● 一般的な用途
[F11] キー(エフイレブンキー,エフジューイチキー)の代表的機能は以下のとおり。機能の詳細は次章参照。
- 全画面表示と通常表示状態の切り替え
なお,このキーに,異なるアプリ間に共通して働く機能は,他に思い当たらない。
● 全画面表示と通常表示状態の切り替え
[F11] キーを押すと,「全画面表示」状態と,通常の表示状態が切り替わるアプリが多い。
「全画面表示」とは,見ている対象の部分を画面全体に広げた状態。多くの場合,そのアプリだけの表示になり,タイトルバーやステータスバー,フレーム(縁部分),タスクバーやトレイも見えなくなる。またアプリによっては,メニューバー,ツールバー,タブバーなども見えなくなる。たとえば,ウェブブラウザである IE(インターネットエクスプローラ)で [F11] キーを押し「全画面表示」状態にすると,前述のバーの類は「お気に入りバー」も含めて全て見えなくなり,ウェブ記事内容の表示領域だけ画面いっぱいに広がった状態で見ることができる。
通常表示に戻したい時は,もう一度 [F11] キーを押す。
なお,全画面表示状態で,マウスを画面の上のほうに近づけたりくっ付けたりした時に,ツールバー類が一時的に表示されるアプリもある。こうしたアプリの場合,全画面表示のままでもマウスによる操作がある程度は可能になる。
また,これもアプリによるが,キーボード操作は通常表示時と同じように受け付ける場合がある。メニューバー類が表示されていなくても,たとえば,[F10] や [Alt] キーによるショートカットキーなどの操作で,メニューが表示されるアプリもあると思われる。逆に,全画面表示にすると,キー操作によるメニュー表示がされなくなるアプリもある。
◆ 「最大化」との違い
「全画面表示」に近いものに「最大化」という機能がある。アプリのタイトルバー部分にある該当ボタンを押すなどして「最大化」すると,そのアプリの枠が画面いっぱいに広がる……ところまでは似ているが,「最大化」の場合,タイトルバーやメニューバー,ステータスバーなどは表示されたままのことが多い。また,タスクバーやトレイなどが表示されていれば,それらも残ることが多い。
タイトルバーの同じ場所にあるボタンをもう一度押すと,アプリの窓は元の位置とサイズに戻る(復元)。
なお,この「最大化(と復元)」は,タイトルバーのダブルクリックでできる場合もある。
◆ 「プレゼン」に利用した過去
今回は機能が少ないので,以降全部余談。
じつは筆者は,この「全画面表示」機能を使って「プレゼン」をしたことがある。2005 年あたりだったが,まだ「パワーポイント」などというもの……いや,そうした「プレゼンソフト」自体がそれほど一般的ではなく,もちろん予めインストールされているパソコンなどなかったし,だからと言って別途購入するとバカ高く,とても貧乏技術者が手を出せるシロモノでもなかった頃だ。
しかし,こちとら「技術者」でっせ。その「全画面表示」の機能が,ブラウザ IE にあることは知っていた。「全画面表示」にすれば,タイトルバーやメニューバーなど,説明の時に必要ないものは画面から全て消えてくれるのだから,あとは,うまくウェブ記事の画面さえ作れば,そのまま「プレゼンアプリ」と同様な使い方ができるはずだ。
ウェブ記事作成のための HTML 記法は既に知っていたから,WYSIWYG
編集ソフトなど使わず,そのソース(=元になるファイル)を直接記述して画面を作成した。あとは,ウェブ記事に機能を付加するスクリプトである JavaScript と,GIF 動画を作成できるフリーソフトなども駆使して「アクション」を加え,プレゼン用資料を作成したのだった。
その頃は IE も普通に使っていたし,元々パソコンに入っていて使えるソフトなのだから,かかった費用は,ほぼゼロだ。
そのプレゼンというのは,障害者福祉に関する「フォーラム」に呼ばれたもので,内容も,「わざわざ高価な『福祉機器』を手に入れようとする前に,そこら辺に既にあるものや,手に入れ易いものを利用して,自助具や介護に役立つものを簡単に作ろう!」というもの。言ってみれば,「わざわざ『プレゼンソフト』を手に入れ使おうとする前に,元々使える全画面表示機能を利用してプレゼンしよう!」という発想と,元は同じ。まぁ,直後に一度だけ同じ内容で私的な講演依頼があったが,その後は講師に呼ばれたことはないから,「プレゼンソフト」などというものにお金をかけるほどではなかったことは確かだ。
日頃から「仕事で」プレゼンの必要がある人は別だが,プレゼンだからと言って,パワーポイントのような「プレゼンソフトを使わないといけない」ということもないだろう。「周りが皆それを使っているから」使うというのではなく,もう少し柔軟に対応してもいいように思う。
◆ 現場の「求め」と業者の「提供」の方向性の違い
その時の筆者のプレゼン内容は,「『既にあるもの』をうまく活かして負担なく障害者や要介護者の QOL(生活の質)を上げよう」というものだったが,残念ながらそうした発想の注目度は低い。むしろ嫌われる可能性もある。実際,公の講演の場に呼ばれたのもその一回だけだし。
理由は何かと考えると,まずひとつは,製品やサービスを提供する側にとって「お金にならない」からだと思う。たとえば,筆者がしたような「IE の全画面表示を利用して『プレゼン』できますよー」的な話が広く知られてしまうと,「パワーポイント」のようなプレゼンソフトの必要性は薄れ,買う人が減りそうで製造元のマイクロソフトはイヤだろう。同様に,業者が提供している福祉機器や介護サービスが,「そこら辺のもので簡単に作れたり代替できたりしますよー」なんて広まってしまうと?……お察しだ。それらで稼いでいる業者の利用者を減らす要因になりかねないわけで,そりゃその方面からは嫌われるだろうね。
もうひとつは,当事者……つまり障害者の介護に関わる現場の人たちが,「手作り」のような,多少なりとも自分で手間をかける必要があることを極力避けて,誰かに全部を,あるいはほとんどをやってもらえる方法ばかり求めているのではないだろうかという気がする。筆者はその1時間の講演時間内に,実際に4種類ほど簡単な器具を作って見せた。平均 15 分……いや,そうした器具の必要性などを説明していた時間を含め1時間だから,実際の製作時間は1つあたり平均 10 分もかかっていない。それほど簡単でも「作れます」では反応はイマイチで,「作ってあげます」と言わないと飛び付いて来ないのかなと。でも「やってもらう」には,当然それなりの費用がかかる。筆者が「作ってあげる」としても,こちらも生活があるから多少なりとも手数料を取らなければならないことになるが,当事者は「お金もかけたくない」ところだろうから,「それで注目されるか」は期待できそうにない。だいたい,筆者がひとりで全ての要介護者向けに何かを作ってあげるなんて無理。だから「作り方」を必死で伝えようとしていたわけなのだが……介護現場の人たちには「作る手間もかけたくない」といった思いが強いのだろうか。しかし,「自助具」……つまり,要介護者自身が「自分で何かできる」ようになる器具があれば,当人の QOL が向上するだけでなく,その人に「つきっきりで」要望の確認や対応をする必要性も軽減され,以降の介護負担がラクになる可能性がある。そのほうが,数十分ほどの製作の手間よりも大きいと思うのだが……「朝三暮四」的なものなのかなぁ。
ただ,たしかに「手作り」となると,「材料を自分で調達して揃える必要がある」という面倒臭さはある。そこはたとえば,筆者の考えたその手の器具のうち,リモコンなどの小さな押しボタンを,福祉用の大きなスイッチなどで操作可能にする「Wary-Basher(ワリバッシャー)」というものは,福祉器具業者さんが「キット」を販売してくれているから,それを通販で取り寄せれば,「自分であちらこちらお店を回り部品を買い集める」という手間は省ける。興味の湧いた方は,以下の記事を参照して欲しい。「キット」の業者さんへのリンクもあるから,価格を見てもらえれば,かなり良心的と感じてもらえると思う。「作り方」については,PDF でダウンロードできるリンクが以下記事内にあるほか,「ワリバッシャー」で検索すれば,実際に作って使っている人の記事も見れるので,お試しあれ。
一方,筆者がプレゼンした障害者福祉関連のフォーラムにも「業者」は参加していたが,「お金を使わせる」ことばかり紹介していたような気がする。まぁ,「業者」である以上は仕方がない面もあるが,それを「お金をかけたくない」当事者らが見聞きしに行っているような場だった。「お金をかけず誰かにやってもらう方法」を探している現場の人たちと,「お金を使わせよう」としている人たち……という 180° 求める方向の違う人たちが,お互いに「マッチング」を求めてさまよっていた感じ。思えば,それは何だか,今でいう「婚活サ……」ヤメとこう。
しかしこれで障害者や要介護者の QOL 向上が進展するのだろうか。実際,その講演というのはこの文章を書いている時点から 15 年ほど前になるが,この間に「障害者や要介護者の QOL が格段に向上した」的な話は聞かない。同じ問題をずっと抱え続けているように見える。
◆ 生み出され続ける「差別意識」
これほどまで「介護や支援が必要な人たち」の生活が向上しない原因の一つに「差別意識」があると思う。それにしても「差別をなくそう」なんてかなり以前から言われているよな,と思っていたら,最近読んだニュース記事で,逆に「特別支援学級」の児童に対する差別意識を助長するような発言をした「教員」の話があった。差別意識を「育てて」いる教員がいるのでは,なくなるはずがないわけだ。
別記事にニュースの要約と所見を書いている。詳しくは以下を参照。
上記記事で述べているのは,前述の差別発言の教員と同様,障害者に強い差別意識を持ち,働いていた福祉施設で殺人にまで至った「やまゆり園」の犯人もまた「教員免許」を与えられていたことを踏まえれば,文科省と厚労省の「合同調査」により,教員養成課程の改善や福祉施設の管理体制の見直しなどを考えてもよさそうなものだが,たとえ検討されても,おそらく「タテワリ構造」に阻まれ,何も解明できないだろうという予想。結局はその「タテワリ構造」が変わらない限り,「障害者や要介護者に対する差別意識が生まれる要因」も残り続けるだろうと。当然,行政の対応によって「QOL 向上」が実現するとは思えない。
◆ 「現場が」行動しなければ QOL 向上などない
前述の記事でも指摘しているように,「タテワリ構造」は,差別意識の根源を解消できない要因のひとつと考えられるが,行政にとっては何かと都合がいいため,行政がその好都合な構造を自から変えることなど当面はないだろう。だからといって,行政の内部構造など末端市民にどうこうできるものではない。つまり,差別意識を解消し「QOL 向上」を進める制度作りを,行政に求めても無駄だということだと思う。
では「QOL 向上」を実現しようとしたら,どうすればいいか。行政に期待できないなら,現場で主体的に考えて行動を起こすべきだと思う。
ただ「ではどうすればいいか」は,技術的スキルがないとむずかしいことも多い。筆者の活動である「手元にあるものをうまく活かす方法」とか,技術的なスキルがなくても「簡単な工作で器具を作る方法」などは,述べてきたような問題を少しは解消したいとの思いで紹介しているのだが……述べているように,介護福祉現場からの注目度はイマイチ。
実質的に「QOL 向上」が実現するのは,いつになるのだろうか。
あ,だから「全画面表示」も,うまく活かしてくださいってことで。