのでサポート対象のブラウザでご覧ください」などと言えば,「クレーム」に対処せずに済み,見れない側は見れないまま放置される。オヤクショにも「あれは『クレーム』ではなくサポート対象外の人でした」と報告して済ませる。オヤクショの側も「原則的に見れない人などいない」と思っていることだろう。その「原則」から外れる人が多ければ,ウェブで「広く知らしめる」という目的は達成しないのに。つまり,クレームを受けた側で「なかったことにできる」仕組みだ。言い換えると,業者は「クレームとして対応すべきものでも対処せずに済む」仕組みになっている。どーせクレームしても見れるようにならないのなら,わざわざクレームに使う時間と労力を損するだけ。かくして,重要なウェブ記事を「見れない人」は増え続ける。
ちなみに,筆者が最新のパソコンを使わない「主な事情」は経済面だが,自分もサイトを運営しているため,自身が使うような「古い機種」でも正しく表示するかを検証できるようにしておく意味もある。じつは筆者は,コロナの前まで,障害のある方にパソコンの指導に行っていたのだが,そうした方々は,自分の障害に合わせてパソコンを操作するための器具やソフトが新しい機種に対応できなくて,最新の機種を使えないことも多い。そうした方が筆者サイトを見た時に,「見れないぞー」なんてことがないようにしたいと考えている。逆に言えば,「見れないぞー」と言われて,「IE,Edge か Chrome のバージョン××以前のものはサポートの対象外です」ということにして対応をしないサイトは,つまりは「障害者は見なくていい」と言っているようなものだと思う。オヤクショのサイトも,ほとんどがそうではないか。
「HTML 規格もバージョンによって差がある」とは書いたが,旧来の規格と「まるで違うもの」にされることなどない。ある程度は古い規格からの互換性が保たれる。そうしないと,ブラウザを新しい規格に対応させた途端に,それまで読めていたウェブ記事が全部読めなくなってしまう。いくら「最新のブラウザ」でも,古いウェブ記事もたいてい読めるのだから,「誰でも読める」サイトにするなら,なるべく古い規格に合わせてウェブ記事を作るようにすればいいだけの話なのだ。そこまで調べてウェブサイトを作らないオヤクニンが,結果的に「新しい機種を使えない」弱者に情報が行き渡らなくなる状況を作って放置し,我々の納めた税金から報酬を持って行っているのだ。
◆ 読める人を減らし「ゴミは増やす」
古いパソコンを使うのには社会的な理由もある。それは「ゴミを増やさない」ため。古い機種で見れるサイトが減り,「新しい機種」を手に入れそちらを使うようになると,古い側はただのゴミになってしまう。そこでサポート期限が切れたパソコンに,ある程度古い機械でも使える
Linux と呼ばれる OS をインストールし直して見れるサイトを少しでも増やし,極力捨てずに活かそうという考え。つまり「3R」……Reduce=ゴミ減量,Reuse=再利用,Recycle=再生を実践しているわけだ。逆に言えば,「見れないぞー」というクレームに対して「最新の状態でご覧ください」などと言って最新の状態しかサポートしないでいることは,新しい機種への買い替えを促してゴミを増やすのを助長しているようなものだと思う。さて,今のオヤクショはどちらを推進しているのかな?
「持続可能な社会」の実現のためには「3R」も重要ではないかと思うが,SDGs とか何とか言っている企業やオヤクショが,ウェブサイトで「最新状態しかサポートしません」みたいなことを堂々と宣言し,古い機種を捨てさせてゴミを増やす方向に誘導したり,古い機種を使わざるをえない障害者が記事を読めなくなる状態を放置しておいて,何が「サスティナブル(持続可能)」なのだろうかと思う。
一方,筆者が購入した「最新(Android 10)の」スマホの Chrome というブラウザでは,アップデートがまともに機能しない。安かったからなのかどうか知らないが,「最新版をお使いいただけます」的な表示が何度も出て,その度にそこをタップすること数ヶ月,バージョンは一向に変化しないポンコツだ。つまり「最新版を……」と言われても,使えないケースもあるわけだ。念のために言っておくと,そのスマホ,新品を購入し1年と経っていない。そんな Chrome を「サポートします」なんてサイトが多いのもまた不思議。少なくとも筆者は信用していない。
ウェブで公開する記事を「多くの人に読んでもらいたい」なら,なるべく古い機械でも継続して読めるサイトの設計にして,「経済的事情」や「身体の障害」などで制約を極力受けないようにすべきだと思うが,今どきのオヤクショの対応は「真逆」に見える。「IE,Edge か Chrome のバージョン××以前のものはサポートの対象外です」などと言って,それらが使えない人は「見れない」まま放置する。つまり「IE も Edge も使えず,最新版のスマホもパソコンも手に入れられないような貧乏人は,読ま(読め)なくてもいい」とでも言わんばかりだ。それが結果的に「風疹」の検査や予防接種について詳しく知る機会を逃す人と,廃棄されるパソコンなどのゴミを増やしていたとしても「知ったこっちゃない」のである。そこへ読めもしない QR コードを掲載したチラシをたくさん刷り,送料を使ってバラ撒いてまたゴミを増やすのに税金を使い,「仕事をした気」になっている……筆者からはそんなふうに見える。
◆ セキュリティ意識の欠如が犯罪を助長
「そんなの『スクリプト』を有効にしておけば済む話だろう」と思うだろうか。じつはその「スクリプト」というのは,ウイルスなどのマルウエアを読み込ませるのにも悪用されることが多い。筆者がブラウザのスクリプトを切っている理由は,セキュリティ上の意味あいも大きい。「スクリプト有効でご覧ください」と要求しているサイトは,考えようによっては「コンピュータウイルスに感染するリスクを負え」と言っているのと同じ。しかも,それで実際に感染してしまっても,それを要求したサイト側は一切責任を負わない……という不公平がまかり通っている。少なくとも,オヤクショのサイトがそれでいいのかは大いに疑問。
ちなみに,筆者サイトは極力「最新版」の規格を使わずに構成している。スクリプトも必要最小限で,少なくとも,重要な本文の読み込みに関わる処理には使わないようにして,スクリプトが有効だろうと無効だろうと,ほぼ同じ内容が読めるよう気を遣ったサイト設計にしている。筆者同様,セキュリティを重視しスクリプト機能を無効にしてブラウザを使っている人でも,記事を読むのにはほぼ何の問題もないはずだ。
こんな筆者は,じつは現在(2022,5月)「コロナ」の影響もあって無収入に近い。一方,述べたような「チラシの QR コードが読めない」とか,「最新の機種やブラウザを使えない人は読めない」とか,「スクリプトを有効にしてウイルスに感染するリスクを負わないと記事が正しく読めない」など,様々な「読めない」要因のあるウェブサイトにお金を費やしているオヤクニンの皆様は,いくらくらい報酬を受け取っているのだろうか。どちらのお金も,元は我々の納めた税金なのだが。
◆ 「丸投げ」の弊害
オヤクショで働く方の中には,述べてきたようなことに反論したい方もいるかもしれないが,まずその状態を解消すべきではないだろうか。
だが,今のようなオヤクショの業務処理構造では,それもほぼ無理だと思う。なぜなら,それは「中の人」であるオヤクニンがウェブ記事やサイトを構築しているわけではないと思われるからだ。たいていはどっかの業者に「丸投げ」でやっているだろう。
「丸投げ」ということは,述べたような「古い機種を使っている人は読めない……つまり,『誰でも読める状態ではない』可能性がある」と分かっても,オヤクショ内では対処できない。できることは,せいぜい丸投げ先の業者に「何とかしろよゴルァー!」と怒鳴ることくらいだ。ところが,最近の業者は「最新版への対応以外はサポート外です」てなことを言えば済むような契約をしていると思われる。簡単に突っぱねられて,結果として重要な記事が読めない人が残り続ける……かくして,「広く知らしめる」というオヤクショ側の使命は蔑ろにされる。
おそらく,オヤクショ内に一人でも「多少はできる人」を置いておくと,違ってくるのではないかと思う。ここでいう「多少はできる人」というのは,多少なりとも IT 関連の事情を知っている人のこと。そうした人が居れば,業者から「それには対応できません」と言われたところで,「でもヤクショとしては『広く知らしめる』必要があるから,こんなやり方でできない?」といった提案のひとつもできるかもしれない。たとえば筆者は,細かい装飾やレイアウト指定ができる HTML 形式と,そうした指定はできないが誰でも読めるプレーンテキスト形式の中間的形式として「準プレーンテキスト」と呼んでいる形式を提案している。
最新のスクリプトや HTML に対応していないパソコンやスマホでも,上記形式でウェブ記事を作れば,たいてい読める。つまり,この形式をうまく利用すれば,「読めない人」はほとんどいなくなるうえ,リンクなどの HTML 規格にも対応できるため,利便性もさほど落ちない。
筆者はある程度知っているからこうした提案ができるが,知っている人が誰もいないと,何の工夫も提案できないだろう。たとえば「見れないぞー!」というクレームが来たら,オヤクショから業者に「見れないと言っている人がいるけど?」という話をして終わりで,業者は業者で「最新のブラウザで見れない人はサポート外です!」と言って終わりにしているのが現状だろう。つまり「見れないぞー」という人が残り続けるばかりか,ブラウザや規格もバージョンアップしていくから,ヘタをするとその「見れない人」は増えていく。今は,前述のような「ちょっとした提案」のできる人が誰も居ないため,オヤクショから業者に対し具体的な改善策の指示が全くできず,「見れない人」を増やし続けている……これが今どきの「オヤクショ」の業務処理構造のように見える。
筆者の元に届いた「風疹検査」のチラシに,その一端が垣間見える。おそらくそのチラシも「丸投げ」ではないか。そのため,QR コードがまともに読めなくても,気づかないか,業者に問い合わせても「読めないスマホはサポート外です」で済まされてしまっているのではないか。せめて多くの人が読めるような「QR コード」の掲載と「ウェブ記事」があれば,多くの人が「オヤクショに直接問い合わせなくても」詳しい情報を知ることができるから,その問い合わせに対応する手間も減ると思われるが,述べたように,筆者のスマホはその QR コードを読めず,またオヤクショのサイトで記事を読むにも「ブラウザの新旧バージョンの差」や「スクリプト」に阻まれて読めないことが多い。結果として,筆者のように「読もうとしても読めなかった」人はあきらめざるをえない。一方,「どうしても知りたい人」は,ウェブ記事が読めないと分かれば直接問い合わせるだろうから,それに対応が必要なぶんオヤクショ側も手間がかかる。税金を有効に使いたいのなら,手間のかかる要因は減らすべきで,そのためには,多少は「IT」に関連することを知る人を置き,「アクセスすれば一発で詳しく分かる」ようなウェブ記事の作成と,確実にそれを読める QR コードを掲載したチラシを作って,「チラシの QR コードを読めばたいていのことが分かる」ようにしておくべきだったのではないだろうか。
だいたいオヤクショは業務の報酬を税金から得るため「納税の義務」を我々に課している。その我々に「情報が行き渡らない人」が多く発生するような業務処理構造でいいのかどうか,もう少し考えたらどうか。
もしかすると,業者はこんなことを言っているかもしれない。「当社制作のサイトは,常に(ブラウザなどの)最新版対応です!」と。で,「そりゃいい! 依頼しよう!」といった流れになっちゃうのかもしれないが,述べているように「最新版に対応させる」ということは,規格やブラウザのバージョンが上がったら,古いブラウザで見れなくなる人を「放置していい」と解釈されるリスクがある。ウェブサイトの構築を「丸投げ」することは,「記事を見れていた人が見れなくなり,見れる人が減っても放置される」危険性を孕んでいると考えたほうがいい。
◆ その先にある「犠牲者の増大」
怖いのは,そうした状態が放置されると,有事の際の「防災情報」や「避難指示情報」なども,そういった「見れないサイト」で公開されることになるという点。情報が手に入らないからと言って,「風疹検査」をあきらめても「直接」命に関わるようなことはないだろうが,「防災情報」や「避難指示情報」が見れないとなれば,対応が遅れて犠牲者が増えかねないのは,言うまでもないだろう。しかもそうした非常時は,誰もが「古い機械しか使えない」状況になりうる。普段使っている「QR
コードの読めるスマホ」が,洪水で水に浸かったり,地震で倒れた家屋や家具の下敷きになったり,停電で電池が切れたりで使えなくなる事態も十分考えられるからだ。そこで「確か古い機械があったな」ということになっても,「最新の機種やブラウザのみサポート対象」という扱いをしているサイトでは,古い機械では正しく読めない状態が放置されているから,「イザ!」という時「防災情報」や「避難指示情報」を知ることができない人が多く発生し,犠牲者が増える可能性も高くなる。
これのさらに怖いところは,もし本当に「防災情報が見れなかったことが原因で犠牲になった人」がいたとしても,調べて分かることではないという点。たとえば,「自分の持っている古い機械で防災情報を読もうとしたが,読めなかったので避難すべきか分からずにいたら,土砂に流された」なんて証言は出て来ない。「死人に口なし」なのだ。つまり古い機械で読めない状態を放置している側は,放置が原因で犠牲になる人が増えていたとしても,その責任をいつまでも感じずにいられるために,放置し続ける。オヤクショは早めにそこに気づいたほうがいい。
実際,筆者は 2019 年の台風 19 号で,あやうく「多摩川」に流されかけそうになっている。まず,当時住んでいた調布市の市役所サイトはアクセスが集中しダウンして見れなくなり,調布の地域ラジオをネットで聴いて情報を得ようとしたが,筆者の使う古い機械には対応していなかったようで聴けなかったのだ。この時点で「避難すべきか」を判断する情報を「市」からネットで得る手段はなくなった。最後の頼みの綱は国土交通省の河川水位計だったが,最寄り観測所が故障したらしく,これもネットで見れなくなった。結局,氾濫危険水位を超えた多摩川近くで,降り続く雨の中,避難を判断するための情報源がことごとく断たれる……という状況になった。詳しいことは以下に記録してある。
上記記事の存在は調布市にも伝え,返信も記事内にリンクがあるが,「ラジオが聴けなかった」ことに対し,調布市からの返信で「こうすれば聴けますよ」と伝えられたのは,筆者が上記記事に「聴けなかった」と書いた方法そのものだった。これがオヤクニンの「読解力」。
だから,防災情報などは,文字の記事だろうとラジオだろうと,読む機械が「最新」であるかどうかなどにも関係なく,様々な機器や手段でアクセスができるようにしておくべき……というのが,筆者の主張だ。具体的には,少なくとも記事の重要部分の表示にスクリプトを使わず,HTML もなるべく基本的なタグの使用に限り,CSS を無視しても内容の主旨が違ってしまわないようにすべきだろう。またウェブラジオでも,一部に「多くのブラウザだけで直接聴ける配信方式」があるため,その方式を採用してサーバの URL を公開すれば,アドレス欄にその URL を入力するだけで聴けるようになり,「聴けない人」も減るだろう。
「最新の機種やブラウザ以外はサポート対象外です」といった状況を放置することは,「人命軽視」以外の何者でもないように思う。あるいは,オヤシクョ側が「新しい機械も手に入れられないような貧乏人は,防災情報を見せて救うまでもなく,なるべく死んでほしい」と考えているために,そうした状態を放置しているのなら,十分納得いく話だが。
● 「借金一千兆円」と「格差」の根源
述べてきたような状態に気づかず放置しているオヤクニンの方々は,それで「市民の健康を守っている」と考えているのだろうか。チラシの「QR コード」は役に立っていない可能性が高いし,そのコードからアクセスされるウェブ記事も用意したはずだが,アクセスできないから,たとえ「読みたい」と思った人でも,読める可能性は低いだろう。詳しく知りたいと思っても読めない QR コードとウェブ記事を作っておいて「市民の健康を守っている」と言えるのか。結果的に,何のためにそれらを作成したのか。虚しくはないのか。税金の無駄遣いではないか。
以下はある「掲示板」の記事だが,いかに「オヤクニン」が業務内容についてよく考えず仕事をしているのかを匂わせるものがある。
「隣の人がどんな仕事をしているのか分からない」といった状態は,もし仕事の内容がほぼ同じ……つまり「ダブって」いたとしても,気づかないことになる。「成果」としてはどれか1つだけ上がれば済むようなものでも,数人が気づかずに同じ仕事をしていた場合,つまり費用としては,その人数分余計にかけていることになる。また,かみ合わないような仕事の内容……たとえば,Aさんの作業結果をBさんが処理することにしていたのに,じつはAさんの成果がBさんの使っているシステムで読めないような状態だったとしても,やはり気づかずに働き続けることになり,Aさんの作業とそれにかけた税金も無駄になる。もしこれが民間会社だったら,「無駄を生じさせた!」として責任問題の議論にもなるところだが,オヤクショはどうだろうか。「気づかなかったのは仕方ない」で済まされ,責任の所在について議論されなければ,無駄を生じさせた要因が洗い出されることがないから,要因は残ったままとなり,そのうちまた同様な無駄が繰り返し発生することになるだろう。
オヤクショの業務も膨れ上がっていると聞く。そりゃそうだろうね。「隣の人の仕事」を知らない人ばかりの状態を放置しているから,業務といっても,前述のような「無駄になる労力」の割合が増える。たとえ「無駄な労力」と判明しても,報酬が減らないよう責任云々を議論しないから問題点が洗い出されず,要因が残り続けて繰り返される。それで「借金が一千兆超えて大変だ!」と騒いでいるのは,どこの誰なのか。
◆ 「検証の仕組み」を作らず失敗を繰り返す
公的機関には,普通「監査」に当たる部署があるのではないかと思うのだが,西東京市にはないのだろうか。あるのなら,述べて来たようなことの把握に努めているのだろうか。まぁ,努めていたなら「読めない QR コードを掲載したチラシの印刷や配布に税金が使われた」ことなど直ぐ問題視してよさそうなものだが,キチンと読める QR コードを掲載したチラシが再配布されないところを見ると,調べていないのかもしれない。「監査」とは何をする部署なのだろうか。その方たちの受け取る報酬は,我々の納める税金から支払われているのだが。
最近,463 人分の給付金 4630 万円を一人に送金してしまった事件があったが,不思議に感じるのは,「返金しない」姿勢を示している側を問題視する報道ばかりがされているように感じる点。この事件の一番の問題は「誤送金が起きた」ことだろう。で,それを受けて自治体がやるべきことは,似たような要因が自分のところにないか検証し,少しでもリスクがあれば改善につなげて,似たようなことが自分のところで起きないようにすることではないだろうか。では,そのために何をすべきかと言えば,当事者である自治体(山口県阿武町)は,少なくとも,なぜそうした事態が生じたかの原因を調べるべきだろう。そして,できればそれを公表し,他の自治体はそれを参考に,自分のところで似たようなシステムになっていないかとか,同様な事態が生じるリスクがないかを検証すべきではないのだろうか。
今のところ,少なくともそうした報道は聞かない。報道されない理由が「検証していない」からなのだとしたら……将来,似たような事態を起こす要因が残ったままになるのではないだろうか。
繰り返しで恐縮だが,「監査」とは何をする部署なのか。その方たちの受け取る報酬は,我々の納める税金から支払われているのだが。
ちなみに,こんなことを言っている筆者は「コロナ」の影響もあり,現在ほぼ無収入である。
「検証」が必要なのは,何か不祥事が発覚した時に限らないと思う。たとえば,西東京市の「QR コードの読めない風疹検査チラシ」なら,チラシ原稿作成時点で「QR コードや用意したウェブ記事が読めるか」を「検証」する仕組みにしていたら,印刷前に「読めない」と気づいて印刷と配布に無駄な税金を使わずに済んだのではないだろうか。阿武町の給付金誤送金にしても,実際の振込の前に複数の職員で正しい手続きかどうかを「検証」する仕組みにしていたら……と思えないだろうか。「最初から/事前に」検証できる仕組みに作ることが必要ということ。
これらの例に限らず,オヤクショのやることというのは,見事なまでに「それで良いかどうか」を検証する仕組みがない。
事後的にも,たとえばアベノマスクなども「なぜ大量に余ったのか」を検証した話は聞かないし,初期のころのワクチン接種受付システムなども,高齢者だけを対象としているのに「生年月日が令和生まれ(当時の2歳以下)でも受け付けてしまう」などのバグだらけだったそうで,それだと手作業で受け付けるよりチェックの手間が余計にかかったのではないかと思うが,それもやはり「なぜそんなことになったか」を検証したという話は聞かない。
「なぜそうなったのか」を検証しておかないと,問題点が洗い出されないままとなり,問題を起こす要因が残り続けるから,いずれまた似たような問題が起きる可能性も高くなる。逆に問題を起こす要因を潰しておけば,後に同様な問題が起きることを防げるから,その対処にかかる手間とコストに税金を費やさずに済む。市民や国民の納めた税金を無駄なく使いたいと思うのなら,何をするにせよ「検証」する仕組みも一緒に作っておくべきなのだ。
ある意味,その一端が「監査」ではないのかと思うのだが,読めない「QR コード」を掲載したチラシをバラまいたりとか,4千万もの大金を誤送金して詳しい原因を調べた話も聞かないとか,その事件を受けて「我が自治体でも見直しました」とかという話も出て来ない。「監査」とは何をする部署なのか。
「検証」する仕組みを作らずに,税金を無駄にしてしまう要因の洗い出しもその解消もできないまま,「借金が一千兆にもなって大変だ!」と騒いでいるのは,どこの誰なのか。
◆ 「格差拡大」を助長するオヤクショ
「格差がなぜ広がるのか」って? それは,たとえば「風疹検査」の例で言えば,オヤクショが作る「風疹検査のお知らせ」の QR コードを読める程度に新しいスマホを使えるレベルの収入のある人だけが詳しい情報を得られ,そこで検査の必要性を認識して実際に検査を受けに行く気になることもあるだろうが,一方で,そうした機種を手に入れられない事情……たとえば,経済的理由で QR コードの読める最新機種に変えられないとか,スマホの購入どころか携帯電話の契約も困難とか……などの事情のある人たちは,「風疹検査」の情報にアクセスしにくい状態に置かれたまま放置されて,ヘタすると実際に「風疹」を患って医療費が余計にかかる……といった「収入が少ない人ほどお金がかかる構造」を,オヤクショが作り上げているからのような気がして仕方がない。
今どき携帯電話の契約がむずかしい人などいるのか? じつは筆者がそうだ。筆者のような低収入の者に合いそうな通信契約は MVNO と呼ばれる業者に多いのだが,なぜかほとんどの MVNO 業者がクレジットカード払いに限定されている。そのため,現在コロナの影響で収入がほとんどない筆者は,クレカが作れず契約できない。先に「スクリプト無効だと通信料が安上がり」などと書いたが,以前は ADSL という月額固定で使い放題のデジタル通信契約だったので,「データ通信量」など気にせずに使えたのだ。が,業者がサービスを打ち切ってしまい,現在は実質従量制のものしか使えない。そのため,スクリプトを有効にしてしまうと,無意味な広告をバカスカ読んで通信費が上がったり,コンピュータウイルスに侵入されたりフィッシング詐欺などの可能性も高まるから,いずれにせよ「お金が出て行く」リスクが増える。ましてや「マイナンバー」などという,最新の機種しかサポートされず,どれほど通信量を使われるか分からないシステムになど,とても手を出せない。極力スクリプトを無効にして,少しでも節約できる通信環境にしないと,「通信料を支払うため食費を削り,不健康貧乏まっしぐら」なんてことになりかねない。「スクリプト無効」で表示された「真っ白」なウェブ記事を見た時,有効に設定して読み直さずそのまま閉じる理由もそこにある。とことん「低収入ほど情報が得にくい状態」になりつつある。
こうした状態を放置しているのは……デジタル通信も MVNO の仕組みも,管轄は「総務省」というオヤクショだ。そもそも MVNO 自体,モバイル通信を低価格で提供できるようにするための仕組みだと聞いたが,その「低価格」の恩恵を大きく受けられるであろう低収入な人たちは,「低収入であるがために」クレジットカードが作れず,MVNO の契約ができない人が多い……という状態が放置されている。せめて,総務省が
MVNO の仕組みを作った時,同時に「低収入の人でも支障なく MVNO の契約ができるか」を「検証する仕組み」を作っていれば,「クレカ決済限定が契約を阻んでいる」ことなど直ぐに気づけたのではないか。
ちなみに総務省のサイトを見ると,「マイナンバー」の使用を推奨する文言も多数踊っている。以前の「使い放題」だった ADSL ならまだしも,現在の従量制の通信では,どれほど通信量がかかるのか分からない「マイナンバー」なんかまず使う気は起きない。その「ADSL サービス打ち切り」なども,業者からの申し入れをよく検証しないまま,総務省が認めちゃったのではないか。筆者の劣悪な通信環境は,「その」オヤクショによって作られ,そのまま放置されているように感じている。
検証する仕組みのないまま放置されることが,「格差拡大」の一因になり,引いては「持続可能社会の実現」を阻んでいるように思う。
筆者は,このサイトの他の記事でも,「新しい機種のみサポート対象にしてしまうと,そうした機種を手に入れられない人が情報を得られなくなり,格差が拡大したり,災害時に犠牲者が増えたりするから,ネットで公開する情報は,古い機械も含めて様々な方法で読めるようにしておくべきだ」と度々訴えている。だが,「ならば,そのようなサイトの構築について詳しく教えて欲しい」という依頼は,来たためしがない。そりゃ「低収入」にもなる。
一方オヤクショは,サイトを構築するノウハウなどないから,業者に「丸投げ」する。それを受けた業者は,コストを安く済ませたいから,新しい機種にサポート対象を限定してしまう。かくして「ウェブ記事は誰でも読めるようにすべき」という筆者の声は届かず,「古い機械しか使えない人はサポートから外され,読める人が減っていく」状態が放置されるようなサイトの運営に,今も税金が注ぎ込まれ続けている。
こうした状況に,実質的に「ストップ」をかける方法はないのか……「法治国家」としては,やはり法制化が必要なのだろうか。たとえば,「防災情報」を扱うようなサイトは,末端まで情報が行き渡っているか「検証する仕組みの設置を義務付ける」ような法律。「公開したウェブ記事を読める機種の割合を確認する仕組みを作り,それが ××% 以上になるようにしないといけない」的な規定があってもいいように思う。
ところが先日,その立法のオヤクショとも言える「国会」の議長は,「議長でも月収が百万『しか』ない」と言っていたそうだ。情報が読めなくなるようなサイトを作る業者にドカドカ税金が注ぎ込まれる状況が放置され,それを「問題だ」と訴える筆者も放置されて,現在の収入はゼロに近い。国会では「借金が一千兆超えて大変だ!」とか,「格差が広がって大変だ!」とかは,議論されていないのか。重要な問題とされているなら「議長が」そんな発言をすることなどないはず。立法の長までもが,いかに問題点を注視せず放置しているかを示す発言だと思う。
今の日本のオヤクショには「放置国家」という言葉がお似合いだ。